『ガクらん』   <PRE  NEXT>



 3・変わらぬ友情と、噂話。



 入学二日目。新入生歓迎集会が終わった後の、昼休み。
「ああん、もうっ、本っっっ当にステキだった! 昭葉に入って良かったよー!」
 新一年生、習志野さえは、自らの心中を貫く喜びを、全力をもって表現していた。
「めぐちゃんもゆーちゃんもそう思うでしょ? 否々、皆まで言わなくてもいいわっ。この心を揺さぶるどきどきわくわく、通じてるわよ分かちあってるわよシェアってるわよー!」
「お前といっしょにするな」
 やれやれとでも言いたげに、けたたましく喜ぶさえをいさめるのは、同じく新一年生、津島夕子。
 キリリとした風貌。仕草や喋り方も含め、さえとなにもかもが正反対の少女だった。
「なによー。ひっどい言い方じゃないのー。自分はもう剣術部でお目通りがかなっちゃってたからって」
「それはそうだけど、そんな不純な動機でお会いしたわけじゃない」
「あーもー、そうですかー。剣道少女さんは、ストイックでかっこよさげよねー。いいもん、わたしたちみたいに、コバルト文庫を卒業できない乙女軍団は、素直に胸をときめかせてキャーキャーいって騒ぐから。それはもう盛大に」
「人に迷惑をかけない程度にな」
 一人で盛り上がるさえに、それをジト目で見る夕子。
 同じく一年生の恵は、そのやりとりを、傍らで苦笑しつつ眺めていた。
 恵。さえ。夕子。この三人は、中学時代からの親友だった。
「めぐちゃんも、いっしょに騒ぐ派よねー?」
「……えっ!? う、うーん」
 突然話を振られて、少しだけたじろぐ恵。
「昭葉といえば生徒会! 昭葉生徒会といえば乙女の憧れ! これにときめかないとしたら、何のために昭葉に入学したのか分からないといってさえ過言ではないわよね、そうよね? 激しく切なく狂おしいほどに同意よね!?」
 そんなことを意に介さないさえは、当然のことのように、恵に同意を求めてくる。
「う、うん。さえちゃんの気持ち、わかるよ。私も、すっごいドキドキしたもの」
「でしょ、でしょー! ドキドキしたでしょ、ビビビってしたでしょ、ズッキューンと来たでしょー!?」
「やかましいっての」
「あはは……」
 そして、そんな二人を見て、苦笑いをする恵。
 同じく新一年生、荻野恵は、中学時代から変わらない風景が、この新しい学校にも存在していることに、喜びを感じていた。
「まったく。さえのやかましさに、あと3年も付き合うことになるとはね」
 嘆息する夕子。
「こういうのって、腐れ縁って言うのかな」
「あーもう、腐っているというか、錆びついているね。私も人のことは言えないけど、さえがよく昭葉受かったもんだよ」
「うっふっふー。がんばりましたですとも。単なるがんばったを通り越して、もはや超!絶!がんばった!の域に到達するくらいがんばったかも」
 胸を張って、誇らしげに宣言するさえ。
 恵は知っている。さえが受験のために、苦手な勉強をどれだけ必死に頑張ったかを。自分も頑張らなかったわけではないが、恵はその頑張りを、素直にすごいと思っていた。
「でも、嬉しいな。こうして、またさえちゃん夕ちゃんと一緒になれて」
「クラスまで一緒ってのは、できすぎだよなあ」
 呆れているように見せて、やはり夕子も嬉しそうだ。恵も思う。こんなに嬉しいことはない、と。
「夕ちゃん。改めて、これからもよろしくお願いします」
 だから、この気持ちは、きちんと伝えようと思うのだった。
「な、なんだい、やぶからぼうに」
「えへへ、日頃の感謝の気持ちも込めて、ね」
「……わ、私こそ」
 夕子は顔を染め、思わず頬をかいていた。
 照れ屋な夕子。この子とまた3年間、同じ道を歩めるのは、本当に幸せなことだった。
「やぶからぼうに、なんて言葉が素で出てくる女子高生は、日本広しといえど、ゆーちゃんくらいよねっ」
