127.  コンソリデーテッド フリートスター 20-A 旅客機 [アメリカ]
      CONSOLIDATED FLEETSTER 20-A Passenger Transport
[∪.S.A.]

  
全幅: 15.25 m、 全長:10.30 m、翼面積: 33.6 u、
発動機:P&Wホーネット Bl空冷星型9気筒 575馬力、
総重量: 3,090 kg、自重: 1,748 kg、最大速度: 280k m/h、
乗員/乗客: 1/7 名、
生産数: 7機、 TC取得: 1932年
 
 
Illustrated by KOIKE, Shigeo   イラスト:小池繁夫氏 2004年カレンダー掲載

          
1930年の頃、飛行機の形態が複葉機から単葉機へ移り変わる過渡期に登場した高速単発旅客機のひとつである。
エンジンがワスプからホーネットと強力になり、サイズもひと回り大きくなっているが、ウィリー・ポストの世界早や回リー周やアメリア・イアハートの記録飛行で有名な、ロッキード・ベガと類似した高翼単発機である。
 
 この画の"フリートスター20−A"は、17で始まったシリーズの最終型である。 それまで肩翼配置だった主翼は、4箇所の小さな支柱で捧げ持つパラソル型になった。 そして主翼の前縁部にあったコックピットは、後部胴体上部に移り、ドーサル・フイン(背びれ)につながる戦闘機タイプとなった。
 
 どうして、こんな形態を選んだのか? パイロットの視界が広くなり、混雑した飛行場での地上誘導に有効だったためとされている。 また「こんなパラソル型の片持翼で大丈夫か」という不安を受けて、TWAのパイロット、ラリー・フリッツは、宙返りや横転を含むテスト飛行を実施して見せた。
 
 この機体がアメリカ航空技術史上にその名を残すことになったのは、全金属製モノコック構造の胴体を採用していたためだ。TWAに納入された7機は、1932年10月から、大陸横断幹線につながるデトロト・トライアングルに投入れた。
160mph(258km/h)の高速巡航がキャッチフレーズだった。
 
 その頃アメリカや日本で使われていたフォッカーVllb3mやスーパーユニバーサル旅客機は180〜200km/hだったから、「ひかり」と「のぞみ」以上の差があったわけだ。 しかしアメリカ合衆国政府の方針変更で、単発旅客機の時代は1935年で終りとなった。
 
 
 ここでこの画の機体の航空会社「TWA」について追記しよう。
 
 TWAの初期の名称は「トランスコンチネンタル・アンド・ウエスタン・エアー」の略称で1930年にチャールズ・リンドバーグが技術顧問を務めていたことで有名だった当時の大手航空会社の一つであるトランスコンチネンタル・エアー・トランスポートとウエスタン・エアー・エキスプレが合併して設立された。
 
 そして1939年には、空の風雲児で大富豪のハワード・ヒューズに買収され、ヒューズ自らが、アメリカ大陸無着陸横断が可能な大型旅客機、ロッキード・コンステレーション開発の指揮を取るなど、積極的な航空業界のトップリーダーを目指したが、1939年第二次世界大戦の勃発により拡大路線は一時的に中断された。
 
 第二次世界大戦終結後、再び積極経営に戻り、1946年国際線への本格的参入が可能になると、それに合わせて社名をTWAは同じであるが正式フルネームを「トランス・ワールド航空」に変更した。
 
 その後、パンアメリカン航空等と並び、華やかな空の黄金時代を代表する航空会社として世界の空に君臨した。しかし、それは長くは続かず、航空業界は厳しい競争の時代に入り、パンアメリカン航空やブラニフ航空、イースタン航空などの大手航空会社は次々に破産や吸収合併により消えていく中で、合理化に努めなんとか生き延びていたが、遂に2001年ライバルのアメリカン航空に吸収合併され、歴史ある「トランス・ワールド航空・TWA」の名はこの世から消えることになった。

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