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Holocaust ――The borders――
Intermission

ミノル 2   第1話


「いいかね」
 白衣を着た男は言った。
「化学兵器は製造が簡単で安価だ。『後進国のための核兵器』とはよく言ったものだ」
 実際、農薬を作る技術が有れば、それを応用して充分に化学兵器を製造することが出来る。
 事実過去の農薬の一部は人体への影響から現在生産されなくなった。
「だがいいかね?化学兵器はその使用を大きく制限されている。敵味方を区別しない。その上」
 彼は大げさにきびすを返し、机をどんと叩く。
「使用した地域は大きく汚染されてしまう。これを回復するにはかなりの手間を要するだろう」
 化学兵器の汚染は残留し、除去するためにはかなりの苦労を必要とする。
 いかに戦術的勝利を得たとしても、これでは戦略的に敗北したことになる。
 すなわち――短期的なものであり、長期的には一切それが利益を生まないからだ。
 無論もっと大きな視点でもって、その時に莫大な被害を与え結果戦略的な勝利を得たとしても。
「細菌兵器はその入手法はもっと簡単だ。どぶネズミを一匹捕まえてくると良い、それだけでペストが蔓延する」
 彼はわずかに口元をつり上げると、白衣のポケットに手を突っ込んだ。
 かちん、とわずかに甲高い音がして、次に彼が右手を出した時には――試験管が握られていた。
 試験管の口は焼き固められており厳重に密封されたものだ。
 中には透明な液体が半分程入れられている。
「無論、シャーレで培養して砲弾に詰めれば即細菌兵器になるとは限らないがな、やはり化学兵器と同じだ」
 試験管を振ると、中の液体が砕けて散る。
 その水滴はまるで粉のように――それだけ、異常に粘性が低い液体なのだろう。
「戦略的に充分に通用する戦術兵器。それは今までにあり得ない。――だが、それを塗り替えるにはどうしたらいいのか」
 ちゃぷん、と水音をたてる。
 揺れる水面に、男の目が映っている。
 ゆがむ――水面。
「コントロールできればいいのだ。破壊を操作できればいいのだ。――敵と味方を、区別できる兵器、それが必要だ」

 ふと気がつくと、彼女は眠っていた。
 もう少し正確に言うと眠りという行動を行っていた。
 彼女には眠りは必要ないからだ。
「ん……」
 しかしここ最近、眠るのは久しぶりだった。
 夜中だろうと昼間だろうと関係なく駆けずり回り、やるべき事に奔走していた。
「起きたか」
 かたん、と突然静寂が訪れた。
 今までキーボードを叩いていたのだろう、特有の音で打ち切られたノイズはどうやら、彼女の耳には心地よかったのかも知れない。
 ほんの僅かなこの空隙すら何故か苛々――させる。
 かちりという簡単な金属音で、自分の中の電源が切り替わった事に気がついた。
「……充電」
「ああ、しておいた。今日で一週間ぶりだろう」
 彼女の身体は常に電気を必要としている。
 例え彼女の『脳』がそれを必要としない構造であっても、身体が電気を消費する限り充電は必要だ。
 彼女の義体は太陽電池、ゼーベック電池、水素電池、リチウム電池を組み合わせて電力を供給している。
 このうち常時活動するのが太陽電池とゼーベック電池である。
 これは人工皮膚に埋め込まれていて、体内のホメオスタシスを保つ働きと組み合わせることで電位差を発生させる。
 全身に含まれるナノマシンへの電力供給がこれにより行われる。
 昼間は太陽電池がメインで、曇りなどはゼーベック電池を利用する。
 これらの発電量のうち、一定量を越えたものをリチウム電池へと蓄えるようになっている。
 緊急駆動や戦闘行動を行う際などには高電圧を一瞬で生成できる水素電池を利用する。
 但し、燃料を必要とし、電池の内部素子の交換が必要になる。
 この水素電池は通常カートリッジ交換の形を取るが、彼女の場合は外部電源からの充電という形を取ることもできる。
 正確にはそうできるよう改造してしまったのだ――充電器を取り付けられるように。
「ふん、この暇潰しが」
 僅かに口元を吊り上げて笑みを湛える。
 上位者が蔑みを与える、笑み。
「……何?」
 男は眉を寄せて思わず聞き返していた。
 それはそうだろう、聞いたこともないような言葉だ。
 彼の態度におかしそうに悪戯っぽく笑い声を漏らして、肩をすくめてみせる。
「暇潰しと言ったんだ」
「普通は穀潰しだろう」
「いや、だから褒め言葉にならないかな」
 今度は目を丸くして、小首を傾げた。
 男は額に手を当てて嘆息する。
「知らねぇ」
 こうして。
 こんな風に時々突拍子もない思いつきを口にする事がある。
 そんな時の彼女の表情の動きはあまりに――人間らしい。
 だから戸惑う。
――もう彼女と過ごして二年か
 歳を経る毎に彼女が『人形』である事を忘れていく。
 あまりに人間に近い仕草と態度、そしてその身体に。

