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第八 バイオテクノロジーとバイオビジネス


**この項の目次**


一 バイオテクノロジーの果たした役割

農業は長い歴史の中から多くの植物や動物のうち役に立ちそうなものを選び、より一層有用な形質に変化させてきた。この結果野生植物の時とは比べものにならない程に生産量もあがり質も向上してきた。これは選抜によりより好ましい遺伝子を持った個体を繁殖に用いることにより次の世代は全体として好ましい遺伝子の割合が増し、より優れた形質を示すようになるからである。これも極めて広義にはバイオテクノロジーといえよう。しかし生物学の知識や技術の向上によりそれまでの生物を個体レベルで扱う段階から、細胞レベルあるいはさらに遺伝子レベルで操作できる段階に至るようになった。これら細胞や遺伝子レベルで生物を操作することがバイオテクノロジーである。

組織培養あるいは細胞培養と呼ばれている技術がある。これは動物や植物の細胞の一部を取りだして無菌状態で培養し、一つの個体にまで育てるものである。しかし、進化の進んだ哺乳動物ではまだ成功していない。現段階ではせいぜいカエルにおいて成功した事例がある程度である。しかし植物では動物に比べれば容易であり、植物の種類にもよるがかなりの成果をあげ、既に実用段階で用いられている。植物の細胞の一部を無菌状態で取りだし培養し増やす。これを切り分けさらに増やす。このことにより種子で繁殖するよりもはるかに多くの個体を得ることができる。しかも同じものから増やしたものならばそれらは遺伝的には全く同一である。このような特質を活かして蘭等の増殖培養に広く用いられている。以前はカトレア等の洋蘭は高価で一般庶民には手の届くものではなかった。所得水準の向上で買いやすくなったともいえようが、一方でこのようなバイオ技術により価格も安くなってきている。

また、植物はウイルス病に感染していても植物細胞の増殖とこれを追いかけるようにして感染するウイルスの関係から生長点を含む極くわずかな部分はウイルス病に感染していない状態(ウイルスフリーという)にある。この部分を切り取って培養してやればウイルス病に感染していない個体が得られる。植物によっては多くの個体がこのウイルスに感染しており、ウイルス病により際だった生育障害はあらわさないが生育が悪くなるものがかなりある。このような場合ウイルスフリー個体を作れば生産性の回復を図ることができる。この技術はイチゴ等に応用され、また馬鈴薯の種いも生産におけるウイルスフリー化にも用いられる等既に実用技術となっている。

また、植物の遠縁交配においては受精し胚ができても、それが成長しない場合がある。これを人為的に培養してやれば個体が得られる場合がある。キャベツとコマツナの交配による千宝菜がこの例として知られている。この技術により従来遠縁のため交配できなかったものが交配できるようになり品種改良の幅が広がったといえよう。

動物、特に家畜においては体細胞の培養技術により個体を得ることは現段階ではできないが、受精卵を用いた技術が発達している。受精卵は卵子と精子が受精したもので、これが母胎内で細胞分裂、分化、成長し個体となるものである。受精卵を用いた技術の基礎となるものは受精卵移植、即ちある雌畜から受精卵を取りだし、別の雌畜に移植するものである。この技術を用いれば優れた雌畜から多くの受精卵を取りだし、普通のあまり優れていない雌畜に移植することによりより多くの優れた形質の子供を得ることができる。また、牛は通常一回に一頭の子を産むが、受精卵移植を行えば双子を産ませることができる。

受精卵が細胞分裂しいくつかの細胞の塊となった段階でこれを二つに分け、それぞれを移植してやれば一卵性双子を得ることができる。またこの段階で個々の細胞に分け、それぞれが成長するならば多くのクローン(遺伝的に同一な個体群)をつくることができる。しかしこの段階では細胞はその後細胞分裂し、個体にまで発達していくための初期段階に必要な栄養分が欠けている。このため、これを核を除いた卵子(栄養源となる)と細胞融合させるという手法が用いられる。現在は実験段階で成功例が見られるに過ぎず、多くのクローンを安定的に作りだすには至っていないが、将来的には牛等の単胎動物(通常は一回に一頭の子を産む。このために品種改良の速度が遅い)において広く用いられることが考えられる。

