![]() 歌碑が見えてきた。草書体で書かれているため、あれこれ苦心しながら 解読した。私の解読結果は次のようである。おそらく正しいと思う。 ひらかるゝ 御厨子の扉 きしむさへ こういった幽玄な世界にまろび入って、鳥の声も憚られるような静寂の寺殿で 厨子の扉が開かれるときの軋み音に驚いて、急に我が身の生き様を問われて いるような気分になるというのは、納得できるような気がしないでもない。 寡聞にして凱二なる作者は知らない。 |
![]() こんな低木に茶色の花を付けているものがあったのだが、植物に疎い 私には一向になんという名の木かは分からない。今度ここに来るときには ハンディな植物事典を持参するとよさそうだ。 |
![]() 正面に再び石段が現れ、その上に本殿の茅葺きの屋根が見えてきた。 いよいよ到着だ。嬉しいような、もっと参道を楽しんでいたかったような、 やや複雑な心境になる。一段一段、時間をかけて石段を登り、本殿の姿が 少しずつ現れてくるのを見ていた。 |
■馬頭観音 菩薩というのはサンスクリット語のボーディサットバが語源で、 悟りを求めて修行している人のことで、救済を専らとする仏です。 如来が厳しい愛情の慈の仏なら、菩薩は優しい愛情の悲の仏です。 その中で観音菩薩は様々に姿を変えて、あの手この手で衆生を救おうと してくれる仏です。地獄にまで救いに来てくれます。地獄は罪の重い順番に 地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道と分類され、 これを地獄の六道と呼んでいますが、観音菩薩はそれぞれに聖観音、千手観音、 馬頭観音、十一面観音、準てい観音、如意輪観音に変身して担当する ことになっています。いまでは観音菩薩は薬師如来、阿弥陀如来を差し置いて、 人気トップのスーパースターの座を不動のものとしているといっても過言では ないでしょう。 馬頭観音は菩薩の中で唯一忿怒相をしていますが、この怒りは煩悩で うじうじしている衆生の目を否が応でも覚まさせてやろうという慈悲の心 から発したものといわれています。優しいばかりが慈悲ではないということ ですね。また、頭上に馬を載せて畜生道担当であることを表現しています。 福岡太宰府の観世音寺の馬頭観音が有名ですが、これは像高5.03mも あるもので、仏像界の3K(カッコイイ!金ピカ!巨大!!)と呼ばれています。 |