ギリシア 4
ロブスターと琥珀色の酒
ホテルに帰るが風はますます強くなるばかりだ。ネッカチーフで頭をすっぽり包んでスケッチブックを埋めていく。乾燥したロバの糞が強い風に舞い上がっている。スケッチしているとアクロティリに一緒に行ったTさんNさんに遇う。昼食はまだというのでご一緒する事にした。夫と4人で近くのタベルナ(レストラン)に入る。夫がロブスターを食べようと提案、直ぐに意見が一致した。添乗員さんから評判を聞いていたのでスパゲティも注文する。

ところがロブスターというのは目方で注文するという常識を知らなかった。マスターも出てきてしばらくトンチンカンな問答を繰り返す。やっとマスターの方が何とか納得して引き上げていく。昼時を過ぎて閑散とした大きなレストラン。断崖に張り出したテントテーブルの方には風がうなりをあげて吹く。台風並の風が吹き荒れているのに、空は晴れ渡り、エーゲ海の色はウルトラマリンの青さだ。強風には慣れっこになっている現地の人々はこんな風は気にも止めていない。焼きたてのロブスターが運ばれてきた。4人の皿にうまく取り分けてくれる。

わーぉ、感激。おいしいし、量もほどほどだ。ワインもスパゲティも評判通りおいしかった。勘定を済ませたが、外は相変わらずの強風。ためらいつつ、座ったまま外を見てスケッチしていると、ボーイが遠慮がちに覗き込む。その時だった。琥珀色の液体の入った丸いグラスが4個すっとテーブルに置かれた。驚く私たちにマスターがにっこりして、どうぞというゼスチャー。旅のイチゲンさんにこんな厚意をしめしてもらえるとは・・嬉しく頂くことにした。

「これはギリシアの有名な地酒ウゾかしら?」とTさんが聞く。「違う、りんご酒だ」とマスター。
フランスで飲んだシードルというりんご酒とは違う、ねっとりとした口当たりと、芳香がある。かなり濃厚な味わい。スケッチブックの片隅にギリシャ語でこのお酒の名前を書いて教えてくれる。「どうぞゆっくりスケッチしていらっしゃい」描く身振りを交えて何度も言ってくれる。
この後、買い物をするというお二人と別れて、この島で一番大きな教会を見学する。夫はオールド・ポート(古い方の港)まで降りてみたくて仕方がないらしい。ケーブルカーで行くか、ロバの背中にしがみ付いていくか二つの選択肢があるらしい。

でも夫はスケッチポイントを見つけるために、ロバが頻繁に往来する階段を歩いていくと聞かない。断崖に作られた急な石段。見ただけで私は遠慮する。
描いてはいけない!愛らしいロバ
今日はサントリーニ島に留まる最後の日。一人でお土産やさんを見て歩く。
この島はロバが多い。観光客を乗せ、荷物を運び、疲れた表情で、同じ歩測でただ歩くロバ。
まだ疲れていない愛らしいロバを見た。教会の近くの空き地に、ポツント繋がれていた。なんて可愛いロバさん。描き出したら直ぐに、どこからか日に焼けて小柄な中年のおじさんが現れた。
何か言いながらロバの前に立ちふさがる。両手で大の字を作って険しい目つきで私を見る。

あれどうしたのかしら?あっけにとられて描くのをやめた私。するとおじさんは立ち去った。訳のわからないまま続きの線を走らせていたら、大声で怒鳴っているのはさっきのおじさんだった。広い道をへだてた向かい側に、破れかけた屋根を持つ納屋のようなものがあり、5,6頭のロバが繋がれていた。

ロバの前で使用人だろうか、3,4人の汚れた風体の男たちがこちらを見ていた。中の一人、若い気のよさそうな男が、こちらへ歩いてきた。<悪いなー、俺の本意じゃないんだ> というしぐさと目付きで私を見る。
そして、ロバの綱を解き、ゆっくりと通りを横切ってロバを連れ去った。
その後しばらくの間、町の中に入ってスケッチポイントを探したり、ウインドーショッピングをしたりしていた。ふと気がつくと向こう側の通りを行くのはさっきの男たちだった。険しい目をした男を先頭に数頭のロバが、重そうなブロックを背中に乗せられて引かれて行くのだった。ロバを連れに来た若い男もいた。
ショウウインドウの中の私を見つけると若い男は、ちょっと頭を下げるようにしてじっと見た。
そして歩きながら小さく手を上げた。「ごめんよ」といっているかのようにみえた。それともさようならだったのか。厳しい労働に明け暮れる人たちにとって、ロバのスケッチなどしている観光客は鼻持ちならない存在だったのかもしれない。ギリシアの人たちはみんな良い人、などといっている横つらにパチンと平手打ちが飛んできたような体験だった。