Holocaust ――The borders――
Intermissionミノル 2 第2話
成果がなければならない。
それは研究にしても同じである。
大学のように基礎研究に予算を割くための場所で有ればともかく、企業ではそうはいかない。
いかに世界最大の軍事産業共同体であったとしても同じ。
将来的に使用した予算は取り返さなければならない――その、商品価値でもって。
「……失敗か」
宰は呟いて自分の足下を見つめていた。
『試験場』と書かれたプレートが、彼の覗くガラスの上に埋め込まれている。
一切の隙間の存在しない完全気密式の扉は、もうドアと言うよりもハッチと呼ぶべきだろう。
元々は化学兵器、細菌の研究を行えるような設備なのだが、彼の申請以外の使用はなくほとんど私物化している。
それでなくても彼以外は危険で近づく事すらない場所になっていた。
彼の視界では、赤い物がのたうっていた。
それはつい先ほどまで人の姿をしたものだった。
「調整機は?」
「プログラム正常、特別異常はありません。マシンからのリターンも有ります」
後ろで助手がモバイルパソコンのキーボードを小気味よく叩きならしている。
小さな拡張スロットから伸びるケーブルが、四角い機械につながっている。
冷却用のファンが運転する音が、静かなその部屋に満ちている。
「構成を代えるか……プログラムし直すか」
ナノマシン――微細機械と呼ばれる物は、数分子単位で構成される『ロボット』である。
分子運動と極性、meV単位のエネルギーを操作して『プログラム』する。
このため実際にはこれらは操作する必要もなく、丁度ウィルスのように働き続ける。
0K以上の熱量が存在する限り稼働し続ける、そう言う意味では永久機関に果てしなく近いものである。
ただしその性質上、コントロールが非常に難しい。
設定した行動通りに動くとは限らない。
全てが確率論で語られる特殊な世界であり、マクロ的には非常に曖昧な技術である。
――しばらくは奴が充分使い物になるだろうが……
『計画』でかき集められた『Lycanthrope』のうち、出来る限り若い優秀な者を選んで、彼は手元に置いておいた。
そのうち一人は――ヒイラギミノルという名前の被験体には既に調整を施しておいた。
生まれて間もない頃の赤ん坊の脳髄に、試作品の『Lycanthrope』を打ち込んだのだ。
中学生になったと同時に、彼は充分な成果として――13人の屈強なテロリストの集団を壊滅させた。
それも一人残らず、素手で。
昨年は自分の専門分野そのものを成果として提出した。
『A兵器』……AssemblerというSF作家が名付けたナノマシンの頭文字から、彼はそう名付けた。
過去にそう呼ばれた核兵器はAの座を明け渡した為の空座に落ち着いたのだ。
これは実に手軽で、かつ確実、クリーンな兵器として受け入れられた。
ナノマシンを投薬した際問題になるのは人体への影響である。
サイボーグが現実的ではない最大の理由は、機械と人体の接点部分の衛生上の欠陥である。
人工臓器も、拒絶反応やアレルギー、材料の腐敗が問題であり長期間の使用は難しい。
ナノマシンの場合、血液の流れに乗りそのまま尿として排出されたりホルモン異常を発生させる。
これが体調の不良を引き起こす事もあるし、またナノマシンそのものの効果を発揮するための濃度を下回る事がある。
そのため、どうしても自己増殖機能を付加しなければならない。
この調整が非常に問題だった。
最初に投薬したミノルは、試験的であったためにこれを排泄できないような場所に仕込んでしまった。
――そう、グリア質と呼ばれる大脳の大部分を占める場所である。
脳幹の遮断機能も相まって、彼は当分使い物になるはずだ。
しかしそれは脳外科のレベルの話であり、全ての兵士に使える物ではない。
技術的には、短期間に影響なく使える薬のような物が望ましい。
だが自己増殖機能は非常に安定が難しく、簡単な環境変化――体内であれば、僅かな体温上昇――にもどうしても反応してしまう。
もしこれが暴走したならどうなるだろうか。
簡単である――人間という身体を糧に、ナノマシンは爆発的に増殖する。
この特質を、彼は逆に利用した。
有る変調をかけた周波数のマイクロ波をスイッチに仕込み、それにより暴走するようにすればいい。
ほんの数グラムで、あっという間に一個大隊の軍隊を滅ぼせるだろう。
彼はそのプランを実行し、昨年の成果として――そう、自らの研究を存続させるため――提出したのだ。
それだけナノマシンが発達し操作できるのだからLycanthropeの操作用のナノマシンも作れる、という意味として。
だが肝心の投薬型ナノマシンは、まだとても完成品とは言える状態ではなかった。
――そもそも投薬には向いていないのだろうか……いや、それでは困る
方針を変えるしかない、と彼は思った。
「目が覚めたか」
男の声。
その時自分が寝ている事に気がついた。
――誰だろう
身体を起こしながら、目を開く。
