翌日雷堂が学校へ行った後、昌はまず一人でこの筑土町を歩いてみることにした。
業斗の言葉のように、一晩寝たらふっと思い出していることを期待したのだが、それは叶わなかった。
せめて、自分が住んでいて一番慣れ親しんでいるというこの町をあちこち歩いてみれば何かきっかけのようなものが得られるかもしれないという、僥倖頼みである。
業斗も、
「それはあり得るかもしれんな。町の人々もおまえ、というか雷堂のことは大体知っているから、困ったことがあれば助けてくれるだろう」
と賛成した。
「一刻も早く思い出さねば」というあせりはそれ程ないが、やはり自分自身の立ち位置がはっきりしないというのは落ち着かない。
歩いて体を動かしている方がマシであるし、町中で「魔」が現れて闘っている間は自分を取り戻せている感覚になった。
頭はついてこなくても、体は勝手に鍛錬の通りに動いてくれる。
仲魔たちは、「ライドウ」が記憶を失っていることなど知らず、それぞれ親しげに呼びかけてくれる。
特に意識せずとも、現れた「魔」の弱点はわかり、相応しい行動が取れる。
(これならたぶん、町の構造がわかれば、守護者との闘い自体はそれ程大変なことではないだろう。記憶を取り戻すのは元の世界に帰ってからでもよい…)
そんな風に思っていると、不意に心臓がつかまれたような衝撃があった。
(えっ…)
とある建物の入り口を見た瞬間である。
(なぜ…)
思うより速く昌はその扉に駆け寄っていた。
だが、数段の階段を上ったところにあるその扉は開かなかった。
「あら、雷堂君、駄目よ」
後ろから声をかけてきたのは、洋装の女性だった。
当世風というのか、髪は短い。
「鍵はまだ開けてあげられないわ」
では、この女性はこのビルの持ち主なのだろうか。
それにしても、自分はなぜここに…
「雷堂君も早く自分のお部屋に帰りたいでしょうけど、半年も溜めたお家賃、まだ払わずに逃げたままの鳴海さんを恨んでちょうだいね」
「鳴海さん」
そうだ、仲魔たちが言っていた。
「鳴海探偵社」
それがこのビルの中にあって、自分はそこに勤めていたと同時に、住んでもいたのか。
(魅かれたのは当然だ)
「そう、鳴海さん。会ったら早くお家賃払うように言ってちょうだい。とりあえず一月分でもいいから。ほんと、いい人なんだけどお金にはだらしないんだから…」
愚痴のおさまらない大家から離れると、通りに立っていた近所の住人らしい中年女性が声をかけてきた。
「雷堂ちゃん、まだおうちに帰れなくて大変だねえ。まあ鳴海さんはいい男だから色々お金がかかっちゃうのよねえ」
「……」
「ほら、これあげるから元気出しなさい」
女性は手元から飴を出してくれた。
遊び人らしい鳴海も、苦労させられているらしい雷堂も、この町では共に温かく受け入れられているようである。
(だが、あの使者は…)
雷堂が少年を筑土町に連れていって面倒をみる、と言った時、神社の使者は反対はしなかった。
使者も記憶のない子どもが一人見知らぬ土地で過ごすことには、さすがに危惧を感じていたのであろう。
雷堂の心配りを褒めはしたが、一言、
「鳴海がちゃんとしていれば、更に安心だったのですが」
と付け加えたことを、今になって思い出したのである。
雷堂はそれに対しては何も言わず押し黙っていた。
業斗が、
「では行くか。そろそろ暗くなる」
と話をそらせるかのように言い出し、使者は挨拶と共に消え、三人は筑土町へ帰ってきたのだった。
(つまり、鳴海という男も、探偵社の所長というだけではなく、ヤタガラスという機関とも通じているということなのだな)
もちろん自分も、元の世界でそちらの鳴海に会っているはずなのだが、名前を聞いてもまるで思い出せない。
(しょうがない…だが、元の世界に帰った時、とにかくこの探偵社に来てみればよいことはわかった。同じように鳴海は不在で、鍵がかかっているのかもしれないが)
一つの手がかりとしては大きなものだ。
(だが、雷堂や業斗はなぜここのことを教えてくれなかったのだろう?)