「わ、悪かったな、こんな口調で」
 家が剣術の道場で、家族も男ばかりのため、こんな口調になったと、夕子はかつて言っていた。
「わたしのこともよろしくよろしく超よろしくー! これからまた3年間、お世話になりまーすっ」
「お前はお世話をかけすぎだ。もう、必要以上の世話なんてしないからなっ」
「あっははははっ」
 いつもケラケラと楽しそうなさえではあるが、この笑顔は、本当に、心の底から嬉しそうなものだった。
「さえちゃんも。これからもずっと、よろしくね」
 ぺこりと、お辞儀をしつつ言う。親しき仲にも礼儀あれ、である。
 こんなことを、改めて言うのは気恥ずかしい。そんなことを言わなくても、とっくに心は通じ合っている。しかしそれでも、こうして気持ちを言葉にすることには、意味があると思うのだ。
「ああんっ、めぐちゃん」
「わぷっ」
 感極まったさえに、ぎゅう、と抱きしめられた。
「愛! めぐちゃんの確かな愛を感じるわー!」
「む、むぐむぐむむむ」
「好き好きスーキスキスー!」
「さえ、恵が窒息する」
「あー、ゆーちゃん、なに、もしかしてジェラシってる!? あー、ジェラシってるんだー!」
「……あのなあ」
「ちなみにこのジェラシってるという私(わたくし)的造語は、ジェラシーを感じている、の略であり、すなわちこの場面においては、彼女、津島夕子(15歳、乙女(笑))が、親しい友人二人があまりにも熱い友情を交し合っているため、ついつい仲間外れ的な寂寥感を覚えてしまった、という意味で用います」
「やかましい! だいたい、その(笑)はなんだ、(笑)って!」
「え、(仮)の方が良かったかなあ? 乙女(仮)。やーん、ゆーちゃんだって、れっきとした乙女だよー。そりゃ背は高いし、口調は男の人みたいだし、バレンタインに女の子からチョコ貰ったりするけど」
「おーまーえーはーっ!」
「ふ、ふたりともおちついてむぐぅ」
 言葉の最後が、さえの抱擁で押しつぶされた。
 でも恵は、本当に嬉しいと思っていた。こんな風に、また三年間過せるということが。
 こんなに幸せで、いいのだろうか。
 新しい自分になるという決意。この子たちの愛情に、答えられるだけの人間になるという誓い。甘えのせいで、それが失われてしまわないだろうか。そうなってしまわないよう、きちんと気を引き締めなければならない、と思った。
「だーいじょうぶっ。ゆーちゃんのことも、後でちゃーんとぎゅううっ、って」
「するなよ」
「先回られた!? SAE・は・SHOCK! ゆーちゃんのツッコミが一段とキレ味を増して……!」
「うーん。高校生になったからかも」
「なるほど。成長したわけねっ」
「恵もさえの阿呆言葉を相手するんじゃないっ」
「はわわわっ」
 しばしば、夕子vsさえの舌戦(?)に、恵が巻き添えを食う。これも、中学時代から続く光景だった。
「それはともかくっ。だいじょーぶ、ゆーちゃんのこともだーい好きだよっ」
「ともかく、じゃない! 話が飛びすぎだ。もう、わけわからないっ」
「だってぇ、好きなんだもの……」
「ううっ」
 潤んだ瞳で夕子を見つめるさえ。夕子は、こういうのにとても弱い。露骨なお涙頂戴すら効き目抜群である。
「わたしがあんなにがんばったのだって、ふたりといっしょの学校に行きたかったからだよ……?」
「さ、さえ……」
 ますます赤くなる夕子。
「昭葉を受けた理由のだいたい40%くらいはねー、ふたりが占めているの。だから、ゆーちゃんへの愛度はおよそ20%ってところかなー」
「……さんざん盛り上げといて、いきなり生々しい感じにしてくれやがって」
「平成生まれの21世紀乙女は、激動の時代を力強く生きて行かねばなりませんからっ」
 悪びれることなく、むしろへへんと胸を張るさえ。