見慣れない、無機質な部屋。
「……?」
ただだだっ広く、スピーカーと窓、厳重な扉が仕掛けられた――そこは、『檻』としか言えない場所だった。
「Lycanthropeにようこそ。西森臣司君」
頭の上から聞こえるスピーカー越しの声。
臣司は眉を寄せて怒鳴ろうとして、自分の格好に気がつく。
戦闘服らしい格好で、武器らしいものは一つもない。
「ま、待て!俺は一体どうなってるんだ」
臣司が叫ぶと、スピーカーからは嘲りの笑い声が聞こえたような、そんな気がした。
西森臣司は自ら志願して特殊部隊への配属を希望していた訳ではない。
だが人事通知があり、特殊部隊配属が決定した。
何も考える暇などない。宛われた時刻通り彼は行動した。
だが。
その結果、いつの間にか気を失った彼は、奇妙な檻に閉じこめられたのだ。
Lycanthrope。
その単語ぐらい、さすがに聞き覚えがある。
――奇妙な名前だと想っていたが、まさか兵隊を『獣』扱いとは、ねぇ
思わず皮肉って彼は肩をすくめた。
気を取り直して部屋を眺める。
事務用の小さな机と、仰々しい扉の他は、天井にあるスピーカーと天井付近にある――これもまた妙に丈夫そうな――ガラス窓。
突然のあまりに非人間的な扱いを受けたにもかかわらず、臣司は笑みを浮かべる余裕すらあった。
『Lycanthrope』は特殊部隊の中でもさらに特殊で、兵士一人一人が一ユニット単位で動くと言われる、まさに最強の軍隊。
そんなものに選ばれる限り、自身もまたそうならざるを得ない――それだけ厳しいはずだ、と思っていたからだ。
そして何より、その素質ありと組織に認めさせたという自負から来るものだった。
――それで、どんな訓練を行わせるつもりだろう
作りつけの机に腰掛けて、彼は大きく深呼吸して天井のスピーカーを見つめた。
だがそれが震える事はしばらくなかった。
食事は、でなかった。
命令も、なかった。
強靱と思っていた自分の精神が、焦っていくのが判る。
――殺す気か……
確かにLycanthropeは最強と言われる部隊だ。
だが普通に入る事ができる部隊だとは思っていなかった。
――もしかするとただの理由付けだけで本当は捨てられたのか?
空腹には耐えられるし、水は必要最小限あれば十分すぎる。
だが次の日の朝になっても放送もなく、ハッチは固く閉ざされたままこの部屋から出る事すらできない。
太陽光線を遮るように作られたこの部屋では、蛍光灯の明かりだけが満たされている。
壁にかけられた時計だけが時刻を知る手がかりだ。
彼はつかつかと扉に近寄り、ノブに手を伸ばす。
回転するように見えるそれが、まるでその形に削りだしたかのようにぴくりともしない。
いらいらして、思いっきり扉に蹴りを入れる。
金属特有の音が大きく響いた。
「おい!誰かいないのか!聞こえてるんじゃねーのか!」
叫び声をあげるが、硬質な反響音が耳障りに耳に届くだけで、それ以上何もない。
狭い部屋にたった一人で押し込めて発狂させる刑があるという話を聞いた事がある。
中国では奇妙ながら巧妙で、且つ確実な刑罰が様々な形で存在する事を彼は知っている。
何よりそれらは、尋問の際に非常に役に立つ知識でもあるからだ。
もしかすると『蠱毒』でも作ろうというのだろうか。
こうやって閉じこめておいて、人工的な極限状態を経験させようとでも言うのだろうか。
――待て
何を考えるにしても、情報が足りなすぎる。
臣司はハッチをもう一度睨み、鼻の上に皺を作るとふん、と荒く息を吐き出した。
――今は、様子を見るしかない、か。
そうやって仇を見る目で見つめたハッチに、彼は自分の背を預けてその場に座り込んだ。
床は金属のように見えるが以外に冷たくなく、座っていても気にならないからだ。
――動かない方が身体を持たせるには、良いしな……
時間だけが過ぎていく。
夜も昼も判らない部屋の中で、ただ時間だけが過ぎる事を経験するのは初めてだった。
こんな時真っ先に駄目になるのは自分の境遇を怨み悩む事だ。
そんな事で解決する事は今までに一度もなかった。
戦場では、常に打開すべきものがあったから――立ち止まる事はすなわち死だ。
――ここは耐え抜くしかないのか
既にどのぐらいの時間が過ぎたのか、それは判らなかった。
「しぶといな」
悔しそうな声をあげて宰は眉を顰めた。
彼の座る椅子の前に、コンソールといくつかのモニターがある。
コンソールを叩き、一つのモニタに映る部屋の様子を切り替える。
今まで――そう、上から臣司の部屋を見つめる視点だったそれが、同じような光景に景色を切り替えた。
手元にあるマイクを握りしめると、彼はスイッチを入れた。
「ミノル」
画面に僅かな揺らぎが走る。
ノイズ、だろうか。
「実戦訓練だ。プログラムパターン等は後に指示する」
何日経ったか数えるのをやめた辺りから、再び時間が動き出したのだろうか。
充分な空腹を抱えたまま、妙に耳障りなスピーカーからのノイズに眉を顰めて――目が覚めた。
――?