まあ、入れない家のことを言ってみても無駄だと思ったのだろう。
それからしばらく昌は町の商店に入ったり、買い物をしてみたりして過ごした。
誰も昌のことを危ぶみはしなかった。
顔の傷の無いことに気がついた人間にも、「従兄弟です」と言えば「おお、そうか」と笑ってすまされた。
そう大きくもない町の探索は昼前には終わり、昌は多聞天に戻った。
「どうだった」
日の当たる本堂の回廊で寝そべっている業斗が尋ねてきた。
「探偵社には入れなかった」
「思い出したのか」
業斗は頭を起こした。耳が少し立っている。
「そうではないが、何か魅かれて…だが、鍵がかかっていて」
「大家の女がいただろう」
業斗はしかめ面をした。
「一月分でも払ってくれればよい、と言っていた」
「要するに誠意を見せろ、ということなのだが、その簡単なことが出来んヤツだ」
業斗は溜息をついた。
「もちろん悪い人間ではないのだが…嫌なことからはすぐ逃げたがるタチでな、鳴海というのは。また雷堂も子供だから…」
そこまで言って業斗は、昌の顔を見た。
たぶん、怪訝そうな表情をしていたのだろう。
「まあ、違う世界のおまえの気にすることではない。そちらではきっと色々と違っているだろうし」
そうだといいが、と昌は思った。
「では、街へ出るか」
業斗は起き上がって伸びをした。
それから付け加えた。
「今の話、雷堂には内密にな」
***
「やあ葛葉さん、お久しぶり…あれ?」
銀座町外れのミルクホールのマスターは、ドアを開けて入った昌の顔を注視した。
「あれ?でも…」
と、下を見て業斗の存在を確認する。
「さすがにサマナーの集まる店をやっているだけあってよく見ているな」
業斗は感心した。
そんなマスターでも業斗の言葉まではわからないので、昌は説明した。
「へえ、あの雷堂くんの従兄弟さん。田舎から帝都見物に出てきて、今日は銀ブラってわけかい。まずはここで喉をうるおしてから繰り出そうって寸法だね。ほお、あんたもサマナーか、そりゃいいや。とりあえず特製ソーダでもおごろうか」
「有難う」
昌はソーダのグラスを受け取ってテーブル席に座った。
今日の新聞が置いてある。
見出しをさっと眺めてみても記憶につながるような事件はなさそうだ。
政治、世界、社会面…なんとなく「そういうものだろう」と思われるニュースが並んでいる。
業斗は店内を見回して、
「タエは来ていないようだな。まあ、混乱させるだけだからいなくて幸いだったかもしれん」
「タエ?」
「新聞記者の女で、探偵社にも出入りしている。そう、この新聞の記事もタエが書くこともよくあるらしいぞ」
「職業婦人か」
「それだ。そういう言葉の記憶はあるのだな」
本人に関することだけが抜け落ちているらしい。
「そういう常識がわかっているだけでも楽だ。それじゃ大通りの方を歩いてみるか」
昌はうなずいてソーダを飲み干し、二人は店を出た。
帝都で一番と言われる銀座町の賑わいに昌は目をみはった。
通りの真ん中の緑地帯をはさんで路面電車が行き来をし、さらにその外側を車が走るだけの幅がゆうにある。
その通りの両側には石造りのビルが立ち並んでいる。
舗道を歩く人々はみな華やかな服装で晴れ晴れと街歩きを楽しんでいる。
ビルの中の会社勤めらしい男達も、それはそれで誇らしげである。
「すごいな」
「おまえも同じ街を見ているはずなのだが、見覚えはないか?」
業斗が不思議そうに聞くが、