「あと、20%くらいが……制服かなー? うん、制服だ」
「私ら一人分と制服は、等価ということなんだな、そうなんだな?」
「あらら、悔しい? 寂しい? やーん、ゆーちゃんが激しく切なくジェラシってるー!」
「こういう挑発が、罠だってことはわかってるんだ、中学の3年間でよくわかってるんだ……わかってるけど……」
「夕ちゃん夕ちゃん、その、震える拳は、拳はだめ、危ないよっ」
「んで、残りの40%が、やっぱり、あの憧れの生徒会の方々と、同じ学び舎で三年間を過してみたかったというわけですよー」
「……あー、そーかい」
 呆れたのか疲れたのか、今にも振り下ろさんとしていた拳を引いた夕子。
「くううーっ…………もうっっっ!」
 突如、強烈に息をためて言葉を放つ。
「なっ、さえちゃん、ど、どうしたの突然」
「どうしたもこうしたも! ついさっき体験した、あの第1種美的生物との接近遭遇(エンカウント)を忘れたわけではあるまいにっ」
「う、うん。たしかにきれいだったね。ステキだったね」
 多少引きつつも、同意する。
「うはぁーっ! もおっ、あんなにステキな人たちがこの世に実在していいのかしら! 否!」
「よくないのかよ」
「おおおっ、さっすがゆーちゃん(15歳、女子高生)。中学時代よりも確実に成長しているわっ! ツッコミが」
「……お前はなあ」
「でも、本当に、噂どおりの人たちだったね。私、ちょっとびっくりしちゃった」
「そーよね、そーよねえ!?」
「まあ、確かに、な」
 今日は、午前中の一ニ時限目がHRで、午前の残り2時限が、まるまる集会にあてがわれていた。
 入学式とは異なり、新入生歓迎集会は、ほぼ生徒側の手によって運営される。集会の進行及び、その他諸々のことを全て、昭葉学園生徒会の面々が執り行ったのだ。
 恵も、つい先ほど行われたばかりの歓迎集会を思い出してみた。
「ちょっと感動しちゃった。あれが噂の、昭葉生徒会の人たちなんだ、って」
「ああ、それぞれ昭葉の『姫君』『佳人』『麗人』って言われてる、あの」
「そうなの、そうなのよー! もう、まさしくそんな感じだったわよねっ!」
 その呼び方は、恵も聞いたことがあった。昭葉の現生徒会三役は、その美しさからか、そんな二つ名でさえ呼ばれることがあるという。
「最初にご挨拶をしてくれた人が、会長さん……なんだよね。あの人、可愛かったなあ」
「そう! あのステキ極まる美少女こそ、昭葉の『姫君』こと、天城由香利生徒会長その人よっ」
 集会が始まったとき。新入生への歓迎の言葉を言うため壇上に登った生徒会長の姿を見て、ほとんどの生徒は、唖然としたことだろう。こんなに小さくて、可愛らしい女の子が、会長だったなんて、と。
 まず、小さい。身長はきっと、150cmもないと思われた。そして、その美しさ。外国製の美しいお人形――その姿を初めて見た人は、きっとそんな印象を受けたことだろう。たとえ同姓でも、思わずはっとしてしまいそうなほどに端正な作りの顔。それが全体的に、子供らしいふっくらとした感じに包まれているため、えもいわれぬほどに美しい「少女」の表情を作り上げているのだ。ふわふわとした、長くて柔らかい髪の毛も、その少女的な美しさを助長していた。
 とはいえ、単に可愛いというだけならば、むしろ、物笑いの対象になってしまっただけかも知れない。事実、会長が壇上に登ったとき、会場は騒然とした。一部の女子生徒からは、「可愛いー」なんて野次も飛ばされたほどだった。
 しかしそれも、会長が口を開くと、全て止まった。はっとするほどに、よく通る声。声質そのものは、姿とそのままに、小さな女の子のような可愛らしいものであるにも関わらず、である。毅然とした口調でしっかりと語られるその言葉には、噂に名高い昭葉生徒会長にふさわしい威厳が漂っていた。そんな挨拶を、あの小さくて可愛らしい女の子が行ったのである。
