Holocaust ――The borders―― ミノル 1 第2話
Intermission
ボディガードなど、はっきり言うと必要あるのだろうかと感じた。
そもそもこんな極東の一島国の片隅で隠れて研究している理由はどこにあるのだろうか。
「不便ではないのか」
だから二日もしないうちに奇妙な感慨を覚えた。
ぼそりと呟いた質問だったが、彼にとってはかなり重要な事だった。
昼下がり、研究室をうろうろする博士に向かって吐きかけた質問を、彼は足を止めて受ける。
「不便ではないな。少なくとも必要なものと必要なことは今全てここにある」
それが何を意味しているのかはよくわからなかった。
「お前は、私の研究を護ればいい」
そのために呼んだのだから、とそれ以上のことを語らずに研究を続けた。
「待てよ、なら何故呼んだ。誰かに狙われているとか、今まさに切迫した危機があるわけじゃないのか?」
「危機?そんなものこの日本にある訳ないだろう」
彼は手を止めて、ミノルに向きなおった。
「私がここで研究を続けるためにはそれなりの理由が必要だ。……ここで研究を続けなければならない」
博士は、まるでぶつぶつと独り言を言うような気配を見せてついと顔を上げる。
皮肉った嫌みな顔。脂の切れた、かさかさした乾いた表情。
「お前はその理由のためと、いざという時のための駒だ」
その日以来、何を言ってももう大した返答はもらえなかった。
ミノルも、それ以上何も聞こうとしなかった。
彼が次に質問を繰り返したのは、それから数ヶ月後のことだった。
新聞に載らない事件が、彼の知り得る情報の中で繰り広げられた後のことだ。
「なんだこれは」
話題にあがっていたCyber-nautsの義体だ。
初めて見た時には、死体かと思った程精巧な作りをしている。
「高性能なダッチワイフさ」
下卑た笑みを浮かべながらコンソールを叩く。
『ベッド』に寝かされたそれは電子音を弾いて頭部をスライドさせた。
顔の部分が額から切り取られたように浮かび、頭頂部がまるで蓋のように大きく開く。
精巧なだけに、その不気味さはミノルですら思わず目を背けた。
だが中身は血液にまみれた頭蓋骨などではなく、艶のない真っ黒いフレームだった。
金属のようではない。
中身は――ここで言う、『中身』など入っていない。
すなわち、予定通り義体のみがここに運ばれてきたのだ。
「外観もおよそ注文通りだな」
「……何故少女型の義体を」
博士は目を丸く見開いて、真横にいるミノルを見返した。
ミノルはその時の博士の顔を忘れられないだろう。
瞳の中に光はなく、血走った眼球はせわしなく動き、何故か謂われのない恐ろしさを感じた。
――畏怖
そう捉えるような、本能的な恐怖だった。
「今から男性型を作らせるには、時間も金もなかったからな」
その点顔の整形だけなら安いものだ、と『元』大統領の娘だった義体を眺める。
「……まさか」
さてね、と博士はとぼけると、義体をベッドの上に寝かせたまま、彼は構造を解析し始めた。
特別な仕事もなく研究室にいるミノルは、それを一部始終見つめることになった。
端から見れば、危ない医者のようにしか見えない。
死体の少女の頭を切り開き、その中に幾つも電極をつっこんでいるのだ。
古く、小説や漫画に出てくるような狂科学者という言葉がぴったりだった。
少女が片言の日本語を話し始めたのは、それから二週間。
やがて買い物に出歩くようになるまでさほども時間は必要としなかった。
こうして名もなき少女の姿をしたロボットは、完成した。
半年経った時だろうか。
博士は一切契約を切ろうとせず、研究に没頭していた。
はっきり言うと、ミノルは呆れ始めていた。
ただ、契約のこともありここから離れることもできず、ただ食事をして研究を見続けるだけの毎日を送っていた。
――一体何をするつもりなんだろうか
聞いても、もう何も教えてくれない。