またこのようにある細胞を増殖させる技術としてのバイオの他に、植物において異なった種類の細胞を融合させ、これを培養して一つの個体とするものとして細胞融合の技術がある。これにより二種類の生物の遺伝子を混合することができる。通常の交配では次世代が得られないような遠縁のものであっても交配できる可能性がある。しかし細胞分裂の過程で一方の遺伝子が脱落する等により細胞が融合したまま個体にまで成長させることが難しい場合もある。この技術の例としてよくあげられるのがトマトと馬鈴薯の細胞融合による「ポマト」であろう。これは世に喧伝されているように地上部にトマト、地下にじゃがいもの両方が収穫できる…ということを目的にしたものではなく、トマトに馬鈴薯の低温成長性を与えようとしたものである。しかし細胞融合には成功したものの、トマトの実もじゃがいもも出来は悪かった。細胞融合による実用的な作物が育成されるにはまだ時間がかかるように思われる。またこの技術により直接的に実用的な作物を育成するのではなく、育種素材として利用するという手法もある。むしろこの方が現実的であろう。

植物、動物ともにこのように細胞段階でのバイオテクノロジーは既に実用化され、あるいは実用化に移されようとしているものも多い。次は遺伝子段階である。これはある個体に別の形質を示す個体の遺伝子の一部を切り出して他の個体の遺伝子に合体させようとするものである。細胞融合もこの範疇に入るかもしれないが、これは遺伝子全体をセットとして合体させようとするものであり、特定の遺伝子を選択して利用しようとする点で違っている。特定の遺伝子を用いることにより特定の形質を付与することができる。この技術はより遺伝子構造が単純な微生物段階ではかなり進んできており、特定の酵素やホルモン物質等を効率的に生産する微生物も利用されている。高等生物である動植物でこれを活用しようとなればまず微生物とは格段に規模が大きく複雑な遺伝子の解析がなされる必要がある。日本において最も重要な作物である稲についても遺伝子解析が始められたが、長い年月が必要であるように思われる。

このようにバイオテクノロジーは今後の発達に期するところがまだ大きいものの、既に記したように農業においても大きな役割を果たしたきた。作物や家畜の品種改良には無くてはならない技術になってきている。その増殖にもかなり用いられてきている。私たちがそれとは知らずに日常的に食べている農作物や畜産物、あるいは花卉等のうちにはその品種改良や増殖の段階でバイオの技術が使われている。


二 農業におけるバイオの限界

私たちはバイオテクノロジーというと夢の技術のように思いがちである。特に育種においては。バイオを使えばどのような作物でもできる…。牛乳がいままでの何倍も搾れる牛ができる…。また従来の品種改良や増殖技術にとって代わるようなものと思っている人もいる。しかしバイオの技術はそのような夢の技術ではない。作物や家畜の品種改良に用いるにしても、従来の伝統的な品種改良技術が基本にあり、これに有力な技術が一つ加わったものと見るべきであろう。この技術を用いて従来交配できなかったものを交配したとしても、それが作物や家畜として有用かどうかは従来の選抜手法により行う必要がある。受精卵移植により多くの兄弟家畜が得られ、これを用いた選抜を行うにしても選抜そのものは従来からの技術である。いかに優れた家畜の受精卵が数多く得られたとしても、これを移植され実際に分娩するのは生身の雌畜である。分娩される子畜の数は分娩する雌畜の総数に制約される。生物の有する本来の特質を超越した性質を付与することはいかにバイオテクノロジーといえども不可能であることを知らなければならない。また原理的には可能なものであろうともバイオであれば今すぐに手に入れることができるというものでもない。

