ギリシア 2
堂々たるギリシアの野良くんたち
今日は午後3時から、北端のイアの町に夕景を描きに行くことになっている。それまで昼食をはさんで自由行動。絶好のスケッチ日和になった。リュックサックを肩に、みんな思い思いに足早に散っていく。絵を描く人と写真を撮る人が半々位だろうか。夫と私は描きたい対象が違う。時々お互いを目の片隅に入れながら、フィラの途中まで描きながら歩く。

そろそろ昼食の時間なので、ホテルに戻ろうかと引き返してくると、7,8人の皆さんが、古い教会や石段を描いている。あんまり楽しそうなので、仲間に入れてもらう。野良犬がやってきて、了解を求める風もなく、私たちの間に無防備に寝転がる。
見ると野良猫も手足を全開して、目の前の石段の上に。日本で見る彼らとは、違う種族のようだ。まるで野良という自覚がないらしい。<全て世はこともなし>という顔だ。媚びるでもなく臆するでもなく、ましてや威嚇して吠え掛かるわけでもない。きっと人間はそのあたりに群生しているデイジーの一種とでも思っているのではないか?

この後で立ち寄ったギリシアのどこにでも見られた風景だ。
毛並みや艶も悪いことはないから、どこかでちゃんと食べて、結構おしゃれにも気を配っているらしい。それにしてもこの堂々とした態度はどうだ。去年、スペインのセビーリャで、スケッチ中に出会った野良猫君の、疑いと不信に満ちた目付きとは大違い。直ぐ傍に行って5分ほど描いていても、ピクリともしないから有り難い。おもねず、媚びず、人もこのように飄々と生きられたら争いは半減するのでは・・などと思いつつスケッチのペンを走らせていく。
夕景を描きにイアの町に

三日月型をしたサントリーニ島のテッペンにイアの町は位置している。ホテルから30分バスで走る。その後歩いて、崖の上に開けた白い家々を縫って上る。ここもおとぎ話の国のように美しい。しかし写真のロケーションには最適だが、私は色がないと絵に出来ない。白い家々に反射した日差しが暑い。やっと上りきるとそこは崖の突端。ぱっと視界が開ける。はるか眼下の入り江におもちゃのように船が浮かぶ。海の色の変化と、白い船の対比。切り立った断崖が絵になる。崖の上の手すりに馬乗りになり、強い風に用心しながら描く。
夕景を描きに来たのに、夕暮れはいつまでも訪れなかった。
8時15分にはバスに戻らなくてはならない。
夕景をかけなかったことに心を残しながら、急ぎ足で下る。途中でふと足を止めて振り返ると、雲を照り返して熟れたホオズキ色の夕日が海に落ちていく。カメラで見事な瞬間を物にした人たちは、満足そうに戻ってくる。待っていたバスに乗って現地ガイドに案内されて、近くのレストランに行く。
このレストランは傑作だった。今になってつらつら考えるに、そこはうらぶれた海の家といった風情だった。通された2階の席に着いたが、裸電灯がわずかにぶら下がっているだけで、薄暗い。島名物の風が開け広げた窓から殴りこんでくるように吹き荒れる。テーブル掛けといわず、紙ナフキンといわず、めくりあげ、吹き飛ばす。
料理は一向に運ばれてこない。空腹に寒さまで加わってくる。見るともなく外を見る。庭の片隅の仕切りに炭を起こし始めている。所在無く時々下を見ていると、魚を焼き始めた。大きさも種類も異なる魚たち。いやな予感。「まさかあれが今夜の主皿?」思わずつぶやく。周りの人たちも覗き込んで「まさか・・」と口々に言う。「だってほら、ちょうど25匹・・」

悪い予感は的中した。大きなお皿に尾頭付きが運ばれてきたのは、ずいぶん待ってからだった。暗さが幸いして隣の人と大きさも種類も違うことに気が付いたのはわずかの人だったに違いない。私の皿にはあんまり鮮度の良くない鯵がのっていた。その上ひどく焦げていた。申し訳のようにレタスの刻んだのがいっしょについている。スープは水っぽくてぬるい。フォークとナイフで鯵をつついたが食欲は一向に湧いてこない。
私は決して美食志向ではない人間だけれど、食べ物の無神経さには寛大になれない、多くの日本人の一人である。ホテルに帰ったのはもう11時近かった。