『ガクらん』   <PRE  NEXT>



 4・胸に七つの傷を持つ男。



 高校二年生になった。


 彼――武田健四郎は、その、某世紀末救世主と同じ名前を、子供のころからよくからかわれてきた。
 たとえば、突然わけもなく友達から、「あたたたた!」と拳を繰り出されたり、逆にこちらが触っただけで、「ひでぶ!」と叫ばれたりすることは、うんざりするほどいつものことだった。
 子供というのは、自分の周囲に、気軽にからかうことができる対象を見つければ、それを決して見逃さない。
 健四郎自身が、その大人気漫画を読んでいなかったことも、状況をさらに悪化させた。友達らが、いかに健四郎に対し「退かぬ! 媚びぬ! 省みぬ!」と、しつこくその漫画のネタを振ってこようとも、対応のしようがないので、困るしかなかった。
 とはいえ、健四郎には人望があったのか、それで友達が離れていくということはなかった。しかしそれが、小さかった健四郎にとって、幸いだったかどうかもわからなかった。
 とにかく健四郎は、その名前にちなんだ方法で、ひたすらにからかわれ続けてきた。たとえば、「岩山両斬破!」と叫ばれつつチョップを頭に打たれたり、「今だ砕!」というわけのわからない掛け声とともに空中(ジャングルジム)から攻撃を喰らったり、「蒙古覇極道〜!」と叫ばれながら単なる体当たりを叩き込まれ、それを見守る友達が「みたこともない闘技!」と驚愕し、これのどこがみたこともない闘技なんだろうとひそかに思ったりと、様々に不愉快な思いをしてきたのだった。
 健四郎は、当然のごとく、自分の名前が嫌いになった。
 自分に全く通じないコミュニケーションを押し付けられるのも不快ではあったが、それ以上に、自分のことを、「武田」ではなく「北斗」と呼ばれるのが嫌だった。自分のアイデンティティが確立しきっていない小学生の男の子にとって、それは、自分の苗字、すなわち自分の存在を意味しているものが、なにかわけのわからないものに踏みにじられているような気分にさせられることだった。だから、ちゃんと本当の名前で呼べと言うと、「ケンシロウ」と、すなわち本名で呼ばれ、結局は嫌な思いするだけだった。
 健四郎は、そんな名前をつけた親を恨めしく思った。あるとき母に、なぜ自分をこんな名前にしたのか尋ねたところ、すでに亡くなっている父がそう決めたのだと言われた。当時の健四郎は、自分が物心つくまえに死んでしまった父のことを、ほとんど憎んでいたといってよかった。名前のこともあるし、他にも色々と理由があり、父という存在に対し、嫌悪といってさえよい気持ちを抱いていた。ただし、高校生にもなった今では、もうそんなことはない。
 そんな健四郎は、繊細な感性の持ち主だった。格闘ものの漫画などよりも、図書室の児童文学や、少女漫画の方をむしろ好んでいた。名前でからかわれるようになってからは、その傾向がますます強くなっていった。ある程度長じた今でこそ、下世話な漫画にも親しむようになったし、その同じ名前の主人公が出る漫画も読み、これはこれで面白いと思えるくらいにはなったが、しかし当時は、こういう男の子の好むようなもの全般に嫌悪感すら抱いていた。
 何が嫌かというと、単に叩かれたりするだけではなく、自分に対しても、こういう乱暴なリアクションを期待されることだった。自分の名前はどうも、ヒーローとして、悪党どもを退治しなければならないものらしかった。そんなことを言われても、健四郎はその元ネタを知らないのだった。しかし、それ以上に健四郎は、たとえ冗談とはいえ、人をむやみに殴ったり蹴ったりすることに抵抗感があった。
 その漫画ごっこに限らず、小学生の男の子というのは、えてして乱暴なことを好むものだ。健四郎は、そういうものに馴染むことができず、なるべく女の子と遊ぼうとした。女の子たちの感性は、健四郎には受け入れやすいもので、楽しく遊ぶこともできた。
 しかし男の子たちは、決して健四郎のことを見逃してはくれないのだった。女の子と仲良くおしゃべりしているところへ割り込み、そこから引きずり出そうとするようなこともしばしばだった。
 それを見かねた女の子たちが、男の子たちに抗議するということも、よくあった。
 どうも健四郎は、男の子、女の子の両方に人気があったらしい。今にすれば、それはなかなか嬉しいことだったのかもと思えるが、当時の健四郎にとっては、そんな風に、自分が原因で友達たちが対立するというのは、辛いものがあった。自分はどっちつかずの半端者。そんな思いが、繊細な心をさいなんだ。
 女の子の友達に一人、健四郎のことをしっかり守ってくれる、強い子がいた。
 女の子たちのほとんどは、健四郎と同じく、乱暴な男の子たちを前になすすべもなかったが、彼女だけは別だった。決して乱暴なことはしない。しかしそれでいて、男の子たちから手を出されれば、ぴしゃり、とそれをはねのける。どんなことをされても、常に毅然としていた。