だから彼は、博士の素性を調べてみた。無論、自分の所属する傭兵部隊のデータベースを利用した。
博士の名前は柊 宰、数少ない日本人エージェントの一人だ。
過去に獣人計画に参加し、現在ナノマシン開発の第一人者として研究を続けている事になっている。
それが、こんな極東で人形遊びを続けているのだ。
「このロボットには名前は付けないのか」
時々検査でもしているのか、ベッドに寝かせてコンソールを叩くことがあった。
服を着たままだということは、無線で内部と通信ができるのだろうか。
「名前なんぞ必要ない。……まだ呼ぶ必要がないからな。つけられて情がわいても困るぞ」
「誰が」
ふん、と鼻を鳴らして両肩をすくめると、ミノルは研究室を出た。
――義体なんか使って人造人間を作る事に何の意味があるんだ
獣人計画は、人間兵器を作り出すためのプロジェクトだった。
彼らの多くは普通の人間のような社会生活を営むことは難しいが、サバン症候群に代表されるように、特殊な能力を持つ。
これらのうち、この『獣』としか呼びようのない異常者『獣人』を兵器化させる為に世界からかき集めていた。
獣人の特徴は、前頭葉という感情を司る部分と、通称『鰐の脳』という旧皮質が通常より発達している事が上げられる。
だがそのほとんどはコントロール不能なただの異常者に過ぎず、全く何の役にも立たない机上の空論として立ち消えになった。
その時のデータの一部を拝借して、今では超能力者の研究も行われているという。
そのため、凍結されたプロジェクトではない。
未だに研究は続けられているはずだ――まさかこんな、本来の意図とは違うものになっているとは思ってもいないだろうが。
『獣人計画』の成果は、大きく溜息をついた。
しばらく時間を潰して研究室へ帰ると、ベッドに彼女が眠っていた。
――いや、その表現は正しくない。横たえられていたまま、博士の姿が消えていた。
別段珍しくもない光景に溜息をついた時、少女の顔が引きつった。
――!
見間違いか、と思う暇もなく、少女は身震いしてベッドから起きあがった。
半身を起こして、両足をそろえてベッドから下ろすと、買い与えられたワンピースをチェックするように引っ張る。
そして、顔を起こしてミノルに気がつくと、にっこりと笑った。
「……おはよう」
頷いてベッドから降りて、彼女はミノルの側へと近寄る。
「おはようございます。……ミノル様、お父様は近くにおられませんよね」
いつになく人間じみた動きで、彼女は訪ねてきた。
数日前まで無邪気な表情をしていたはずの彼女の顔は、何故か空恐ろしい笑みを浮かべている。
「あ、ああ。…博士なら、近くにいない」
「お願いがあるんです」
両腕を自分の胸の前で重ねながら、ゆっくりと鈴を転がすような声で言った。
「父を殺してください」
彼に選択の余地はなかった。
ゆっくりとのびてくる彼女の指が、僅かに彼の頬に触れた。
「どうした」
夢から覚めるのは、いつも彼女の声が聞こえる位置で。
真正面から聞こえた声に、ミノルは眼を開いた。
彼女の表情は上位者の蔑みに満ちている。
その笑み――人工の瞳が彼を見つめる。
「――?!」
下半身に感覚がない。
両腕に力が加えられない。
正確に言うと――鳩尾よりも下の感覚が、まるで闇に埋没しているように存在しない。
まるで切り取られているかのように。
肩と腕の境目、上腕から先が全く存在しないような感覚。
胸から首、顔にかけても半分ほど麻痺しているようで、ゴムの袋を被っているような変な感じがする。
「…昔の夢、でも見たのか?」
彼女――視界の中だけでも彼女は肌を曝している。
びくん、と僅かに痙攣させて眼を細めた。
彼女の腕が首筋に伸びてくる。
糸のように細められた眼球に宿る鈍い光。
ゆっくり顔が近づいてくる。
「先に『行』ったのか?…今回は、記憶がかなり深くてトレースできなかった」
小さく細い腕が、身動きのままならない彼の首筋から頭の後ろに差し込まれる。
こつん、と音を立てて彼女の額が押し当てられる。