 柊ミノルは、戸惑いという名の感情を覚えた。


Intermission : ミノル 2


 二人は日本を出るとすぐ東南アジアに行った。
 有名な話だが、マレーシアなどではCPUやメモリを大量に、安価に生産されている。
 彼女が言った「良さそうなところ」とは、それらの工場が廃棄されたような場所だった。
「大丈夫だ。『柊』の名前で既に買い取ってある」
 柊宰(ひいらぎ つかさ)博士はそれなりのコネと財産を持っていた。
 彼女は、未だにその名前と権限を利用して行動していた。
 何の後ろ盾もない彼女唯一の強み――それが柊宰の名前だった。
 事実上知識と経験を持ちながら、代理人として二人組の若い『跡取り』が動く。
 そう言う段取りで二人は世界を駆けめぐっていた。
 そんな中で何より役立ったのが、面識の少なさ、であった。
 ミノルは彼の名前を聞く度に顰め面をしてみせるが――生憎彼女には通用しない。
――まぁ……好きにしてくれ
 確かに裏社会で通用する名字だからこそ名乗っていたのだろうし、今も通用するんだろう。
 本人は――記憶だけをこの小さな少女の身体に残して消えたというのに。
――滑稽な話だよな
「ミノル」
 彼女が振り向いて、彼の思考を中断させる。
 一瞬険しい表情を浮かべる。
 ミノルは思わず背筋を痙攣させて、次に来る衝撃に備えた――が、彼女はすぐに元通りに表情を緩めた。
「これからは、ここが私達の拠点になる。まだお前が生活できるような状態じゃないが、我慢しろ」
――??
 無遠慮に目を丸くするミノルに、口元を歪め苦笑する彼女。
 見た目が小さな子供だけに、それだけでも十分に不自然な感じがする。
「どうした」
「いや」
 ミノルは否定も肯定もせず、様子を窺う事にした。
 はっきり言って不気味だ。
 先刻だったら間違いなく躊躇うことなく『お仕置き』が飛んできたはずだ。
 次の彼女の科白だって、ある意味――そう、正しいからおかしいのだ。
 自分の事を気にかける事などなかった。彼女は常に自分中心だった。
 彼が黙っているとだんだん不機嫌そうな表情を浮かべる。
「何が不満だ、ミノル、全て御膳立てしろというのか?」
「あ、いや…そうじゃない」
 むしろ感謝すべきなのは判っている。
 でも何故か素直に感謝できない――どうしても疑ってしまう。
「ただ」
 彼が一言一言を紡ぐのを、まるで素直な子供が大人を見上げるようにして見つめている。
「……何でもない。不満がある訳じゃない、悪かった」
 彼の言葉に彼女はまなじりを吊り上げた。

  めきり

 今度こそ全身に『お仕置き』が現れた。
 抹消から中枢まで、全ての神経が真っ白になる程の刺激を一度に加えられれば――どうなるか、想像できないだろう。
 簡単だ。
 全ての神経が一斉に興奮状態になり、神経伝達物質が尽きてしまい――やがて、どの感覚も失せてしまう。
 そして次に目が覚める時は、大抵の場合夜なのだ。
――の、はずだ
「口のきき方に気をつけろ。……判ったな」
 だが、記憶の不連続はやってこなかった。
 すぐに解放されたミノルは、彼女の背中を見ながら首を捻っていた。

