173. エアスピード As.6A エンヴォイ  [イギリス]
 Airspeed_As.6A_Envoy   [U.K.]

   
全幅:15.90m、全長:10.52m、 翼面積:31.5mu、 
発動機:Armstrong-Sidrey "LYNX" 空冷星型7気筒215馬力、 総重量:2,664kg、
最大速度:280km/h、巡航速度:246km/h、
乗員乗客:8〜10名、生産数:52機
初飛行:1934年
 
Illustrated by KOIKE, Shigeo  , イラスト:小池繁夫氏 2005年カレンダー掲載

 

 昭和34年(1959)に封切られた映画「渚にて(ON THE BEACH)」を覚えているだろうか?(鳥養さんらしい、素晴らしい書き出しと博学に感服します!) 第3次世界大戦の核攻撃の応酬で北半球の人類は滅亡し、「死の灰」は、生き残った原子力潜水艦の乗組員が辿り着いたオーストラリアに向かって、次第に南下してくる。残された人々にも死が迫ってくる。 オーストラリアの民謡「ワルツィング・マチルダ」が全編に使用され、特に群集が大合唱するラストは感動的であった。

 エアスピード社は、そのワルツィング・マチルダの曲か流れる映画の原作(創元SF文庫)を描いたネビル・シュートとヘーセル・チルトマンによって1933年に創設された会社だった。ネビル・シュートは航空技術者でもあったのだ。 エアスピード社は戦闘機や爆撃機を開発したことがないために、日本ではあまり知られていないが、映画「史上最大の作戦(The Longest day)」ノルマンティー上陸作戦で大空を覆うように登場するイギリス軍の大型輸送グライダー「ホルサ」もエアスピード社の作品だった。

 エンボイは第二次世界大戦前に登場した、木製骨格に合板と羽布張り、なのに引込脚を装備した乗客6人の小型旅客機だ。 エンポイの生産は52機だが、多発機の操縦・機上作業練習機として改修設計されたオクスフオードは8,571機も量産されている。 つくりやすく、手頃な操縦安定性をもつ機体だったというなによりの証明だ。戦後は多数が民間に払い下げられ、今度はコンサルの名で幅広い用途に活用された。

 わが国でも、三菱重工が1935年に製造ライセンスを取得し、同時に2機の完成機を購入した。1機は上記のリンクス・エンジンで、もう1機はウォズレー・エリース9気筒エンジンを搭載していた。 それぞれ日本航空機輸送と海軍で試験運用され、その結果15機を追加輸入され、日本航空輸送では旧式化してきたフォッカーの代替機として東京〜札幌線などで運行し、また大日本航空でも台湾内域で使用した。 

 三菱では、中島のDC-2AT-2に対抗する意味もあって、この機体を「ひなづる旅客機」と呼んで期待した。そして国産試作1号機は瓦斯電の7気筒150馬力「神風」エンジンを搭載したが、離陸直後に墜落する事故を起こしてしまった。 そんなこともあってか1938年までに輸入エンジンを搭載して、11機を生産しただけで終えている。 適当な国産エンジンが無かったためとされているが、大陸で戦争が勃発し、三菱や中島は軍用機生産に専念することが求められたのが真相だろう。 なお、エアスピード社は戦後を生き延びられずに、1948年デハビランドに吸収された。 
     (2005年カレンダー掲載)
 



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