どうやら眠っていたのだろう、身体のあちこちが痛い。
ちゃんとベッドに戻れば良かったかも知れない。
そう思って彼は立ち上がって。
立ち上がって、背中に何もない事に気がついた。
振り向くと、扉は既に開いていた。
いつ開いたのか、音すら聞いていない。
それに何故目が覚めたのか。
――あのノイズ……
初めはスピーカーからノイズが聞こえた物かと思ったのだが、もしかしてそれは夢だったのかも知れない。
ハッチが開いた時のノイズかも知れない。
何にしても。
彼はここに来てからまだ、この自室以外の場所へ出た事がない。
――……行く、しかないよな
戦闘服以外は丸腰だが、そしてここは『Lycanthrope』の施設内のはずだが、何故か予感が彼の中にあった。
殺意と戦意――それらが、部屋の外から漂っていた。
ごくりと音を立ててつばを飲み込む。
そして彼は廊下へと一歩踏み出した。
そこは細長く続く通路になっているが、やはり窓は見えない。
その代わり、自分が出てきた部屋と同じような入り口が等間隔で左右対称に並んでいる。
どうやらここは居住区とでも言うのだろうか。
――いや、むしろここは……
無機質すぎる金属的な空間には、どんな仕組みなのか光が満たされている。
決して薄暗くはない。
だが、このどこにも生活感はなく、人が住むべき場所ではないような。
――ここは『巣』か格納庫と言うべき、だな
彼は思いついた言葉に自分で苦笑いを浮かべる。
機能的すぎてそんな印象しか感じられない。
だが今はその無機質さが安心感を与える。何故なら。
そこには殺気がないからだ。
少なくともまだ安心して進む事ができる。
しかし、と彼は思った。
『Lycanthrope』は確かに実績のある特殊部隊だがエリートではないのだろうか。
――これではまるで囚人を閉じこめる牢獄みたいじゃないか
耳を澄ませば、監視カメラの立てる電磁波が聞こえるような、そんな気がした。
だが実際には自分の立てる衣擦れの音と、リノリウムを叩く靴音がするだけだった。
しばらく、そんな無機質な廊下が続く。
端に見えていた角を曲がると――だが、それも終わりを告げた。
行き着いた先には既に開かれた扉があり、その奥の部屋へと続く短い隧道の向こうは奇妙に明るかった。
ふと不安に駆られるが、ふん、と鼻を鳴らして口元を歪める。
――テストか?上等だ
導かれるように続いてきたこの通路の終端だ。
相手が望む全てがそこにあるに違いない。喩えそれが、自分を阻む何者であろうと。
ここは――特殊部隊『Lycanthrope』なのだ。常識では量れない。
明るい光に誘われる蛾のように切り抜かれた四角い出口へと歩を進める。
――文字通り、飛んで火に入る夏の虫だな
そう思考して出口をくぐった時――突然鋭い殺気が走った。
予想の範疇だったそれを、身体を左回転させて捻り倒して避ける。
床を転がる自分の身体を感じながら、炸裂する音を彼は聞いていた。
空気を切り裂く鋭く甲高い音。
鼓膜を大きく刺激するそれは現実に破裂音として彼の後ろを抉った。
「ほぉ、馬鹿ではないようだ」
言葉とは裏腹に馬鹿にした声が響いた。
「きちんと『殺気』を感じる事が出来る位には鍛えているか」
臣司はすぐに体勢を立て直しながら、殺気の居所を探ろうとして地面を滑る。
だが。
――な……に?
