ギリシア 1

この旅行記は96年10、11月<暮らしの手帖>64(秋)号に10ページに亘って掲載されたものです。同年5月、ギリシアのサントリーニ島とミコノス島にスケッチ旅行をしたときのものです。一部、加筆、しています。

まえがき
<紺碧のギリシア、エーゲ海スケッチの旅>という募集チラシを、夫が持ち帰ったのは3月も終わり近くなってからだった。連休が終る5月8日に関西空港を発ち、18日に同空港に帰着する11日間の旅。スケッチ旅行なので一ヶ所に3連泊と、ゆとりを持った予定が組まれている。

エーゲ海の色が一番美しいシーズンだという。夫も私も海外旅行の半分はスケッチが目的という素人写生狂である。I 先生が同行するというのにも、惹かれた。最近、デパートでこの方のスケッチ展を見て、ファンになったばかりである。難を言えば、料金が54万5千円。高い。しかし講師つき、添乗員つき、往復日本航空となればそんな物かも知れない。余裕のある暮らしではないけれど、つましいお金こそ、生きて使うもの。今なら体力も、時間もある。今しかない。行こう、となった。

断崖と伝説の島サントリーニ
雨の関西空港、同行の皆さん25人と落ち合う。20分遅れて正午に離陸。13時間でフランスのシャルルドゴール空港に着く。まるで平原のような大きな空港だ。今夜はここに仮の宿をとり、明日早くギリシアへ向かう。翌朝6時30分の飛行機で、ミラノのリナーテ空港へ飛ぶ。3時間ほどでミラノに。11時、ミラノを発って、ギリシアの首都アテネに着く。アテネは滑走路をはさんで東と西に空港が二つある。西はギリシアのオリンピック航空専用空港。東はその他外国のもの。外国からきた私たちは、荷物を受け取って、空港の外のバスまで運び少し街中を走ってオリンピック専用空港に。

午後5時30分、5輪でなく6輪のマークを腹につけたオリンピック航空のプロペラ機は、ついにサントリーニ島に着いた。飛行機を4度乗り継ぎ、丸二日を費やした長い旅だった。

エーゲ海の真中に輪のように連なった39の島々。これがキクラデス諸島だ。
旅の目的地、サントリーニ島とミコノス島もこの中の島の1つ。サントリーニ島はギリシアでの正式な呼称をティラと呼ぶ。
島の面積は76平方キロ。人口は7千人ほど。空港で待っていた迎えのバスで30分ほど走ってホテルへ。紀元前15世紀の大噴火が、地震と津波を引き起こして、島の半分が
海中に没したという。この島こそが謎のアトランティス大陸、伝説の島だと言われているが。果たして本当なんだろうか。

赤茶けた断崖が垂直に突き刺さるように海に落ち込んでいる。丘のテッペンまで白い建物がぎっしりと建ち並んでいる。半円形の屋根、四角い家、石の積み木を並べたみたいだ。剃りたての小坊主の頭を連想させる、青いつるつる屋根があちこちに。見ると遠慮がちに白い小さな十字架を飾っている。教会だった。ギリシア正教の教会はずいぶん沢山あった。他のヨーロッパ諸国でみかける、威厳に満ちた大きいものではない。家事をした手をエプロンで拭きながら気軽に入っていく信仰の対象なんだろうか。これだけ教会があるのだから当然といえばそのとおりだが神父さんもよく見かけた。昔の大学の角帽のようなものをかぶって、長い黒服のガウンをまとっている。

ここはラテン民族の影響も受けてカソリック系の教会も結構あるらしいが。3泊したホテルは島の中心部の一番高い丘の上にあった。

早速荷物を置いて、スケッチの下見がてら町を歩いてみることにする。ホテルから2,3分歩くとエーゲ海に落ち込む断崖の上に、長い歩道が続いている。しっかりしたコンクリートの手すりつきの道は、上り下りを繰り返しながら15分ほどで町の中心であるフィラに着く。賑やかなフィラの町は断崖の上から下まで、レストランやお土産やさんがぎっしりと建ち並んでいる。

想像はしていたが白一色。変化の少ない積み木細工のような建物をどうやって絵にできるか。夕食後、ホテルのレストランで長い往路の無事を祝ってみなさんで乾杯する。5月10日、 6時に明るくなった。スケッチブックを抱えて夫と外に出る。太陽が昇るエーゲ海をちいさいスケッチで何枚も描く。海霧が湧き立って瞬時に全てのものをおおいかくす。かとおもうとまた、さっとベールをはいで大地と海が姿を現す。