 そして、挨拶を終えた後。居並ぶ新入生達に向かって、彼女は、にこりと微笑んだ。何の屈託もない、優雅な微笑だった。威厳ある生徒会長の顔と、可愛らしい少女の顔。そのギャップは、新入生たちの心に、生徒会長の存在を強く印象づけた。
「私もびっくりしたよ。昭葉の生徒会長って、こう、背が高くて、いかにも『お姉さま』ってイメージがあったから」
「ひょっとして、私よりちっちゃかったかも……」
 恵も、身長は150cm台の前半と、やや低い方だ。170cmを超えるらしい夕子(わりと気にしているようなので、正確な数字は聞けない)と並ぶと、かなりの差がつく。
「あんなにちっちゃくて可愛いのに……やっぱり、昭葉の生徒会長って、すごい人なんだなぁ」
「あれこそカリスマというのよっ。『姫君』の二つ名にふさわしい偉大な可愛らしさ、すなわち偉可愛い(えらかわいい)という新語を作らねばならないほどにステキな方というわけねっ」
 あんなに小さいのに、あれほどの威厳を持っている人もいるんだと思うと、恵としては、素直に憧れる反面、自分ではとてもあんな風にはなれないと、羨ましいという気持ちも抱かないではなかった。
「カリスマといえば、他の生徒会役員の人たちもそうだよな」
「あれあれあれー? やっぱゆーちゃんは、剣術部の松瀬先輩ひとすじなのですかにゃー?」
「なっ? もうっ、だから、そういうミーハーな気持ちで部活決めたわけじゃないっての!」
「声がうわずってますぜー旦那? なになに、そーいうポーズをとっておいて、本当は、生徒会の素敵な御方が何よりのお目当てだったとか?」
「ち、違うって! そりゃ確かに、剣術部にそういう人がいるってのは知ってたけど」
 夕子の実家は、剣術の道場を営んでいる。夕子自身も剣術には通じていて、女の子ながら、かなりの腕前とのことだった。
 昭葉学園には、かつては女子校だったにも関わらず剣術部があり、しかも、詳しいことは恵にはよくわからないが、学校の部活動にしてはかなり本格的なレベルのものらしかった。その存在こそが、夕子にとっては昭葉を選ぶ大きな理由になったようだ。
「その人って、あの、会長と一緒に司会していた?」
「ううん。松瀬先輩はニ年生だから、今日は出てきてなかった。来年は三役のどれかになるんだろうけど」
「今日ステージに登ってたのは、三年生の、生徒会三役の方々ねっ。会長のほかに二人いたでしょ? あの人たちが、それぞれ副会長と書記の方なのよー」
 得意げに説明するさえ。
「眼鏡をかけていた人が、『佳人』こと、副会長の北館聡美先輩ねっ。そして、背が高くて綺麗なロングヘアーの人が、『麗人』こと、書記の綾部葉先輩!」
「く、詳しいね、さえちゃん」
 集会の中で、三役それぞれの自己紹介は行われたが、もちろん、二つ名まで名乗ったわけではない。
「うーふーふー、真っ当な方法で入手可能なデータは、入学前に全て押さえておきましたからー」
「まったく、ミーハーなことで」
「むー。別に、私だけってわけじゃないよう。そのあたりの情報は全部、友達から仕入れたんだもん。同好の士がこれまた多いのよー」
「まあ、このクラス見れば、それはよくわかるけど」
 昼休みということで、クラスメイトたちの多くは、思い思いに集まり、お喋りに花を咲かせている。女の子たちのほとんどは、つい先ほどの歓迎集会の話をしているようだった。その会話によくよく耳を傾けてみると、「今年の生徒会の中では、誰が一番好みか」的な内容すら、しばしば囁かれていた。
 そもそも自分たちとて、その話をしているわけで。
「つい先ほどの事後調査によると、なかなかに人気は割れているようねー。やっぱり露出の多い三役が特に人気だけれど、ニ年生の方々も、なかなかに評判のご様子」
