Last UpDate (09/04/10)
「はい。ここは、退くわけにはいきませんよ」
闇の中。鈴の音のような、澄んだ、しかしどこかおっとりとした声が、誰にともなく呟く。
白魚のような細い指が腰の刀に手をかけると同時に、彼女の周囲に四つの光球が白い光を放ちながら浮き上がり、闇を照らし出した。
光の中に現れたのは、巫女装束に身を包んだ少女と、それに対峙し炎のようにうねり狂う異形の存在。
その背後では、無残に破壊されたスクーターが煙を上げている。
――みんなが居なくても……今日は、負けるわけにはいかないんですよ。
親指が、刀の鍔を押し上げる。
「我が身体、既に鐵<てつ>なり。我が心、既に空なり。……天魔伏滅!」
白い鞘から覗いた眩い光が、鋭くほとばしる。
先に不意打ちを受けて傷ついた右肩が、鈍い痛みを訴える。じわり。と、装束に朱が滲む。
異形は、周囲に霧のようなものを撒き散らしながら、様々な生物の部品を練り合わせた肉塊とでも言うべき己の身体を、ひねり、うねらせ、広がる。
――負けない。……負けられない。
「東軍流、明星みなも。推して参る!」
強く叫んだ彼女の言葉に逆らうかのように、異形が巨大な口を開く。地の底から響き渡るような低い咆吼が、これから始まる激しい戦いの幕開けを告げた。
* * *
少女の名は、みなも。権現家康ゆかりの地である小江戸市喜多院にて、神仏一体の神事を勤める巫女である。
持って生まれた役割とはいえ、彼女は日々を幾重にも規則に縛られ、禁欲的な生活を余儀なくされていた。
……とはいえ、みなもも高等部に進む年頃になり、ようやく多少の分別在りと認められたため、僅かながら自由が許されるようになった。
その日もいつもの通り、冬の冷たい空気を切り裂いて、巫女装束を纏ったみなもを乗せたスクーターが、ファミレス『ハッピーリアラズ』通称<はぴりあ>へと乗り付けた。無造作に一つに縛った金の髪を尾のように揺らしながら、裏口から急いで駆け込むみなも。
「うー、寒〜。おはよう御座いますですよ〜。……ふぅ。ギリギリせ〜ふ」
タイムレコーダーの時計を見て、ほっと一息。ほとんど走っていないはずなのに、肩で息をしている。
<学校帰りに、夕方から宵の口までのほんの短い間、ファミリーレストランでアルバイトをする>
それが、彼女の規律正しい生活に組み込まれることを許された、小さな自由であった。
みなもは、はぴりあの制服に着替え……ようともせず、巫女装束のまま消毒を済ませるとキッチンへと入っていった。
……別に、彼女の家に「常に巫女装束を身に纏え」という規律が有るわけではない。彼女は自らこの、ともすればコスプレとも取られかねない衣装に常に身を包んでいるのだ。彼女いわく「面倒だから」という理由で。朝も神事、帰ってからも神事。着るのが面倒な巫女装束にいちいち着替えるのを、彼女はとても嫌がった。就寝時に寝間着に着替える以外は、学校でもバイトでも、朝から晩までずっとこの姿だ。
学校側もはぴりあ側も、最初は何とか彼女に着替えをさせようとしたものだが、慣れとは恐ろしいモノで、一月も経てば最早誰も咎めるモノは居なくなっていた。諦めた。という言い方も有るが。
それでもみなもがそれぞれから排除されなかったのは、彼女の家が地元の名士として大きな力を持っているから……ではなく、単に彼女の通う迦具土学園やはぴりあが、そういった特異なものに寛容な組織だったからというところが大きい。
みなもは、そんな迦具土学園やはぴりあ、そしてそこに居る仲間達が大好きだった。
「みなも! た、大変じゃぁ」
美しい緑の髪と大きな瞳が特徴的な、小さな女の子と表現して差し支えのない少女が、キッチンに入ってきたみなもを見て、今にも泣きそうな声を上げた。
「はい。てあさん、どうしたんですよ?」
「皆が、皆が……死んでしもうた――――――――――っ!」
「えぇーっ…………!?」
おっとりとした受け答えのまま、おっとりと驚き、そしてちょっとしてからようやく目を見開くみなも。
言葉の重大さに、しばらく理解がついていかなかったらしい。
目に涙を溜めるてあさんを連れ、急いでフロアへ。……成る程、みんな死んでいる。
……などと、落ち着いている場合ではない。店内に居る者が、お客から店員まで全員が、床にテーブルに倒れ伏している。その中には見知った顔も多く見受けられた。クラスメート、ご近所さん、そしてはぴりあの仲間達……。
「店長……夕美さん、まなもちゃん……そら……さんっ」
その様子を見たみなもは、思わず店内に駈け入ろうとする脚を、ドアノブを握る手にグッと力を込めて押しとどめた。
力一杯ドアを閉め、てあさんに向き直る。
「……てあさん。良いですか、良く聞いて下さいよ。すぐにお店を閉めて下さい」
「なんじゃ?」
