035. ユンカース F13 旅客機 [ドイツ]          
  JUNKRES F13 Transport/Utility [GERMANY]
 

全幅:17.75 m、全長:9.60 m、翼面積:44 u、
発動機:BMWVa 液冷V型12気筒 185馬力、
総重量:1,730kg、巡航速度:140 km/h、乗員/乗客:2/4 名
初飛行:1919年 6月
 
                                                 Illustrated by KOIKE, Shigeo  , イラスト:小池繁夫氏 2006年カレンダー掲載

 フーゴ・ユンカース教授は、1915年に、薄鋼板を利用して材料力学の片持梁の理論に沿って付根に近付くにつれて高さが増す構造を持つ、片持式(支柱や張線の無い)主翼をもつJ1を開発し、その後もD.IやCL.Iなどの進歩的な軍用機を制作した。 この波型ジュラルミンの全金属構造は強靭で耐久性に優れるとして航空界から注目されていた。
 
 この頃は大型の多発機も、主要骨格以外は木製、外形は複葉・羽布張り、張線・支柱式という時代に、ツェッペリン飛行船の骨格材料として開発されたジュラルミン(軟鋼と同じ強度を持つ銅・マグネ・アルミ熱処理合金)に逸早く着目し、円管を利用して骨格を構成し、波板とした外皮を使って、現代にも通用するような片持式・低翼・単葉で、しかも耐久性のある軽量な全金属製旅客機を完成させところにユンカース教授の発想の先進性があった。
 
  第一次大戦での敗戦の翌年(1919)、ユンカース社のオットー・ロイター主任技師は、その技術と資材を使って既存の攻撃機を改修した輸送機J12と、新設計のJ13を製作し、このJ13が後にF13改称されたのが、この6人乗り旅客輸送機ある。 操縦・安定性も良かったのだろう、車輪式の陸上機の他、この画のようにフロートつけて水上機としても各国で広く使用された。
 
 このユンカース独特の波板外板は、「空気抵抗が大きい」とやがて廃れていくのだが、空気抵抗の減少よりも軽量化が優先された時代には、薄板に構造体の役割をさせる十分存在価値のある構造だった。
 
 (鳥養さんは)「小学生の頃、気流と平行に波の方向を合わせれば、空気抵抗にならないのではないかと思いこんでいたが、後に空気にも粘性があって表面積が大きければ摩擦抵抗が大きくなることを学んで、やがて納得した」という。
 
 初期型ではパイロット前面の窓にガラスが無い。 これも驚きだが、風防ガラスをつければ窓の曇りが問題になる。 ワイパー/デミスト(防曇)の技術が無かったためで、後方の隔壁でコックピットと客室を仕切っておけば、大量の空気が流入することはないと考えたのだろうか。 それよりも飛行技術そのものが黎明期だっただけに、計器類も初歩的なものであったので、多くのパイロットが肌で風を感じて飛ぶことに執着したため、吹きっさらしのオープンコクピット構造の飛行機が多かったが、さすがに客室は密閉されている。 後年の大型多発の旅客機・例えば英国のホィットワースアーゴシーデハビランドハーキュリーズたちもオープンコクピットだった。
 
 でも、やはり水上機では不便とみえ、この画の機体では小さな風防ガラスが設置されており、後期型では密閉型のコクピットに改修された。
 
 なお、F13は322機が生産され、ルフトハンザ航空が国内線に使用し、世界の12カ国の航空会社でも使用された。またユンカースは自らもユンカース航空を設立し、60機のF13を運行させていた。 このF13の成功から、ユンカースは本格的な初の3発大型輸送機G23、G24の開発に着手した。
                     
 


[HOME/WhatsNew/NAKAJIMA/KOUKEN/MUSEUM/QESTIONNAIRE]

-