Holocaust ――The borders――
Intermissionミノル 1 第1話
夢。
夢というものを見るようになった。
夢とは、いろんな人間の言葉を借りれば眠っている間に見るものだという。
眠りは必要ない。
眠りというのは生命に必要なものであり、神経反応を回復する手段の一つである。
生体細胞というのは丈夫なようで、かなり脆い。
実際人間の全身の細胞は一週間と持つわけではない。
一週間後に同一人物と出会ったとしても、もう全身どの部分を見ても完全に細胞は新旧入れ替わってしまっている。
正確な事を言うと、一週間会わなければ別人とも言えるのだ。
その、細胞の回復には神経が大きく関わるという。
一度神経が興奮状態になると、回復にしばらくかかる。
数度も興奮させてやると興奮状態と平静の状態が区別できなくなるために、『鈍く』なる。
興奮状態に発生する物質の補給の為にも眠りという行為が必要になるのだ。
ならば私には眠りは必要ない。
そういう風に設計されているからだ。
充電する際にも眠りという行為そのものに理由はない。
だが、私の記憶には眠るという行為の記憶がある。
だから、私は眠る。
眠っている間も、電力を使う。
私は眠っている間にメンテナンスプログラムを起動し、まるで人間のように回復を求める。
壊れる訳でもないし、壊れているわけではない。
定期的に交換しなければならない部品も、私には存在しない。
せいぜい電池を交換しなければならない程度だ。
これがCyber-nauts社の義肢の技術かと思うと、反吐が出る。
何故か?
理由はそれほど難しくはない。私の身体の維持だけでなく、人間がこの身体を作り上げたという事実が私には許せない。
人間に、この身体の維持を任せなければならないというただ一点、そこに関して私は二律背反を感じる。
この眠りという行為は、では無駄なのだろうか?
最近富みに気にするものだから、私までその癖がついてしまった。
私は作られた機械なのだから、最適化するのは当たり前だというのだ。
そうではない。
私は作られたからこそ、無駄なのだ。
無駄な行為を行わなければならないのだ。
そもそも――いや、私の事はこれ以上はそれこそ無駄だ。
水掛け論、そうとってもらって結構だ。
私は眠りを無駄だと思えない。
思っていない。――特に、夢を見るようになってからはそう感じるようになった。
メンテナンスプログラムを走らせているうちは私は体の機能から切り離される。
ここでいう『私』とは、身体の制御を司るプログラムと同等ではない。
人が人工知能と呼ぶ選択式情緒構成プログラムでもない。
『私』とは、記憶の海から生まれた私という個人を指して言う。
無論、今の科学技術では偶然の産物としてしか認識されないだろう。
そのとおりだ、私は否定しない。
トリガーとなったのは確かに人工知能かも知れないが。
しかし、このように夢を見るのは人工知能の力ではない。
機械的に組み合わされ、離れ、動き、漂う私の脳が蓄積した記憶からシュミレーションするのだ。
この記憶の逆流こそが夢――だと、私は考えている。
空を飛ぶ夢。
いや、意志のある飛行とは違う。
私の意志は、ただ視界を追うだけに過ぎず、それも速度を計算したりするわけではない。
相対的な速度として言うならば、とても計算できるようなものではない。
ただ考えるのは、自分が何処に向かっているのか。
視界の届く限り白と青のコントラストしか存在しない。
当然だ、これは夢なのだから。
夢を夢と自覚して見ることができるのは、これは判らない。
多分私の脳がそう言う風に構成されているのだろう。
だがこれだけは言える。
私は穹の彼方へと永劫に堕ち続けている。
視界は見渡す限りの青空。
いつまで経っても地面が見えないのが、その論理的な証拠だ。
カオスで有名なマルデンブロの図形のように、白い雲が次々に視界を過ぎっていく。
この夢は、きっと空を飛んでいるんじゃない。
穹に向かって墜ちていくんだ――
でもだとするならば、この記憶はいったい何の記憶なんだ。
Intermission : ミノル 1
「ミノル」
凛とした声。
鈴を鳴らしたような、という表現が似合う子供のような声。
だがどこか不自然な響きのあるそれは、確かに自分の名を呼んでいた。
だから彼は眠そうな顔を上げて、声の方を向いた。
そこには、少女の姿が自分を見下ろしている姿があった。
「起きたか?」
声の色から、決して怒っている風ではないのが判った。
まるで、悪戯している子供が呑気に感想を聞いているみたいに。
――尤も怒っているのであれば呑気に眠ってなんかいられないだろうが。
ここは貸し切られた安ホテルの一室。
ダブルのベッドの上でミノルは体を起こした。
だるい。
全身の筋肉は悲鳴を上げて、一斉に抗議を繰り返す。
「……ああ」
返事を返すのが辛い。
彼女――名前は判らない――が、椅子の上で休憩しているような格好で、ベッドに横たわった彼を見つめていた。
一瞬錯覚する。彼女は昨晩からその格好で自分を一晩中見つめていたのか、と。
それはあり得ないのに、何故かそれが正しいように思えてしまう。
実際にそうであっても彼女には何の支障もないだろう。
「だったらさっさと支度をしろ。……言っておくが、お前に無駄飯を喰らわせる余裕はない」
冷たい物言いだが、決してそれに反発を覚えないのは、何故だろうか。
理由がないからかも知れない。
いや、他に考えられない。
理由があるなら反発して、たとえ自分が死ぬとしても彼女を殺しているだろう。
でも、彼女を殺すことに理由はない。
たとえ、他の誰かを殺さなければならないとしても。
――でも、殺すという表現は適切ではないな
なにより彼女は、今のところ自分の上司、雇い主にも等しい存在だ。
無言のまま着替えて、彼女の後ろに立つ。
返事もなく、ただ二人はそのまま部屋を出る。
「今日で日本を発つ」
彼女の指示はいつも端的で短い。
わかりやすい代わり、決してその理由は判らない。
判るはずもない。彼女の頭の中にあるデータベースで数年後の各一時間毎のタイムスケジュールまでできあがっているのだから。
「……判った」
だから、ミノルの返事も簡単なものだ。
返事を返すとついっと少女が頭を上げる。
そして、まるで何かを思い出すように振り向く。
その表情は――嬉しいのか、明るい笑みを湛えている。
――感情があるのか
それは確認ではなく疑問。
初めて会った時も彼女のことには疑問を覚えた。
彼女は彼にとって、疑問でできている。
ただ一つだけ言えるのは――彼女は、完全に人間ではない。
「慣れてきたな」
僅かに口を吊り上げると、再び顔を前へ向けた。
「……まぁな」
「私としては、以前のお前の方が面白かった」
思わず笑っていた。
――以前の方が?