倒れている者達を無視するかのような、普段のみなもらしくもない行動に、戸惑った声を上げるてあさん。
みなもは、胸を押さえ、言った。
「みなさんとても弱っていますが……。でも、死んでいるのではありません。僅かに息がありました」
「じゃが、わらわの生命活性術やレスタでは治らなかったのじゃっ」
「はい。僅かに神魔の術の痕跡があったですよ。恐らくあれは「神敵」病<やみ>の仕業。仮死状態に陥る不治の病を蔓延させて、じわじわと人々を腐らせ、やがて国を殺す恐るべき神魔ですよ」
「神魔とな!? わらわの他にも神が!?」
「はい。お爺さまが一度滅した話を聞いたことがあります。状況から見て間違いないですよ〜。きっとこのままだと、周囲やお店に入ってきた人たちも……。てあさんの術は全く大系が違うから神魔には効果を現しませんけど、逆もまたしかり。てあさんだけが無事なのがその証拠ですよ」
普段と変わらない柔らかい口調。だが、胸を押さえる手の震えは、彼女の動揺の大きさを映している。
てあさんの目を見つめる鳶色の瞳には、強い感情が見て取れた。
てあさんは、大きくうなずいた。
「解ったのじゃ。そういう事なら、ここはわらわに任せよ」
「はい。お願いしますよ〜」
扉を開けて、店内に歩いていくてあさん。ふと立ち止まって、振り返った。
「……みなも。わらわ一人では、皆が目覚めた時に料理を運び切れん。早く帰ってくるんじゃぞ」
「!……はい。もちろんですよっ」
てあさんの優しい笑みに、みなもはちょっと驚いた顔をして、しかしすぐに、それに負けない素敵な笑顔で答えた。
* * *
戦いは半時に及んでいた。
異形……「神敵」病<やみ>にはすでに、みなもの光球が変じた無数の光の矢が突き刺ささり、地に縫い止められて体の自由をほぼ奪っている。一方みなもは、切り裂かれた体の流血と、やみの撒き散らす霧状の病原体によって、体力的にも精神的にも限界まで追い込まれていた。
片膝を付き、折れた刀を杖にうずくまったまま。動けない。
「私の病にここまで抵抗するのは、貴女が初めてでした。しかし、戦いは私の勝ちですね」
やみの声は、意外にも涼やかな女性の声であったが、しかしその印象はまるで冷たい氷のようだ。
「貴女はもう一歩も動けない。そのままそこで腐していくと良いでしょう。さようなら、強いヒトよ」
「……はい。さようならですよ」
自嘲ともとれる、小さな声が返った。しかし、
「私が、何の考えもなく、こんなところにお前を誘い込んだと思っているんですよ? ちゃんと戦う準備ぐらいはしてきてますよ〜。……ようやくお前を縛り付けられた。コレでみんな助かるですよ」
彼女の目は、強い光を保ったまま、やみを見据えていた。
周囲は、見渡す限りの枯れ野原……いや、夏には田んぼであった土地。
やみは、その体にいくつもある様々な形の目を、全て見開いた。そして、呪詛を叫んだ。
「おのれ、娘ぇぇぇっ!!」
みなもの手に、小さな炎を灯すマッチ一本。
枯れ草に落とすと、見る間に燃え広がっていく。そして、再度みなもの周囲に、光球がぼうと弱い光を宿して浮かび上がった。その光は、まるで彼女の命の灯火のように見えた。
「火界浄化法。消え去れ、「神敵」病<やみ>」
光球が、燃え広がっていく枯れ草に吸い込まれるように消えると同時に、火がごうと音を立てて巨大な火柱となり燃え上がった。
光の矢に体を地に縫い付けられた巨大な肉塊と、血にまみれた動かぬ巫女を、橙の炎が美しく染め、大波の押し寄せるがごとく呑み込んでいった。
* * *
定時には深夜シフトのバイト仲間と交代し、その日のバイトも、普段と同じように何事もなく終わった。
「今日もお疲れだったな、夕美、そら、みなも」
はぴりあ西小江戸店を仕切る名物店長旋璃亜が、にこやかに裏口まで皆を送る。
それぞれに挨拶の言葉を残して帰っていった皆の背中を見送りながら、一人眉を寄せる旋璃亜。
「なあ、ティアマット。今日、何か起こった……ような気がするんだが」
「う、うん? な、何の事じゃ? きょ、今日は何もなかったぞ。わ、わらわは隠し事などしておらんぞ、本当じゃ」
あからさまに挙動不審なティアマット(てあさん)を怪しみつつも、店内へときびすを返す旋璃亜。
今日は夕刻に何か違和感があったのは確かだ。みなもが大遅刻してきたのも珍しい。……遅刻すること自体は珍しくないものの、今日ほどの大遅刻は今まで無かった事だ。
――そういえば、今日はみなも、歩いて帰ってたな。いつもはスクーターなのに。それに、今日のみなもは珍しく制服を着ていたな……。
「……まあ、良しとするか」
旋璃亜は、何か満足げにふぅとため息をつくと、未だに一人あわあわと慌てているティアマットと共に、店の中に戻っていった。
Copyright(c)2005~2009, オリジナルイラストサイト 「勇者屋本舗」 All rights reserved.