 そして何よりも、言うことがしっかりとしていた。しかも、決して高圧的な態度は取らない。その子に言い含められると、男の子たちも、しぶしぶ引き下がった。
 健四郎にとっては、むしろ、彼女こそがヒーローだった。
 彼女とずっと遊んでいたかった。彼女といっしょにいれば、自分は、男の子たちから嫌なことをされることもなかった。快活で明るく、決して嫌なことはしない彼女と遊ぶのは、とても楽しかった。
 この年頃で、女の子とばかり遊んでいれば、当然のごとく「あいつとこいつはデキている」というような噂になる。健四郎は最初、それがとても恥かしかったのだが、彼女がな全く動じないので、そのうちに気にならなくなった。そういう嫌なことからも、ちゃんと守ってくれるのだ。はたからからかわれるくらい、どうということはなかった。
 しかし健四郎は、彼女が初恋の相手だったとは思っていない。
 あえて言うならば、憧れの対象だった。彼女は、自分を守ってくれるヒーローだったのだ。これで健四郎が女の子だったとしたら、あるいはそういう感情を抱いていたかもしれない。しかし、なんだかんだいって健四郎は、自分が男の子であるという自覚を持っていた。変なところでフェミニズムを持っており、女の子とは、守ってあげなければならない存在、という思い込みのようなものがあった。だから、彼女のように強くなりたいという思いはあったが、少なくとも、恋という感情を抱くべき対象ではないと思っていた。恐れ多い、という感情に近かったかもしれない。
 もっとも、当時の健四郎は、単に精神的に幼かっただけ、というのもある。ひょっとしたら、そのまま月日が経てばこの関係は、ちゃんとした恋と呼べるものになっていたかもしれない。
 そうなる前に、その子は転校してしまった。
 とても悲しかった。別れの悲しさももちろんあったが、それ以上に、自分を守ってくれる存在がいなくなってしまうということが、健四郎には辛かった。
 でも健四郎は、お別れのとき、涙を必死で堪えた。泣けば彼女は、身を切られるような思いをしてしまうに違いない。だから、必死で堪えた。
 彼女は、泣いていた。健四郎は、その子が泣いているのを初めて見た。とても悲しそうだった。
 最後に「ごめんね」と言って、健四郎にお別れをした。
 その日の夜、健四郎も自室で、一人で泣いた。別れのときに堪えていた涙も、全部あふれ出た。しかし、それだけではない。もっと違う理由でも、涙を流していた。
 自分は、なんて情けない男だったのだろう、と思い知らされたからだった。
 自分があのとき、涙を堪えていたのはなぜだろう。彼女が最後、「ごめんね」と言ったのはなぜだろう。今までの自分は、ただひたすらに、守られるだけの存在だったからだ。もう、守ってあげられなくて、ごめんね。つまり、そういうことなのだった。健四郎も、彼女がそんな風に思うだろうとわかっていた。だから、涙を堪えたのだ。
 涙を堪えたことは、ほとんど何の意味もないことだった。結局、彼女は深く傷つき、悲しみながら、自分と別れなくてはならなかったのだから。自分は、彼女に何をすることもできず、ひたすら守られ続けて、そして最後に傷つけた。
 たとえば自分が、もっとちゃんとした人間だったら、どうだったろう。逆に、彼女のことを守ってあげられるほどに強い男だったら。
 涙はあったかも知れない。別離の悲しみは変わらなかったろう。しかし、あんな悔やんだような涙を流させることは、なかったのではないか。「ごめんね」なんて言わせることは、なかったのではないか。
 彼女は健四郎にとって、かけがえのない存在だった。そんな彼女を、自分の弱さが深く傷つけた。
 自分の弱さが、心から憎いと思った。自分を守ってくれる存在がいなくなる、なんて理由でも悲しんでいる女々しい自分の心を、叩きのめしてやりたかった。
 強くなろう。守ってもらうなんて情けないことを、二度と思わないようにしよう。健四郎は、そう決意した。小学四年生の冬のことだった。
 まず、自分の名前と戦わなくてはならない。相変わらず、そのことでからかわれ続けている。今までは、それを嫌悪するだけだったが、これからは、もう少しまともに向き合おうと思った。どうせこの名前は一生ついて回るのだ。好きにはなれないだろうが、せめて、うまく付き合っていかなければならない。
 小学校高学年、そして中学校と、年を重ねてきた。内面的には、あまり変わらなかったかも知れない。相変わらず、ひそかな少女趣味は続いていた。しかし、少なくとも表面上では、健四郎は少しずつ、男の子の粗暴さともつきあっていけるようになっていた。一人称も「僕」から「俺」になり、言葉遣いも、普通の男の子のような粗野さを帯びてきた。
