木製モノコック構造の流線型胴体に、支柱のまったくない片持式の主翼。こんな、当時の技術常識の意表をつく野心的な設計をしたのはジャック・ノースロツブで、後のノースロツブ航空機会社の会長である。 ベガの開発の当初の目的は、カリフォルニアからハワイまでの太平洋横断レースのドール・ダービー参加のためで、特別に設計されたものであった。
その初号機は220馬力のライト・ワールウィンド星型エンジンを装備し「ゴールデンイーグル」と名づけられ、期待の星であったがレースの途中、太平洋上で消息を絶った。 しかし、その後も幾つかのレースに挑戦・優勝し、1929年には燃料の無補給で37時間飛び続けた新記録もあり、また1933年にはウィリー・ポストが単独世界一周飛行7日と18時間49分(合計飛行時間115時間36分)の記録を樹立し、その後14年間破られなかった。
ベガは機体構造は同じであるが、1型から5型まで絶えず改良が繰り返され、その一つにむき出しだったエンジンにNACA式のカウリングカバーや車輪にはスパッツが装備され、益々スマートな外観になると共に空力的に大幅に向上し、また5型では後部乗客席が7席に増やされた。ベガは初期型から合計131機が作られた。
画期的な高速長距離機だったヴェガは数々の記録飛行に使用されたが、作品の真紅の機体は、アメリア・エアハートが女性として初の大西洋単独横断飛行に成功した時のもの。
彼女はその後、同じロッキードの10Aエレクトラ双発機で世界一周飛行に挑戦した。 ニューギニアのラエから太平洋上のハウランド島に向かう途中で消息を絶つた。日米関係が悪化しつつある時期だったので、"日本軍に捕まり処刑された"という説が長らく米国で流布されたが1992年になって機体の一部と彼女の靴が孤島で発見され、不時着後、救援が来ぬまま死亡したことが判明。半世紀以上を経て日本への誤解が解けたことになる。
そんな話は抜きにして、小池さんはたった一言「大好きなんです。この飛行機」と・・・。 |