一つの技術が開発され活用される場合、その技術単独ではどうしようもない場合がほとんどである。周辺技術がしっかりしていることが必要である。私たちはえてしてトピック的な目立つ技術ばかりに着目しがちであるが、周辺技術も含めた全体を正しく見る必要があるように思われる。むしろ私がここでいう「周辺技術」こそが農業の本質的な要素に直結するものであると考えている。

またバイオは万能であるとばかりに、これにより無限の能力向上が図られるというような思いこみがある。しかしバイオテクノロジーはその対象が生物であるだけに、いかにそれによって能力を向上させようとしても生物そのものの本質に由来する限界がある。あくまでも限界の枠内でこれまでの手法では到達しえなかったレベルに挑戦しようとするものである。また私たちは生物のメカニズムについて完全な知識を有していない。また作物や家畜の品種改良は人間にとって有用な一部の機能にのみ着目して行われる。このため、バイオ等の技術を駆使して特殊な能力を付与したとしても、個体の全体的な生理的なバランスを崩してしまう可能性もある。例えば泌乳能力の極めて高い乳牛を作出したとしても、実際に乳を出させるためには極めて多くの栄養を摂取させなければならなくなり、濃厚飼料に偏した飼料を給与せねばならず、本来は牧草等の粗飼料を消化するように進化・発達した消化器官の障害をもたらす可能性もある。この点は遺伝子操作等が一般的に行われるようになった場合は更に問題となるのではなかろうか。

遺伝子操作ともなれば、それにより作り出された作物や家畜が何らかのはずみで自然界に出てしまい、生態系に及ぼす影響が懸念される。特殊な形質を有する作物が雑草化し自然界の植物相を変化させ、ひいては昆虫や小動物等の生態系全体をも変えてしまうこともないとはいえない。また除草剤耐性を有する作物から近縁の雑草に除草剤耐性遺伝子が移転されるという可能性もある。実際には遺伝子操作により作り出した生物については、事前にその点での安全性を十分に確認することが義務づけられているが、逆にこのことは遺伝子操作により作られた生物の問題点をあらわしているともいえよう。

バイオテクノロジーが作物や家畜の新たな可能性を引き出してくれることは否定しない。しかしそれは両刃の刃である。時に思いもかけなかった問題をつきつけてくかもしれない。しかも刃物でいえば剃刀の刃である。極めて鋭い切れ味ではあるが大きなものを切るには適していない。食糧生産の部分的な改善には極めて大きな貢献をするであろうが、その基本的な部分、即ち食糧生産体系全体を変革することはないように思われる。一方でその鋭さゆえに何か問題が生じた時は、極めて重大なものとなる可能性があることを指摘したい。


三 バイオテクノロジーとバイオビジネスの問題点

バイオテクノロジーは高度な技術である。 初歩的なバイオ技術である植物細胞の培養、増殖は蘭の増殖等に活用されており、すでに普及した技術となっている。しかしこのような技術でさえも多くの農家が気軽に取り入れられるものではない。遺伝子操作や動物の胚を操作する(初期胚の分割やクローン技術等)こと等は企業や国の研究所あるいは地方公共団体の試験研究機関であっても相応の技術や機材の整ったところでしかできない技術となっている。

更に先端的な技術開発となれば一層限られた大規模な研究機関でしか研究が行われていない。これは高度な技術の開発により莫大な収益を得ることができる反面で、その開発には多額の経費を要するということがあげられる。これが可能なのは大規模な国公立の機関か大企業ということになる。特に企業においては、それが将来の収益に結びつくとなれば多額の経費をつぎ込み研究を推進している。公的機関におけるバイオ技術の向上は、技術の基礎的な部分が主体となり実用技術の開発は相対的に少ないために、農業の実用面ではあまり目立ったものとはなっていない。遺伝子操作による除草剤抵抗性を有する農作物の開発や、「日持ちのする」トマト等の目立った技術開発のほとんどは大企業によるものである。

