ギリシア 6
ミコノスの路地とタチアーナ
さあ、スケッチをしなくちゃ心がはやる。山側を向いて小路を描き、後ろを向いたらここも絵になるので一枚描く。さっきから5,6歳の女の子が視野の片隅にチラチラしている。絵を描いているのを、見られているのはよくある事。
気にしない、気にしない、だ。

2枚描いて移動しようとしたら、女の子は私の絵の具やペンを握って離さない。「ホワット・ユア・ネーム」聞いてきたのはその子。私が名乗って「あなたは?」と聞くと「わたしタチアーナ」という。「あなたは絵に興味があるの?」と聞くとうなづく。
「チャンス!」モデルが飛び込んできた。「あなたを描かせて」というと恥ずかしそうにうなずく。

人を描くのは大好きだ。階段に腰掛けてもじもじしている彼女を一気に描く。色をつけ終わる。その後が問題だった。「これちょうだい」私の眼を見ながらテコでもスケッチを離さない。ホイ、お出でなすった、またか。
描きながら予想しなかったことではない。ローマのフォロロマーノの切符売りのおじさん、ヴェネツイア行きの同じコンパートメントの中のハンサム。ヴァチカン市国の・・・ああ、数え切れない。

せっかく描いたスケッチが持ち帰れないことがまだまだあった。仕方がない。もう一枚描いた。洋服の淡い色付けが気に入らないのか、彼女は自分で色を塗りたいという。絵筆にたっぷりと紅い絵の具をつけて、洋服の色を真っ赤に塗る。

耳にピアスをつけ妙に観光客馴れしているのがどうも気になってくる。そういえばさっき同じ年頃の、ご近所3,4人連れがやって来たが、タチアーナに声をかけるでもなく、妙に白々しい雰囲気を見せて行ってしまった。彼女は私のスケッチ道具を次々と取り上げ、取り込むしぐさをして、くれと言っている。妙に媚を含んだ目付きも子供らしくない。
「タチアーナちゃん、おばさんは遠くから絵を描きに来ているの。これは大事なものだからあげるわけにはいかない」背中の後ろに何かを隠して、挑発するように私を見ている少女に言う。

隠している物を見せて、というと子供らしからぬ頑固さで首を振る。ローマやパリの雑踏の中で近寄ってきたジプシーの少女たちの姿がオーバーラップする。
大事な時間、もうさっさと帰ろう。何か記念になるものをあげて別れようと思っていたのだが、この少女のためにはならない。

「バーイ」立ち上がって手を振った。その時だった。さっきから隠してテコでも開かなかった指を彼女はぱっと広げてみせた。持っていたのは何と、その辺りに落ちていた細い小枝の切れ端だった。てっきり私のペンケースの中身だと思っていたのに。「ごめんなさい、タチアーナちゃん」 悔いで胸が痛んだ。リュックサックを肩に私は歩き出した。<幸せに生きていってほしい>と強く願いながら・・観光で成り立っている町には、それなりの光と影が交錯している。