「いや、筑土町ほどには懐かしい感覚がない。任務で来るだけなのだろうし」
「確かにそうだな。とりあえず向こうの裏通りの方の道も覚えた方がよい。なかなかややこしい街だからな」
二人は通りを横切ろうとした。
その時、後方から女の叫び声が聞こえた。
「いやー、私のカメラ!」
二人が声の方をふり向くと、
「ひったくりだ!」
「逃げてくぞ」
人々が口々に叫んでいる。
一瞬で状況を理解した昌は、人々の視線の先へ走った。
カメラらしきものを小脇に抱えて逃げていく男の姿が目に入る。
昌は男を追った。
男はちょうど発車しようとしていた市電に乗り込む。
市電は扉を閉めて走り出したが、昌は難なく追いつき、後ろのステップに飛び乗った。
乗客たちがざわめく中、昌は盗人をたやすく捕え、腕を取ってしめ上げた。
「いてててて、勘弁してくれ、ほら、返すから」
男はカメラを差し出す。
「出来心なんだよ。つい、腹が減ってて」
男をよく見ると、大通りを優雅に歩いていた人々とは違い、上着もズボンも垢じみて、擦りきれている。
「盗むのはよくない」
「もう、絶対しねえから」
必死な男の様子に、昌はそこで放してやった。
男は頭を下げつつ次の停留所で電車を下りて走り去った。
業斗とはぐれてしまったことに気づいたのはその時だった。
***
(銀座町と筑土町、どちらに戻るべきなのだろう…)
迷いつつ、昌はとりあえずその次の停留所で下りた。
(人の言葉を解するとはいえ、猫の身で市電の乗り降りは難儀だろうし、銀座町で待っているという方がありそうだ。安全なミルクホールに戻っているかもしれない)
とすれば、逆方向へ戻る電車に乗るべきである。
路線の確認をしようと思ったが、それがわかるようなものは見当たらなかった。
(誰かに聞いてみよう)
昌はあたりを見回した。
ちょうどこちらに歩いてくる男がいる。
着流し姿の若い男だ。
男は昌の視線に気づいたようだが、なぜか睨むような形相になった。
「こら小僧、何ガンくれてんだ」
「聞きたいのですが…」
「それが人に物を聞く態度か」
のっけから喧嘩腰である。
昌はどう答えていいものやらとまどった。
男は黙っている昌にたたみかける。
「なんやそのカメラ。俺たちを撮って変なことに使おうってか」
言われて昌は持っていたカメラのことを思い出した。
(カメラを盗まれた女性は、まだあそこにいるだろうか?)
ひったくりに遭ったら、そこで大人しく待っているよりも、警察に駆け込んでいる可能性の方が高い。それならば自分がこうして持ち歩くよりも…
(この辺の警察に預けて、銀座で盗まれた物だと言う方が良さそうだ)
そう思った昌は、
「近くに警察署はあるでしょうか」
聞くと男は目をむいた。
「てめえ」
いきなり殴りかかってくる。
昌はたやすくよけたが、男の仲間らしい同じ着流し姿の男衆たちが回りから寄ってきた。
「なんだこいつ」
「サツにたれ込もうってか」
「小僧の分際で羽黒組の縄張ウロウロしやがって」
(どうしよう…人間相手に刀や銃を持ち出していたら大事になってしまう)
逃げるしかないか、と思っても人垣に囲まれて、容易ではない。
その時、人垣の更に後ろから声がした。
「やあ、すまんすまん。それ、うちの書生なんだよ」
その声に男たちは動きを止めて振り返った。
背の高い男だ。
昌もかなり高い方だが、その男は昌よりもさらに頭一つ高かった。
その上にまた、舶来ぽい帽子をかぶっている。
「へ、鳴海さんとこの?」
(鳴海?この男が?)