このように企業がバイオ技術開発の多くを独占することは、農業全体に大きな問題を引き起こすことになる。企業は自らが儲かることにのみ技術開発を進めることは行うが、農業全体を向上させる、あるいは来るべき未来に備えるための技術の向上と蓄積を図るということには全く無関心である。農薬会社が自ら生産する農薬に抵抗性のある作物を開発するということは、「もっとその農薬を使え」ということであり、その農薬に依存した農業生産の体系を農家に定着させようとすることなのである。このことは消費者の農薬を使わない農業への志向には全く反するものである。

これは「バイオテクノロジー」以前のものではあるが、雑種強勢を利用したトウモロコシのf種は食用、飼料用のとうもろこしの多くを席巻してしまった。種子会社の儲けは莫大なものである。しかし農家は播種する毎に種子会社からその種子を購入しなければならなくなった。種子会社とすれば農家における収量水準の向上は目的ではない。種子が売れ自らの会社の収益が増加することが目的なのである。前期の農薬抵抗性を有する作物の開発は、当該農薬の販売量を飛躍的に向上させるであろう。企業のバイオ技術開発が成功すれば企業に多くの収益をもたらす。 農家にも当面の利益をもたらす。しかし、その農家は企業に依存し続けなければならなくなる。

雑種の利用は種子会社を巨大なものとした。企業が農業バイオ技術を開発しようとするのは、まさにf雑種の利用を「良き」前例として、多くの収益を上げようとするものである。このことが企業の最大の目的である。

農業者側が主導権を握るのではなく、バイオ技術の根幹を企業が握るということは、単にその利益のかなりの部分が企業側に移転するということにとどまらない。企業は必ずしも農業にとって好ましい行動をとるとは限らない。多くの場合は双方の利益は概ね一致する。即ち農業が成り立っていかなければアグリビジネスも成り立ちようがないからである。このため、一方的に企業が農業サイドに不都合なことばかりを行うわけではない。 しかし、企業は企業論理、即ちどこに投資すれば一番儲かるかということで行動する。儲からないとなれば、それが農業側においてダメージを被ることとなっても、当該資材の販売を中止したり、あるいはその分野から撤退する。あるいは撤退せざるをえなくなる。 その場合は当該資材(種子等)の供給を受けていた農業側はこれまでのやり方を継続することは不可能となってしまう。

高度な技術が企業に偏している状況では、このようになることは必然ではあるが、その中に大きな不安定要素を抱えていることに心しなければならない。

また、人間の叡智は自然の全てを明らかにしたわけではない。最近のバイオテクノロジーの発達は目を見張るものがある。しかしながらその技術が長期的にどのような影響を及ぼすのかはわかってはいない。化学的に安定で無害とされたフロンガスがオゾン層破壊や地球温暖化の大きな原因となっていることをみてもわかるように、技術を開発した当初は思ってもみなかった副作用があらわれることも少なくない。生物分野においても将来において自然生態系に予想外の大きな影響を及ぼす危険性は少なくないのではなかろうか。しかし、バイオ技術を開発する企業側はこのことを無視し続けている。

一つ例をあげてみよう。昨今遺伝子組み替えにおいて農薬抵抗性遺伝子を組み込んだ作物が開発されてきている。このような作物から、農薬抵抗性遺伝子が何らかの形で他の動植物に転移しないとも限らない。そのようになった場合の生態系はどうなるのかについては全く関心を示してはいない。そのような企業、あるいは関係する研究者は「他の植物に遺伝子が転移することは起こり得ない」との見解をとっていることであろう。

しかし、生物進化の長い歴史の中では、細菌やウィルス等を介してある生物の遺伝子の一部が他の生物に取り込まれたりすることはあり得ることなのである。あるいは遠縁で通常は交配しないとされている植物の間でも極めて稀ながらも交配し、別の植物に遺伝子が取り込まれることもありうるのである。

かつて殺虫剤が登場したとき、これで害虫の被害は無くなるだろうと思われたに違いない。しかし、虫の方でも薬剤抵抗性のあるものが出てきた。また殺虫剤は害虫、益虫の別無く殺してしまう。当然問題となる害虫の天敵も殺してしまう。薬剤抵抗性のある害虫が出てきた時は、殺虫剤を利用するようになる以前にも増して被害は甚大になることもありうるのである。過去におけるこのような殺虫剤で生じたことと同じ様なことがバイオ技術でも生じないようと誰がいえるであろうか。