 さえはこのように、基本的には中学時代からの付き合いである夕子と恵とくっついているものの、すでにこのクラス内でも、別の新しい友人網をしっかり作り上げているようだった。恵も夕子も人当たりはかなり良いほうだが、さえのこの行動力にはさすがに驚かされていた。
「私は初めから入部希望だったからさ、昨日のうちに剣術部を見学に行ったんだよ。そしたらもう、松瀬先輩目当ての子たちが結構いたんだよ、これが。おいおいって思ったけれど」
「ほうほう、生徒会のサムライ・ガールは、早くも信奉者を集めている、と」
「でもさ、ここの剣術部、かなりきついだろうから、あの子たちにはちょっと……。まあ、気持ちはわからなくもないけど」
 そんな子たちのミーハーぶりを、夕子は、迷惑がっているというよりはむしろ、心配しているようだった。その様子からすると、その松瀬先輩とお近づきになりたいがために入部しようという子は、かなり多いのだろう。
「やっぱりね、すごく格好良い人だったから。少し話をさせてもらっただけだけど、尊敬できる人だと思う」
 今日の集会では壇上に登っていなかったため、恵はまだその姿を知らないが、この夕子にこれだけのことを言わしめるのだから、やはり、ひとかどの人物に違いないと思った。
「その、松瀬先輩って、やっぱり、夕ちゃんみたいな感じの人?」
 恵は、思うところを尋ねてみた。
「え、私みたい、ってのはどういう意味だよ」
「別に変な意味じゃなくって。その、夕ちゃんこそ、サムライって感じだから」
「よ、よせやい。私はただ、道場で男に囲まれて育ったってだけで」
「あー、わかるわかるー! ゆーちゃんっていわば、サムライっ娘属性だからねー」
「人のことを変な属性に定義づけるな!」
 まったく、とひとりごちる夕子。でも恵も、サムライっ娘というのは、夕子という少女を的確に表現している言葉ではないか、と思うのだった。
「私みたいな人、って意味だったら、それは外れだな。あの人は、ぱっと見だと、わりと普通の女子高生って感じだと思う」
「そうそう、そうなのっ」
 いきなりさえが割って入る。
「昭葉の生徒会に入ってて、その上、剣術部の凄腕少女剣士っていうから、てっきりゆーちゃんみたいなキリリとした背の高い人を思い浮かべるでしょ? それが違うのよー! 私も昨日、さりげなーくご尊顔を拝しに行ったんだけど、これがまた、普通の可愛い女の子って感じなのっ」
「そうなんだよ。話しているときも、私みたいに厳(いかめ)しい感じなんかじゃなく、すごく自然だった」
 どうせ私は可愛くなんてないけどさ、とさえに毒づきつつ、夕子が言う。
「でもさ――やっぱり、話の中に一本、芯が通っているという感じがあるんだ。きっと、部活が始まったらもっとよくわかると思うけれど」
「はいはい。なんだかんだ言ってゆーちゃんは、松瀬先輩にポワワっちゃてるわけねー。ごちそうさまでーす」
「お前はいちいち……」
 まあ、その通りかもしれないけどな、とつぶやく夕子。
 恵は、夕子のこういうところが偉いな、と思っている。彼女は、たとえそれが悪口やからかいの言葉であっても、自分の戒めとなるようなことはは、きちんと聞き入れる。そういうことは、なかなかできるものではない。武道で心身ともに鍛えている賜物なのかも知れない。
「夕ちゃんみたいな人といえば……」
 恵が言葉をはさんだ。
「今日、集会に出ていた、書記の人なんかは、わりと夕ちゃんっぽかったよね」
「綾部先輩がかい? そ、そりゃあ、背丈だけは近いだろうけど……私があんなに美人なわけないじゃないか」
「あははー。それはそのとおりー」
「……お前は、ほんっと、嫌なところだけ過敏に反応してくれるよな……」
「だってえ、ゆーちゃんだって可愛いけどー、相手はあの『麗人』だよー。さすがに同格には扱えない」
