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まえがき

食糧は人間が生命を保つために空気や水と同様に欠かせないものである。従って食糧を生産する農業は、産業の中でも最も重要なものとして位置づけなければならないと考えている。我々の消費需要に占める食糧の割合はかってない程に低下してきている。このことは産業全体における農業の地位が低下したことと表裏一体の関係にある。しかし、食糧の経済的地位が相対的に低下したということは、食糧が我々にとって必須のものでなくなったということを意味しない。

さらに農業そのものは自然の営みと人間との共同作業であり、自然に対する配慮なしには継続的な農業は望み得ない。また農業はただ食糧を生産するのみでなく、上手な営みがなされる限りにおいて環境を維持保全する機能を有している。また歴史的に見ても他の産業発展の後支えとなり、地域社会の維持、保全、活性化や各地における文化を醸成してきたことも事実である。

現代においては農業に対する攻撃があちこちでなされている。農に縁なき文化人、経済人であれば農業批判の一つでもしたくなるのであろうか。自由主義経済の下、国内生産するのも輸入するのも同じであり、国産するより安ければ輸入すればよいではないか…という声も聞かれる。しかし、食糧や農業の有する特質を理解すれば、嗜好品的なものを除いた特に重要な部分については、その重要度に応じて……重要度の高いものは極力……国内自給すべきものと考える。歴史をひもとけば食糧及び農業のこのような重要性に対する洞察を欠き、農業の衰退を招いたために滅びた国や文化も数多い。 現在、世界的に見ても社会主義、計画経済の崩壊に伴い、自由主義経済が万能であり、すべてを「見えざる手」にゆだねればよいのであって、農業をも含めて公的機関によって規制が加えられることは悪であるというような主張もされる。しかし、現在の自由主義国家においても、その欠陥を補うために社会主義の良いところを取り入れたことにより今日の健全なる発展があったのではないかと思う。特に円高等、農業外の要因が主要な原因となって、相対的に対外競争力の弱くなった農業、しかし極めて重要な農業については、何らかの配慮も必要ではなかろうか。

このように一方において農業を守る必要はあるものの、農業内部においても改善すべき点も数多く見受けられる。他産業とのコスト競争のためにはやむをえなかったのかもしれないが、収益主義、効率主義をとらざるを得ず、資材多用型の農業に変質してしまい、自然の中で、自然に育まれながら行われてきた農の営みがいつの間にか自然を害するようにもなってしまった。また農業に対する魅力を失った人が多くなり、後継者不足、離農、地域の崩壊等の事態を招いている。硬直した農業施策等もそれらの理由の一つにあげられよう。

このような中にあって農をもう一度見直し、農業をより良い方向に向け、国民の好意的な理解を得るのが私の望みでもある。

私としては一度食と農に対する思いなり考えを文字として表すことにより、心の中を整理してみようと思い、ここに書き連ねてみた。もちろん文筆については素人でもあり、これだけの文を書きしるすのは初めてのことである。読みづらい点もあるが御容赦願いたい。


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