「…全く。あんまり古い話を思い出されても困る」
両手で側頭部を包み込むようにして、彼の頭を抱きしめる。
なめ回すようにして差し込まれる偽物の舌。
――全てに、彼女の意志が宿っている。
初めから抵抗は無意味だった。
全身に走る苦痛、突如襲いかかる目眩、手足に走る感覚不随。
そして、ブラックアウトする意識と途切れる記憶の向こう側にはいつからか、彼女が住み着いていた。
――多分夜中だ
彼女が『記憶』の通りに行動するのは確かだから、飛んでいたのは数十分というところだろう。
――だから、もう終わるはずだ
声のない吐息が漏れて、彼女は身体をのけぞらせた。
彼女が離れる瞬間水よりも細かな飛沫が――見えた、ような気がした。
かろうじて残されていた彼女の右腕が、余韻の痙攣を残して身体を彼の上に落とす。
「……満足か?」
ミノルは彼女の頭を左に見ながら呟いた。
両腕には感覚が戻りつつある。
「――いらないのか?…死ぬぞ」
くすくすと笑いながら彼女は僅かに身体を浮かせて、彼の前に自分の顔を持ってくる。
間違いなく自分が上位にいるのだという、余裕。
油断ではなく完全に自分が掌握しているのだという――支配者の貌。
「いらないと言っても無理矢理お前の脳髄に詰め込んで、『人形』にすることだってできる」
彼の頭越しに手を伸ばし、筒をつまみ上げてみせる。
シレット――無痛注射器だ。
「恨むな。私が気がついた時には既にお前もキャリアだった――ただ、それに気づかなかっただけで」
かちんとシレットが音を立てて転がる。
まだ全身の感覚は戻ってこない。彼女のおもちゃにされたままの――人形の身体。
「…どうした?この身体に不満でもあるのか?」
そう言って彼女は自慢げに胸を張り、彼の腹の上で髪の毛をかき上げてみせる。
「大統領閣下の娘をほぼ完全にコピーした逸品だ。…尤も、この年で既に処女ではなかったが」
そう言って僅かに身体を浮かせて、改めてミノルのすぐ側に横たわる。
右腕に僅かな重みを感じ――彼女が、自分の腕を枕にしたことに気がつく。
不可解だった。
彼女は人形、AIを人間に似せて載せていたとしても恋人の振りをするために自分の親を殺したのだろうか。
そもそも、人間と変わらない行動をする理由は何なんだろうか。
不必要なはず――ミノルは今の自分の立場が判らなくなっていた。
「こんな行為に何の意味があるんだ、お前は人形だろう?」
ぎしりと全身の骨が軋む。
まるで今の彼の言葉に抗議するように。
「ふん…その高性能なダッチワイフに毎晩抱かれている気分はどうだ?」
いや――文字通り抗議していた。
骨という骨に幾本もの細い針を突き立てたように、全身に声に出せない程の激痛が走る。
真っ白になりそうな意識が、今度は強制的に覚醒されて新たな激痛を与えられる。
「どうだ、と聞いている。…答えられないか?」
ばちばちと電気を消す音、瞬くように明滅する視界。
言葉を紡ごうとしても言うことを聞かない口。
やがて冷たく細い指が額に押し当てられて――やっと、目が醒めたように感覚が戻ってくる。
「お前に判らなくても良い――お前は、生き延びるためだけに私の側にいればいい」
彼女は呟くように言い、笑みを浮かべた。
何故か、掛け値なしの笑顔だと、彼は直感した。
指が離れて、すっと意識が遠のく。
眠りだ――いつも、こうやって夜が訪れる――。そして、次の日の朝、彼女の声で目が醒めるのだ。
ミノル、という自分の名前を呼ぶ声で。
いつの間にか定まっていた。
だから、いつの間にかその道を歩くのが普通なんだって思ってきた。
誰が決めたわけでもなく。
物心ついた時から、俺は銃を握っていた。
気がつくと、銃を必要としなくなっていた。
ヒトヲコロシタ。
それは呆気のない事だった。理由は明白だ――殺せ、と言われたから。
もし殺せなければ、バラされるのは自分だったからだ。
俺が生き残るために、他人を殺す。
それに何のためらいを覚える?