「……えーと、私も、外見のことを言ったわけじゃなくて」
「あ、めぐちゃん、さりげにひどい」
「あっ、あわわっ? そんなつもりじゃなくてっ! ご、ごめんね夕ちゃん」
「あはは。いいさいいさ」
「そうして友人の気持ちをおもんばかり、本当は深く傷ついていた心を隠すサムライっ娘。彼女は今日もまた、義理と人情に生きるのだった――」
「変なナレーションを入れるな!」
「わざわざ時代劇チックにナレーションしたんだよー。その辺の苦労を評価していただけると嬉しかったり」
「苦労するならもっとましなことにしろっ」
 いつものごとく言い争う二人を見て、恵も苦笑するしかなかった。
「えっとね、ちょっと上手く言えないけれど……ぴしっとした中に、すっごく暖かそうな感じがあるというか」
 そういうところが夕ちゃんっぽいのかも、と付け加えた。
「恵って、たまに、むず痒くなるようなことを言ってくれるよなあ……」
「でも、なんとなくわかるような気もー」
「お前もいちいち追随しなくていい」
「えー」
 照れる夕子。しかし今のさえの言葉は、決してからかって言っているわけではないと恵は思った。むしろ夕子は、からかわれたりするより、素直に褒められることに弱いのだ。
「綾部先輩って、背が高くてモデルみたいで、昭葉の生徒会ってイメージには、ぴったりとあてはまるんだけど……」
 続く言葉を、恵は紡げなかった。
 確かに『麗人』こと綾部葉先輩は、とびきりの美人であった。それこそ、気軽に人が寄り付けなさそうなほどに。野生動物に感じる美しさに近かった。それも、豹とかピューマといった、猫科の肉食動物的なものだ。しかしそんな中に、不思議と暖かさも感じたのだった。近づきがたい美しさを持ちながら、どこか、安心感も与えてくれる。そういう印象があった。
 あえて言うならば、なんだか、あったかいお味噌汁を作ってくれそうな人、という雰囲気があった。もちろんそれは、恵の勝手な想像でしかない。たぶん、集会の最後、わずかに見えた優しげな微笑みが、そんなイメージを抱かせているのだろう。それまでずっと硬い表情を崩さなかったのが、その一瞬の笑顔だけで、ずいぶんと印象が変化した気がする。
「昭葉生徒会のイメージ通りの人というと、いかにも、って人がいるわよっ」
 恵が言いよどんでいるうちに、さえが別の人の話題を持ち出してきた。
「ああ、私も聞いたことがある。なんでも、ものすごいお嬢様だとか」
「お嬢様?」
「そうっ。生徒会所属の二年生、舞原恭佳先輩! この人がもう、深窓のご令嬢って感じの人なのー!」
 いつもの事なので、特にどうというわけでもないのだが、さえの口調は興奮を帯びていた。
「お家のことは、なんだか格式の高い名家って事しか知らないんだけどね。例によって、ご本人を直接見てきたら……これがもう、本っ当にお嬢様! ふわふわで柔らかそうな茶色の長い髪、仕草から漂う優雅な雰囲気、丁寧かつ優しげな言葉づかい……あ、もちろん、すっごく綺麗な人というのは言うまでもなくね」
 確かに、そういった人物像ならば、昭葉生徒会という言葉から連想されるイメージにはよくあてはまる。すなわち、名家のご令嬢。昭葉学園そのものは、それなりに偏差値は高くとも、由緒ある名門というわけでは決してない。しかし、崇拝の念を受け続けてきた生徒会には、そんなイメージが付きまとう。
「そしてねそしてねっ。その人をして、何よりもお嬢様と思わしめたのは――」
 さえが声のトーンを落とした。なにやらもったいぶった様子に、恵も夕子も、思わず次の言葉に注目する。
「缶ジュースの口が、自分で開けられなかったの」
「…………」
 恵と夕子は、沈黙せずにはいられなかった。
「……それは、なんというか……お嬢様的に重要な要素なのか……?」