細身の三つ揃いのスーツを隙なく着こなしている男は、とても家賃を溜めて逃げているような人間には見えなかった。
なんとなく、先程のひったくりに近い姿を想像していたのである。
「物知らずで困ってるんだ。勘弁してやってくれないかな」
「そうかい、鳴海さんの関係なら今回は見逃しとくよ」
男たちは表情を緩めた。
「雷堂、おまえも謝っとけ。どうせおまえが怒らせたんだろう」
よくわからないながらも、それは鳴海の言う通りだったようなので昌は、
「すみませんでした」
と、頭を下げた。
男たちは、
「気をつけろよ」
などと言いながら去っていく。一方鳴海は、
「へえ、おまえがそんな素直に…え?」
言いかけて、昌の顔をあらためてまじまじと見つめた。
「へえー、別の世界の雷堂か。驚いたな」
停留所から町の奥へ向かい、橋を渡った先には遊興街が広がっていた。
その一角の見世物小屋の脇の縁台に腰を下ろして昌の話を簡単に聞いたあと、鳴海は再び昌の顔をじっと見た。
立ち話もなんだし、と鳴海が連れてきたのである。
「じゃ君もライドウか。ややこしいな」
「ここでは、別の名前を使っています。その方がいいだろうと」
「ああ、そりゃいいや。なんていうの」
鳴海は昌や雷堂よりかなり年上のようだが話し方は気さくで、表情も豊かで開けっぴろげだ。
つきあいやすそうな人間である。まあその分だらしなさそうな感もあるが、と昌はなんとなく納得した。
「アキラです。字はこう…」
説明すると鳴海は、
「へえ、俺の名前の字と同じか。俺は昌平ってんだけど、この字でアキラって珍しいな。これ、襲名とは別の本名ってやつ?」
「いえ、本名も覚えていませんし」
「あ、そうか、記憶喪失だったよな。じゃどうして…」
「雷堂君が付けてくれたんです」
「……」
鳴海は眉をひそめた。
初めて見せる固い表情である。
(あ…?)
雷堂や業斗の微妙な表情は鳴海に関することだったのかと昌は思い当たった。
それも、家賃の滞納や浪費癖というようなことではなく、もっと個人的な事柄のようだ。
「他の名前の方がよければ…」
言いかける昌に、鳴海は表情のこわばりを解いた。
「いや、気にしなくていいよ。どうせ君とはもう会わないだろうし」
先程までの、人をくつろがせる笑い顔に戻っている。
だが昌にはもう、その笑いは表面だけのもののように感じられるようになっていた。
「筑土町にはいつ戻られるのですか」
「事務所が閉められてるんじゃ、君も困るよな」
「いえ、自分よりも…」
鳴海は背広の内ポケットから皮の財布を取り出し、まとまった札を昌に渡した。
「これで、一月か二月分くらいにはなるだろう。あの大家さんは口は悪いが根は優しい。とりあえず鍵は開けてくれると思うよ」
言いつつ立ち上がり、町の奥へと向かう。
「鳴海さんは」
昌が聞くのを鳴海は無視して、
「ああ、そのカメラは見覚えがある。たぶん、タエちゃんのカメラだから、警察に持っていくよりも君が持って帰った方が早いよ。駅はわかるだろう?」
向こうを向いたまま手をふり、歩いていく鳴海の後姿を、昌は追えなかった。
***
「あら、こっちこっち、雷堂君…じゃないのよね、昌君、だっけ?」
奥の席から若い女性が呼ぶ。膝の上には業斗も座っている。
どうやらあれがタエらしい。
「やあ従兄弟さん、無事戻れたね。よかったよかった」
マスターも微笑んでいる。
昌はほっとした。
鳴海と別れた昌は少し迷ったが、やはり銀座町に戻ってみることにしたのだ。
大通りには業斗の姿は見当たらなかったが、少し歩いていると声をかけてくる男がいた。
「なんだ、雷堂ちゃん、学校はどうした」
さっきのひったくりほどではないが、かなりくたびれたコート姿だ。
「また鳴海にこき使われてるのか?探偵の真似事もいいが、事件は俺達警察に任せて学生は勉強しろよ」