「この工場にある施設であれば、十分に『Lycanthrope』を大量生産できる」
 工場の中に入ると、饐えた臭いが漂ってきた。
 下手すると何年か誰も入っていない、そんな感じを受ける。
「……ふん」
 だがそれを判断するのは彼ではない。
 彼女だ。
 そもそも、そういう点に関しては一切知識がなく判断のしようがない。
 昼尚暗い工場の隅にある配電盤にとりつき、錆び付いたキーを外す。
 手際よくナイフスイッチをあげる彼女を眺めながら、ミノルはため息をついた。
「――それで。どうするつもりだ?」
 彼はこういう事には向いていない。
 元々彼女の『護衛』としているのだから、荒事があれば初めて役に立つ。
「何がだ」
「そんなに大量にそれを作ってどうするつもりなのか聞いてるんだ」
 つい、と彼女は首だけを彼に向ける。

  きぃん、とどこかでモーターか何かに電流が流れる音がする。

 表情はきつくない。

  眠りこけていた工場が息を吹き返していく。

「――ミノル」
 彼女は。
 返事を返す代わりにくるりと振り向いた。
 初めて会った時のような無機質で感情のない表情を浮かべて。

  白色の水銀灯の輝きが、薄暗い工場を照らしあげていく。

「私は――誰、何だろうか」
 色のない表情。
 その時初めて、彼は彼女を人形だと思う事ができた。
 灯りとして充分な光量を灯し始めた水銀灯が彼女の表情に陰影をつけていく。
 左右対称で、均整の取れた顔立ちは、自然には存在できないだろう。
――本当に、作り物なのだろう
 彼女は全くの無言で、視線を落とした。
 返事を期待していなかったのかも知れない。
「そうだミノル。こちらに来る直前に面白い事を聞いた。……お前の配っていたアレが、『勝手に増える』らしい」
 次に彼女が顔を上げた時、再びそこには表情が点っていた。
 思わずその貌から目を背け、少し離れた地面に視点を固定して頷く。
「……炭水化物を取り込めば増えるだろうな。そう言う物だから」
 彼女は淡々と続ける。
「知っているか?人間の身体はタンパク質でできているが、主成分は炭素だ」
「――だから」
「増えようとするそれらは、体内で炭素を取り込んでそれらの鎖を断ち切る」
 戯けたように抑揚をつけて語り始める少女の姿は、あまりに醜悪な悪意のCaricature。
「お前も見ただろう?音もなく」
 彼女は両手を一度胸の前で合わせると、大きくそれを開いて全身を突っ張るようにして一度跳ねる。
「ぱん、だ」

――そう言えば、同じ物を昔見た事がある

 ミノルは彼女の説明を聞きながら、少し過去の記憶を思い出した。


 研究施設を一つ、命令通りに解体したミノルは数ヶ月後、軍隊に入るように命じられた。
 新たに結成される特殊部隊配属、という名目で。
 配属した先には一人だけ、『上司』と呼べる人間がいただけ。
「……お前は」
 男はガラス越しに、電子的な声をスピーカーに載せて応えた。
「当分お前を監視する飼育係だよ、化け物」
 化け物――『Lycanthrope』と呼称される事になる特殊部隊は初め、彼一人で構成されていた。
 命じられるままに訓練を受け、定期的な食事以外与えられる事もなく淡々と。
 ミノルは逆らう事も、それ以外考える事もしようとはしなかった。
 できなかった、と言えるかも知れない。
 機械相手の戦闘訓練でも、単純な筋肉トレーニングでも、射撃訓練でも、彼は満足することも不満を覚える事もなかった。
 何故なら、そういう感覚を覚えないままに生活を続けてきたからだ。
――外にいるのは自分とは違う生き物
 『人間』と呼ばれる、脆くて畏しい生き物。
 不思議な事に彼らは自分で自分の首を絞め続ける。
 今自分がこうして彼らを滅ぼすための訓練を、自ら率先して行っていたりする。
 存在する矛盾。
 彼は、今までに一度だけ自分と同類に出会っていた。
 彼には一つだけ学んだ。それ以上の事は彼は教えてくれなかった。
 仲間を捜せ、それ以外は滅ぼせ、と。
 だから、滅ぼせるだけの力を持つために訓練を続けた。
 特殊部隊『Lycanthrope』は決して彼一人で構成されていた訳ではない。
 実際にはその下に――そう、彼には同僚と呼べる存在はいなかった――あの『研究施設』の檻のようなものが存在した。
 そこに我が物顔で研究を続ける博士が、いた。