俺は、命令をした奴に見えるように、丁寧に相手を切り刻んでやった。
最初のうちは、それも楽しかった。
でも、段々現実感が遠のいていくのが判った。
そのうち俺を見張る人間も少なくなっていた。
やがて――見張りもなく、俺は彷徨うように殺人を繰り返した。
「君は最高の被検体だよ」
どこかで聞いた言葉。
ああ、そうか。
俺は――随分と昔にこういわれたことがあったんだった――
目が醒めた。
空にはいつもの天井がぶら下がっている。
「起きたな」
いつもの、彼女の声も聞こえる。
ただし、普段は視界に入る場所から聞こえるはずの声が、何故か真上から聞こえてくる。
「支度しろ。……少し街を見て歩こう」
身体を起こして彼女の方を向くと――僅かな時間、絶句した。
帽子を逆さまに被り、太めのつなぎのジーンズをはいて、彼女は――ご丁寧に、ガムをかんでいた。
「……どうした、いくぞ」
「何のつもりだ?」
彼の質問が判らないのか、彼女は首を傾げてみせる。
不思議そうな顔で。
「なんだ、奇妙な格好か?」
「というか、お前…何か勘違いしてないか」
ふううと溜息をつくと、ミノルは自分の額に手を当ててうなだれた。
特別咎める程の事ではないのだが、ジャケット姿のサングラスの男と、彼女。
凄い取り合わせである。
――これじゃちんぴらと変わらないじゃないか
久々のアメリカ西海岸。
古巣からはかなり離れているが、それでも日本よりは過ごしやすい殺伐とした雰囲気がある。
馴れ馴れしさのない、ある種のビジネスライクな空気というのだろうか。
「なんだか、嬉しそうだな」
ひょこひょこと視界の周りで動き回る彼女の方がむしろ嬉しそうだ。
ミノルは相変わらず不機嫌そうに答える。
「まぁな」
「今のうちはせいぜい楽しんでおけ。…もう『薬』の製造元とは話も付けているしな」
そう。
一度アメリカに渡ろうと言ったのは、既に切れかけている研究のための材料と、何より費用を稼ぐ意味もあった。
特に質のいい薬となると直接仕入れるよりも、コネを通じた『製品』を卸す方が手間が省けて良い。
『博士』が持っていたコネクションは、彼女の手中にあるのだし。
「しかし先方は、まだ『柊』が行く物と思っているだろう」
「お前も柊だろう?それに…」
くりっと顔を向けて、にかっと笑みを浮かべた。
「その時のために、お前がいる」
戸惑いを感じた。
今の表情に。
何故なら――ここ数ヶ月、彼女が完全に『彼女』になるまでに、笑みを一度も見せたことはなかったからだ。
今のような、本当に嬉しそうな楽しげな笑みを。
彼女はまた眉を寄せて顔をしかめてミノルの様子を窺う。
「……なんだ?…何かおかしな事を言ったか、私は」
「いや。…ちょっと驚いただけだ」
ある時は冷徹に。
ある時は斜に構えて。
いつも見下されているその表情しか見ていなかったから、彼女の笑みは常に嘲笑だった。
何故か――だから、今の笑みに奇妙な違和感と、不安のような物を感じた。
「薬を注文したら…なに、数週間だが、お前には一度単独で行動してもらうことになる。…頼むぞ」
結局、再び日本に戻ってきて、滞在していたのはほんの二月ほどにすぎなかった。
◇次回予告
「俺も殺した。――ただそれだけだろう、何を戸惑っている」
ミノルと実隆が立ち会う路地。
「以前、自分を犯人扱いしていたのは、こんな猟奇的な事件なんですね」
結論の出ない袋小路で、彼は穹を見上げる。
Holocaust Intermission:ミノル 1 第3話
面白いことを白状してやるよ。……俺も、実はこの両親の子供じゃない
そして再び日は昇る
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