ギリシア 3
          三千五百年前のアクロティリ遺跡
5月11日  朝食の後、タクシーを2台チャーターしてアクロティリ遺跡へ向かう。「明日どなたかアクロティリ遺跡へいきませんか」昨夜、夕食の席で同行のTさんの発案に私たちは一も二もなくのった。寡黙だけれど、人の話はきちんと聞き、的確な答えを返してくれるTさん。そろそろ80歳にも手が届きそうな方だが、話すたび、得をした気分になる人だ。きっといい人生を送ってきた方なんだろう。


同行の士を募ると8名になった。ギリシアは文明としての歴史が5千年を越すという。荒っぽく見ると10万年前の中石器時代、牧畜や農耕をする民族が住み着き、クレタ島で文明が起こるのは5千年前。


4800年から3100年前が、青銅器時代と呼ばれ、ヨーロッパ最古の文明がギリシアに花開いた。アクロティリ遺跡はこの時代、ミノア文明が栄えた頃の都市の後だといわれている。「ここまできて見ないで帰る手はありませんよ」Tさんは少年のように目を輝かせて語る。

昨日のイアとは正反対の南西の方角、つまり、三日月型の下方に向かってタクシーは走る。このあたりは人家もまばらで緑地や丘陵が続く。コクリコと呼ぶ赤や黄色のけしの群れが強い風を受けてけなげに咲き誇っている。


入場料1200ドラクマ(1ドラクマは0.25円)の切符を買って発掘現場の入り口をくぐる。鉄骨でやぐらを組んだ大規模なものだ。
黄土色一色の世界はひっそりと静まり返って、いる。監視員の姿だけがちらほら見える程度だ。掘り出されたばかりの壷などが、そこここに無造作に置いてある。ここからは今も続々と発掘が続いているらしい。3500年前、大噴火による大地震で、地中深く眠っていた物たちは、いま永い眠りから覚めつつあるのだ。

遺跡の監視員はいかにもギリシア的な風貌の男性。私が描いているのに気ずいて、照れくさそうに動かないでいてくれた。みんなのカメラの放列も浴びた。日本に帰ってからこの人をモデルに「発掘現場」という題で油絵に描いて日曜画家展に出品した。

この旅の後半、首都アテネに立ち寄って、考古学博物館でアクロテェリから出たお宝の数々を見た。<ボクシングをする少年><漁師><春>などの鮮やかな色彩の壁画も展示されていた。あの黄土色一色の世界にこんな素晴らしいものたちが眠っていたんだ、と感動を深くしたものだった。

遺跡見学の後、近くにある美しい修道院跡や、展望台などに立ち寄った。運転手たちは礼儀正しい、人のいい人たちだった。殆ど理解できないギリシア語で盛んに説明してくれた。途中で何人もこの村の知人と出会って、ちょっと車をとめて挨拶を交し合うのも、田舎っぽくてよかった。


寄り道ついでにロバを引いた農家のおじさんをみて、シャッターを切ったり、ロバに乗せてもらったりした。おじさんの労働の時間を割いてしまったことを気の毒に思って、夫が少しばかりのチップを渡そうとしたが彼は驚き、後ずさりして固辞した。渋紙色をしたシワの奥に、善意に満ちた小さな瞳を見た。
午前中一杯走ってタクシー料金は一人3700ドラクマ(約1700円)だった。ちなみに天王寺公園から私の町まで約4、5キロほどだが、同じ値段である。

パックツアーは便利で手軽である。荷物も持たなくていいし、予約バスであっという間に目的地に連れて行ってくれる。しゃべれなくてもいい。重いスーツケースを押しながら、家族だけの旅を繰り返していた私たちには新鮮だった。しかし現地の人たちと一度も触れ合わずに帰ってくる旅は何だかむなしい。素朴な現地の人と触れ合えていい時間を持った。