家畜におけるバイオテクノロジーは受精卵移植技術を核として進展してきた。受精卵移植技術が一般化し、優良とみなされる個体の遺伝子のみが次世代に伝えられるということがこれまで以上に加速するであろう。しかし、このことは当該家畜が特定形質(遺伝子)に偏してしまい、将来役に立つかもしれない、それ以外の遺伝子を抹殺しかねない。植物でも同様。野生動植物の家畜化・作物化の中で遺伝子がセレクトされてきたが、バイオ技術がそれを一層押し進めることになる。(従来技術ではそれは緩やかに進み、人間の叡智も働くことができたが、バイオ技術の実用面での応用は、それが一挙に進み、取り返しのつかないことにもなりかねない)

また、家畜におけるバイオテクノロジー技術の開発と実際の応用は、そのまま人間にも適用されるものが多い。実際に体外授精や受精卵移植等も行われている。クローンや遺伝子操作技術が実用技術となりつつある。このような技術は人間にも応用が可能である。人間への適用には倫理上の観点から制約が加えられるべきであるが、一方で人間にも適用したいとの一部の人の思いも強くなるであろう。遺伝子に由来する難病対策等のように人間に適用することにより有益とみなされる技術もある。しかしその技術は悪用されれば人類全体にとって大きな問題となる。これからの技術の開発・向上はバイオ技術をより身近なものにするであろうが、一方でそのことは人類の歴史という長期的な視点からは深刻な問題を引き起こす可能性が大いにある。畜産サイドだけでなく、医学及び倫理・哲学の面からも慎重に検討を加えることが必要となってこよう。


四 どのように推進するか

バイオテクノロジーは有効に使えば農業技術の向上に大きく貢献するものである。しかし、その高度な技術の開発は多額の経費を要することから、大企業や国公立の研究機関等の大規模な研究組織でしかできず、特に実用技術の多くが企業に握られてしまっている。このような企業における多額の経費と人材を投入した技術開発により、今に見られるような高い技術が開発されたことは確かである。その企業側における動機としては研究開発には多くのコストがかかるが、成功すれば莫大な収益があがることがあげられる。しかしながら、技術の多くを企業が握っているということはバイオテクノロジーを農業全体の向上に役立てようとするのではなく、そこからいかに企業の利益を得るかということに使われることになる。

一方においてそのような競争原理に裏打ちされた企業の技術開発に向ける力を削ぐことなく、他方で真に(日本の、そして世界の)農業のための技術開発を振興するためには何らかの公的な対応が必要とならざるを得ない。国公立の農業関係及び生物学関係の試験研究機関や大学等においては既にバイオテクノロジー関係の技術の試験研究を行っている。しかし、それらの多くは基礎的なものであったり、あるいは限られた専門領域のものとなっており、すぐに実用技術に結びつくものは少ない。あるいはトピックス的に実用レベルの技術がその中から生まれたにしても、それは将来の農業に影響を及ぼすような大きな技術ではないように思われる。国立の家畜改良センターにおいては、受精卵移植関係の技術開発を行っているが、これにしても既に民間が先行しており、この中から大きな技術体系が生まれるとは考えにくい。国公立の試験研究機関はそれぞれの分担があり、一つの技術開発に向けて連携協力することはなかなか難しい実態がある。

このようなことから、一方では国公立機関におけるプロジェクト研究を充実し、一つの目的に多くの関係する試験研究機関が参画できるようにするとともに、新しい研究開発の「芽」を出しやすくするための経常研究費を今以上に手厚くすることが必要である。また、民間の研究機関に対してもこのようなプロジェクト研究に参画することを積極的に進めるとともに、民間会社単独でも農業全体の役に立つような研究を行う動機付けとしての補助・助成制度を確立することが有効であると考える。


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