 名前のことでは、やはりからかわれ続けた。決して快く思うことはなかったが、しかし中学校に入るころには、元ネタの漫画も読破し、それに対応できるようになっていた。ある日、クラスメイトの平べったい顔の寄り目な男に、名前をからかわれたのに対し、「うるさい。俺はカニ料理は好みじゃないんだ」と答えることができたときには、ちょっとした感動さえあった。
 かつてのように、女の子に混じって一緒に遊ぶ、ということもなくなっていた。それはそれで、思春期の少年としては、色々と複雑な思いがあったが、普通の中学生の男子としては、当たり前の事だろうとも思った。
 ふと、彼女は今、どうしているだろうと、しばしば気になった。
 彼女と再会して、胸を張っていられるくらいの強さ。それはまだ、自分には全然ないように思えた。今の自分は、表面上をごまかしているだけである。その内面は、あいかわらず女々しい。人を守ってあげられるような大きさとは、まるで遠いとしか思えなかった。かつて、すでに人を守れる強さを持っていた彼女である。今はきっと、さらに強くなっているに違いない。健四郎は、かつて憧れたヒーローに対し、負けたくないという気持ちを抱いていた。今の自分ではまだ、勝つどころか、挑む資格さえないとも思いつつ。
 健四郎は、自分の内面を、ほとんど外にさらけ出せないのだった。たとえば、自分のひそかな少女趣味は、とても友人達には教えられなかった。今でさえ、なんとかやっていってるのだ。これ以上、弱みを晒せなかった。たとえばTVでは、本当は動物番組などが好きなのだが、友達と話題にするのは、流行のドラマやバラエティーの番組だけで、それについていくために、無理してそういう番組を観ているふしがあった。本当の自分を、どこかで、殺しているような気がしていた。
 誰におもねることもない自分でいること。それでいて、人に優しさをもたらすことができること。それが、健四郎が目差す理想の一つだった。いつかなりたい、自分の姿。
 そんな理想も、自分の現状を省みると、なんだか虚しいという気がした。でもせめて、理想を抱き続けることだけはしよう。そう思いつつ、日々を過してきた。
 中学校を卒業し、昭葉学園に進学した。
 昭葉を選んだのには、いくつかの理由があった。家からわりと近いこと。偏差値的にも、自分に見合っていたこと。そのあたりのことが、だいたい大きな理由だった。
 そして、そんな理由の中に、昭葉生徒会へのひそかな憧れがあったことを、健四郎は否定できなかった。そういうものに、健四郎は心惹かれてしまうのだ。少女じみた憧憬の念は消しがたかった。
 しかし、それだけではない。そういった憧れを一身に集める、噂に名高い昭葉生徒会の方々。どんなにすごい人たちなのだろう。そんな人たちと同じ学び舎に通い、何かを学ぶことができたなら。そういう思いも、昭葉へと進路を決める一因だったように思える。
 いざ入学した昭葉学園は、居心地の良い場所だった。やはりここでも、名前のことはよくからかわれるのだが、そんな中でも、きちんとそれなりの配慮をしてくれるような友人が多かった。そして、何よりも楽しかった。気の良い連中ばかりで、健四郎も、無理をしてみんなについていく、という風にはほとんど感じなくなっていた。どちらかというと女子生徒の方が多く、かつて女子校だった頃の名残もほのかに感じさせるところがあり、それも健四郎にはむしろありがたいことだった。
 健四郎は、楽しい日々を過していた。
 そんなある日。健四郎の生活は、大きく変わることになった。
 入学してひと月もしないころ。昼休みのクラスに、突然の来訪者があった。
 昭葉生徒会の、北館聡美先輩だった。
 健四郎も当然、北館先輩のことは知っていた。まだ二年生ではあるが、その親しみやすいキャラクターから、すでに現職の生徒会三役に引けをとらない人気を集めている人。『佳人』なんて二つ名を持ちながら、どこか、溢れんばかりの快活さを漂わせている彼女に、健四郎も、その他多くの生徒と同じく、憧れを抱いていた。
 クラスは騒然としたが、北館先輩は、それにまったく臆することなく、むしろクラスのみんなに愛嬌を振りまいてくれた。
 健四郎は思わず、率先して応対していた。
 なんのご用でしょう、と声をかけられた北館先輩は、一瞬、おや、という顔になった。そしてすぐ、笑顔を浮かべた。
 自分を見つめる綺麗な瞳に、健四郎はどきどきした。なにせ、憧れの人が目の前にいるのだ。嬉しさと緊張が、健四郎を高ぶらせた。
 そして北館先輩は、健四郎に向かって、こう言ったのだった。


「ふむ。アナタが、胸に七つの傷を持つ男ね?」


 ――その日から、およそ一年が経とうとしていた。
 波乱に満ちた一年だった。



<PRE  BACK  NEXT>