「やーもー、なーに言っちゃってるの!? お箸より重いものを持ったことがなく、パンがなければケーキを食べるという思考に達してこそ、真に尊重たるお嬢様という概念に至ることができるのではなくって!? ジュースの口が開けられないくらい、その理想の姿の一端を垣間見るようなものよっ!」
「歪んでる、さえちゃん、それ、何か歪んでるよ」
「というか歪みすぎだ」
「SHOCK!」
 なにやら激しいショックを受けたようだった。
「だってぇ……それが、私的なお嬢様の理想像なんだもん……。舞原先輩って、すっごくぽややんってしてて、ルックスも雰囲気もお家柄もかなり本格派だったから、そのあまりにツボをついたお嬢様的行為に、ついつい過剰反応してしまった私のこの気持ち、察していただけると嬉しく思うの……」
「とりあえず、お前の思考がわりとダメということだけはよくわかった。改めて」
「祝・ダメ認定……しくしく」
「え、えーと、さえちゃん、言ってることはよくわからないけど、とにかく元気だして」
 終いには、机に突っ伏してめそめそと泣き出してしまった。
「……いいもん。どうせ、めぐちゃんもその手の美学は理解してくれそうにないし。この切ない気持ち、北館先輩の存在に慰めてもらうことにするっ」
「あーもう、好きにしろ……って、北館先輩って、あの?」
「そう。昭葉学園生徒会副会長にして、『昭葉の佳人』こと北館聡美先輩に」
「さえちゃん、知り合いなの?」
「ウーフーフー。それはねえー……」
 人並みはずれた行動力を誇るさえである。いくら雲の上の人とはいえ、すでに何らかの形での接触に成功していたとしても不思議ではなかった。
 二人の注目を集めつつ、さえが言葉を発した。
「全くこれっぽっちも面識の無い、きっぱりさっぱり赤の他人よ!」
「……阿呆の子だとは思っていたけれど、ここまでとは」
 夕子は、本日何回目かの溜息をついた。
「でもでもっ! なんというか、魂の深いところで、あの人と私は繋がっているような気がするの!」
 絶叫するさえ。恵と夕子は、思わず顔を見合わせた。
「……いよいよ、ヤバいことになってきたか?」
「ど、どうしよう。さえちゃん、ホントはすごく、精神的に追い詰められてたんじゃ」
「キャー! イヤー! おかしな人を見つけたかのような目でわたしを見るのをやーめーてー!」
「落ち着け、さえ。世の中は辛い事だらけだけど、とりあえず私たちはお前のことを見捨てたりはしない。たぶん」
「そんな取ってつけたような安っぽい友情台詞も聞きたくないのー!」
 かぶりをふっていやいやをする。
「そーいう、宇宙から何かアレな電波を受けたみたいな話じゃなくって! あの人なら、私の思考に共感してくれそうな気がする、って意味よー!」
「それはそれでどうかと思うがなあ」
「あー。でも……うん、確かに、さえちゃん系のノリを感じたかも」
 恵も歓迎集会で目の当たりにした、生徒会副会長こと北館聡美先輩。通称、『佳人』。
 その美しさは、他のお二人に比べても、まったく見劣りしていなかった。ちょっぴりマニッシュな、活動的なイメージのある美少女。眼鏡をかけてはいるが、いかにも本読んでます、というような感じではなく、むしろ勉強でもスポーツでもなんでもござれ、という雰囲気を漂わせていた。
 そう、とにかく精力的な印象があった。今日の集会の進行は、主にこの北館先輩が行っていたのだが、その弁舌のほどはさながら、ちょっとした芸能人のようであった。もちろん、集会の司会を勤めていたわけだから、今のさえのように、無軌道な騒ぎっぷりを見せたわけではないが、そのポジティブな感じは、さえに通じるものがあるように思えた。
「でしょ、でしょ? わたしねっ、なんだかんだいって、北館先輩が密かにイチオシだったりするのですよっ」
「前に確か、みんなステキすぎて一人に絞りきれない、とか言ってなかったか」