(知り合いらしいが、警察の人なのか。刑事あたりだろうか)
「業斗か、タエさんを見ませんでしたか」
「ゴウト?」
「黒い猫です」
「ああ、いつも一緒にいるヤツか。今日はいないんだな。猫は知らんが、あの女記者ならちょっと前に向こうに歩いてったようだな。いつものミルクホールで休憩だろうが、まだいるかどうかわからんぜ」
「そうですか。有難うございます」
昌が礼を行って歩き出すと刑事らしい男は、
「へえ、雷堂ちゃんが人並みの挨拶とは、雪が降るんじゃないの」
驚いたような声を出す。
どうやら雷堂は相当無愛想で通っているらしい。
自分もそれ程しゃべるタチではない…いや、なさそうな気がする、というだけだが、
(雷堂は、それ以上らしいな)
そんなことを考えながら昌はミルクホールに急いだのだった。
「まったく、無茶をするヤツだ。肝を冷やしたぞ」
「すみません」
「あら、猫に謝っちゃって。でもそうよね、急に道路の真ん中でおいてきぼりにしちゃったんだから業斗ちゃん怖かったわよね。あたしがいてよかったわ」
タエにはもちろん業斗の言葉はわからない。それだけでなく業斗がただの猫ではないことや、サマナーという、業斗と言葉をかわせる存在があるということすら想像もしていないようだった。
こんな、サマナー達が集う店の常連となっているくせに、店の不思議な雰囲気に気づいていないという、賢い割にどこか抜けているおおらかさがマスターに気に入られているようだ。
自分のことも、マスターが説明しておいてくれたらしい。
「そもそもタエがカメラを取られるような間抜けな真似をしなければ、俺がおいてきぼりをくらうようなこともなかったのだがな…」
業斗はそんなことをブツブツ言っている。
さっきからタエが業斗の頭や背を撫ぜて猫扱いしているのが気に食わないようだ。
「あら、ゴロゴロ言っている。気持ちいい?業斗ちゃん」
「……」
口では文句を言いながらも、猫の肉体はそれ相応に反応するらしい。
タエのスカートの膝からもいっかな降りようとはしない。
昌は内心おかしかった。
「あ、それで、これ」
昌はカメラをタエに渡した。
「ああ、有難う。いい写真が撮れたところだったのよ。で、犯人は?警察に連れてったの?」
「いえ、もうしないと反省していたので…」
「許してあげたの?」
「空腹で魔がさしたらしいです。服もボロボロでしたし」
タエは昌の顔をしげしげと眺めた。
「ふうん、優しいんだ…そういうところは、似ているのね。やっぱり従兄弟同士だからかしら」
タエも雷堂の優しいところを知っているらしい。
(鳴海さんと雷堂のことを聞いてみたいけれど、業斗がいる前ではまずそうだ…)
ふとそんなことを考えて、昌は自分の好奇心に恥ずかしさを覚えた。
所詮は別世界の、関係のない出来事なのだ。
それよりも、自分の頭の上のハエを追うのが先だろう、と昌は自分を戒めた。
「それじゃあたしはそろそろ社に戻るわね。昌君、気を付けて帰ってね」
「はい、有難うございました」
タエが帰ると、業斗は、
「鳴海に会ったのか」
と聞いてきた。昌は驚いて業斗を見た。
「ヤツのご愛用の紙巻の匂いが移っている」
猫の肉体は、嗅覚も鋭いらしい。
「偶然会って、助けてもらいました。遊興街のある町で」
「深川町か。しようのない…」
「お金を預かってきました。これでとりあえず事務所を開けてもらうようにと」
「……」
業斗は顔をしかめている。
鳴海が自分で来ないことに対する憤りのようなものを感じているのだろう。
しかし単なる使いの昌に出来ることはなかった。
業斗もそのことに思い当たったのか、
「そろそろ帰るか。雷堂も学校から戻っているだろう」
と、床に下りた。
外へ出ると、夕方の空に赤くうつる雲が広がっていた。