「概ねコントロールできるものはできるが、とても軍隊としては使い物にならない」
 Lycanthropeは確かに単独で彼らに勝てる人間は存在し得ないが、しかしまた逆に彼ら程脆い物もなかった。
 仲間がいないのだ。
 単独として存在しなければならない理由はないし、血族である場合もある。
 だが大抵の場合、意志の疎通がままならなかったり、考えを異にしていて『群』として統率する事ができない。
 単純な生存本能や慣習――それだけが彼らの結びつきだった。
 とても兵器として使用するにはあまりにも不安定で、多くの精神的な要素を含みすぎていた。
 だから予算としても捻出できるレベルではなかった。
 それを何故いつまでも研究対象としてしまったのか――それは一人の研究者のせいであった。
 初めに『獣人計画』を考案した人間は、画期的だと考えていたのだろう。
 そのため、これを根幹とした基礎研究が様々な形で行われるようになった。
 計画を推し進められるのかどうか、現実性があるのかどうかを確認するために。
 それらの結果――『Lycanthrope』を実用化するにはほど遠いものだったが、研究成果としては非常に有用だった。
 医薬品にしても、超能力研究にしても、この基礎研究の為に発展の様相を見せた。
 だからこの計画そのものは凍結された形であったが、基礎研究が別の分野に吸収されてしまい、うち切られそうになっていた。
 それに目をつけた研究者は、自分の研究している『もの』を利用する事を考えた。
 『コントロールできる破壊』――それが、彼の研究の題目だった。
「彼らは確かに生命体だ、毒ガスや銃弾で滅びるだろう。しかしその『あまりに強力な戦闘能力』は対人戦では無敵だ」
 超能力のようにつかみ所のない兵器よりも確実で。
 そして要すればコントロールを可能な領域へと操作が可能だとすれば――それが彼の主張だった。
「……だが既に様々な方法を用いているのだろう」
 洗脳、薬物投与、様々な心理的操作まで。
 廃人になる――使い捨てにするにはあまりに高い金がかかるため、それらの方法はとても『使用に足る』とは言えなかった。
――充分だ
 獣人と言えども普通の人間と肉体的にはほとんど変わらない。
 ただ、先天的異常のために世界各国から『買われて』きた『実験動物』として、扱うことができる。
「あんなに高い金をかけた挙げ句、使い捨てではまだ一人のベテラン兵士を作り上げた方が安上がりになる」
 研究者は口元を歪めて笑みを湛えた。
 それはこらえきれない程の喜びを、歪んだ形で彼の外側へと映し出す。
――ああ、そうだろうなぁ
 計画としての結果を必要としているのだろう。
 彼は自分の研究では、その結果が出る可能性が少ない事を知っている。
 だが『計画』は彼の研究にどうしても必要なのだ。
「ええ、ですが御陰で奴らの有用性は理解いただけたのでは?」
 白衣のポケットに手を突っ込んだまま、男は勝ち誇ったように胸を反らし、含み笑いを漏らす。
「私も焦るあまりに試作品を投与してしまいましてね……今回はそのご報告も含めての話なんですよ」
「報告、ねぇ」
 男は彼を信用していないようだ。
 どうやら研究者の上司に当たるらしいが、その尊大な態度は確かに『部下』とは思えないだろう。
「ええ。私が研究しているのは『薬』ではありません。……微細機械はご存じですか?」
 彼は透明な液体が入った試験管を見せた。
 ゴム栓の上から透明なポリマーで厳重に封をかけているものだ。
「これが、彼らに投薬したものです」
 さざ波すら立たず、むしろそれは細かい砂のようで。
 液体のように見えるが、だとしても恐ろしく粘性が低い。
「……それは」
「これがナノマシンです。昨年発表したモノを改良して、投薬用に仕立てました」
 彼は試験管をポケットにしまい、代わりにバインダーに挟んだ書類を上司の机に差し出す。
 レポートらしい文面の下に、分厚い紙束が挟んである。
「使用説明書、です。仕様も全て掲載してあります。まだまだ人体への影響が大きすぎるので」
 男はそれだけ言うと上司に背を向けた。
「ああ、そうそう…『Lycanthrope』計画も大分細分化してるようですが、結局私が成果を収めそうですよ」
 と付け加えると顔だけ振り返り、声を上げて笑いながら立ち去っていった。


◇次回予告

  「……失敗か」
  実験は難航し、『成果』を急ぐしかなかった。
  朱――全て目の前を埋め尽くす、朱。
  「殺してやる、殺してやる、殺してやる!」

 Holocaust Intermission:ミノル 2 第2話

 お前が『成果』か。……この化け物め
                                            生まれる疑問

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