「プレ情報としてはねー。でもねー、今日の集会見てて、なんというかこう、単なる憧れだったものに、親近感が激しくプラスされたわけ!」
 もちろん、他の方々は方々でみなさん激しくステキなのー、と身もだえするさえ。
「他の方々というと……今話してたので、全員だったっけか?」
「ううん、ニ年生にあとひとり」
 昭葉学園生徒会の構成は、基本的に、三年生の三役にそれぞれ一名、将来その三役を引き継ぐ、一、二年生にそれぞれ三名いる。新一年生の役員は、これから選出されることになるので、現時点での生徒会役員は、六名ということになる。
「ほら、例の男の人ー」
「え、男の人?」
「あれ、恵、知らなかったのか」
「う、うん。全然」
 恵の中の、昭葉学園生徒会のイメージは、まさしく乙女の花園といった感じのものだった。世間一般で抱かれているイメージも、恐らくは恵のそれと同じだろう。
 つまり、そこに男子生徒がいるということは、まるっきり想像の外だった。
「今の生徒会には、二年生に一人、男の子がいるのよねー。といっても、昭葉が共学になってから、他にも何人かは男子がいたみたい。と言っても、会長になった人はいないし、そんなによく知られているわけでもないかなー、一般的には」
 昭葉が女子校だったのは昔のことであり、現にこの新一年生の教室を見ても、女子とだいたい同じくらいの人数、男子生徒はいる。いかに女子校時代に築かれた強いイメージがあるとはいえ、生徒会の役員が女子だけというのは、改めて考えてみると、確かに変な話だった。
「どんな人か、知ってる?」
「うーん。えーっとねえ……」
「どうした」
「その存在は知ってるんだけど、なんかこう、あんまり興味がなかったというか……。ほら、やっぱり昭葉生徒会と言えば、ステキな女子生徒会長ってイメージがあるじゃない? どーも、その手の憧れを喚起させてくれないというか……」
「要するに、興味ないのでどうてもいいってことか。現金なやつだなあ」
「んー、でも、悪い評判は聞かないかなー。入学前には、場違いなハーレム気取り、って感じがあって、個人的にもちょっとヤだったんだけど……」
 その存在だけで、なにやらいい印象がなかったと。つまりは、そういうことだった。
 確かに、昭葉生徒会を偶像的に信奉している人からすると、そこに男の人がいるというだけで、なにか大切なものが汚されてしまったように思うのかも知れない。恵も、嫌悪感こそないものの、強い違和感は感じていた。
「そもそも、その人の噂って、一年生の間では、まだあんまり流れてないみたい。本人がどうというよりは、他の方々のイメージが強すぎるからかも」
「そういえばそうだな。私も、生徒会の二年に男子がいる、ってことしか聞いてない」
「へえ……」
 恵は、その二年生の人物に、興味を覚えた。
 昭葉生徒会とは、気高く美しい女子生徒がおわす憧れの園というイメージが確立しており、それが広く知れ渡っている。時代が流れて、学園そのものは共学となったとはいえ、生徒会のイメージは、昔のままなのだ。
 そんな中で、そのイメージからすると場違いとしか言いようがない男子生徒が一人、役員として仕事をしている。そこに、どれほどの軋轢があるのか、恵には想像できなかった。
 きっと、強い人なのだろう、と思った。世間が抱いているイメージからのギャップに、押し流されない強さか。あるいは、受け流せるようなしたたかな強さか。他の生徒会の人たちみたいに、華々しさはそこにはないのかも知れない。でも恵は、昭葉生徒会に属している男子生徒というだけで、その人物に対し、ほとんど敬意のようなものを抱いた。
「名前はなんていったっけ?」
「えーっとねえ。そう、確か、ちょっと昔の……ほら、なんだっけ。あの漫画の主人公と同じ名前で……」



<PRE  BACK  NEXT>