気配と音とが別々に存在する。
視界に入れようと動いても、どちらにも姿はない。
さらに、殺気はここには満ちておらず、ただ有るのは捕らえ所のない死の気配。
逃れられない――死の這い寄る音だけが耳元をくすぐる。
瞬時の殺気
弾けるようにしてエビのように後方に飛び退く。
閃光。
そうとしか感じられないものが視界を縦に切り裂き、直後にぶん殴られたような衝撃が上半身に襲いかかった。
声も上げられず50cmは軽く宙に浮き、そのままの体勢で地面に再び転がされる。
もし跳んでいなければ間違いなく気を失っていただろう。
――くっ
背中に衝撃。
どん、という音とともに体を一回転させて、両手両足を突っ張るようにして低く四つんばいになる。
右腕を腰の裏に回し――自分が丸腰だった事を思い出す。
――ちく――
まず、地面に置いた左腕が内側に折れ曲がる。
風に煽られるようにして浮かぶ上半身と同時に、足首が弾ける。
支えを失った体が、そのまま地面へと落下――
「遅い」
しなかった。
何が起こったのかそれを理解するまもなく側頭部に鈍痛、地面は大きく歪み、体が反転する。
「――こんなもんか」
ぐらりと揺れる天井と、男の陰。
陰に入っているせいで表情は見えないのに、何故か黒い瞳が自分を見つめているような気がする。
突き刺すような鋭い輝きの瞳。
破滅するような音
――え
遅れて激痛。
口から自分の物とは思えない声が漏れる。
めきめきという音を立てて、左肩が体の内側から軋みたてる。
何がどうなっているのか判らない。
何かが突き刺さっている感覚と、男が体重をかけているのが判る。
「ふん……仕事をするか」
男の科白は淡々として事務的で、まるで書類でも片づけるような気軽な言葉だった。
地面に縫い止められた臣司は逃げる場所などなかった。
ふわりと風が吹いた。
同時に左腕の感覚がなくなる。
びしゃ、と水の入った風船が割れるような音が聞こえる。
頬に水滴が乗る感触。
どんどん、と金属製の地面がうねるような衝撃を受ける。
身体が勢いに揺れて、そのたびに左肩が疼く。
「最後まで悲鳴をあげないことだけは、褒めてやる」
血。
首を動かさなくてもいい。
判る。
自分が垂れ流す血の海で横たわり、目を見開いて男を睨み付けている。
「殺してやる」
臣司の口から零れた言葉が耳触りよく脳髄を刺激する。
「ああ」
それまで表情を浮かべなかった、男の頬が歪む。
四肢を失って横たわる臣司。
朱――全て目の前を埋め尽くす、朱。
その中で、もう死にかけているというのに、瞳は輝きを失わずに睨み付けている。
「殺してやる、殺してやる、殺してやる!」
「ああ、いいぞ。殺せるんだったらいつでも殺しに来い。……もっとも――」
声が何故か遠く。
――奴の顔が――見え……
もっとも、生きていたら、の話だが。
彼はそう呟くと大きく右腕を振りかぶる。
そして、まるで小さく一礼するかのように大きく右腕を振り下ろした。
果物が潰れるような小さな音がして、臣司の身体がびくりと跳ねた。
ぱしゃんという水音がしてむっとする鉄の臭いが漂い、そしてノイズと共に声が聞こえた。
『よくやった。そのまま回収して帰投せよ』
世界。
生きるための意味も、自分がその世界に住んでいるという理由も。
どうしても見つからない。
――強くなりたい
『殺す』
そのたった一つの為に存在するのは兵器と変わらない。
全てを排除する為の存在は、滅びの神だろう。
だとするのであれば、自分は何のために生きて――いや、存在するのか。
一振りで人間が砕ける力。
僅かな力を加えるだけで岩すら切り裂く爪。
存在するという理屈と存在しなければならないという本能。
それは他者を破壊する自らの存在と矛盾するのではないだろうか。
――それを理解する事ができるのか
彼はガラス越しに見つめる。
「お前が『成果』か。……この化け物め」
脳髄を除いて、その全ての体組織がナノマシンによって完全に再生できるという人工Lycanthrope。
それが西森臣司だった。
◇次回予告
自己の存在を自己で否定するのは不可能である事を。
「……どうした、そんな変な貌をして」
ヒトは知る――その先に有る全てが自らの『智』を越えた時、もう取り返しがつかないと言う事を。
それでも先に進むしかない――後に戻る道は既に閉ざされているのだから。
Holocaust Intermission:ミノル 2 第3話
そうだ、ミノル。……私には名前がないのだ
繰り返される歴史
―――――――――――――――――――――――