もしそんな状態が続けば死んでいる。
いや、生きながらにしてただの操り人形になっていただろう。
彼のその思考を読んでいたように急に不機嫌そうな表情を浮かべる。
「お前がどう思うかは判らないが、操り人形を好まないのは確かだ」
きっと鋭い視線を振り向いて突きつけて、彼女は再び正面を向いた。
「だからだ。……今度からは、質問は許すぞ」
「はいはい」
ミノルは両肩をすくめて適当に返事を返した。
この少女――正確には少女型義体は、Cyber-nauts社の医療器具試作である。
義体とは義肢、人工臓器の塊のようなものである。
特殊な合成蛋白質にナノマシン技術を施した、極めて人間の身体に近い再生能力を持つ。
このためにこの義体はメンテナンスフリーを実現している。
少女型を試作した――別に、他意があってのことではない。
Cyber-nauts社は元々はウェアラブル=コンピュータの先駆けの会社であったのが、インプラント型へと移行するに従って医療器具も手がけるようになったのだ。
義肢、人工臓器はもちろんこれを制御・統括するプログラム等はマイクロロボットの技術を利用して。
さらに、世界に先駆けたマイクロマシンの開発から、今では薬並に使用できるナノマシンまでの技術を持っている。
米国では有名なハイテクノロジーの結集された大企業だった。
『娘を救って欲しい』
大統領がそんな願いを口走るのに充分な。
彼女は重い内臓疾患を煩い、入院生活を続けていた。
だが改善の兆しは見えず、投薬の結果彼女は胃ガンになってしまった。
中学生にもならないうちにその命は一年を限った。
もしCyber-nauts社が彼女を救えば、世界的に大ニュースになっただろう。
だが大統領の幼子は助からなかった。
その義体が届く直前、病院はテロリストにより木っ端微塵に爆破されたからだ。
「ミノル」
ミノルのことを呼ぶ時、彼女は明るい声を出す。
明るい空、昨日の夜中のように澄んだ空気。
その中をごちゃごちゃと行き交う――人間達。
「ここ何日か、充分に堪能したようだな」
駅裏と呼ばれている地区を抜けると、彼女はミノルの真横に来ると腕を絡める。
この方が見た目に目立たないからだ――別の意味では目立つが。
だが少なくとも、少女に先導される男よりは自然である。
「……あまり具合は良くない」
顔を僅かに引きつらせて見下ろす。
「足りないか」
元大統領閣下の娘の顔をした少女は、にこやかに笑みを見せながらミノルを抉ろうとする。
彼女の言葉の意味を察して、あからさまにしかめっ面を見せる。
彼の様子に満足なのか再び顔を前に向け、含み笑いを漏らす。
「『奴』のもっていた量産施設ではこれ以上は無理だ。……アジア圏内で、良さそうなところを見つけてある」
「日本を出るって言うのは、そのためか」
「――他に何があると言うんだ」
一転して不機嫌そうに良い、怒りをあらわにして腕を捻りあげる。
ぎちぎちと筋肉が軋むが、その程度ではミノルもたじろく事はない。
「我々が逃げるためにここを出るとでも?ハッ、どうせこの世界に逃げ場などない」
足を止め――結果的に足が止まって、彼女は目を剥いてミノルを睨みあげる。
「ただ進むしかない――進むより他、逃げ道などない」
「……判っている」
「返事だけは上手くなったな」
一瞬彼女の貌が緩む――と、同時にミノルの全身が四角い箱に収められているように動かなくなる。
全ての筋肉は硬直し、ありとあらゆる関節には金属を入れられたようになりそこに立ちつくす。
心臓も横隔膜も完全に停止した状態――心停止と呼吸停止の状態になったミノルの顔が一気に真っ白になる。
「…言わなかったか?お前の命は私の掌の上にある。機嫌を損ねない方が良い」
耳元で囁くように腕に身体を押しつけて呟くと、どこかでスイッチの切れるようなぱちんという音が響いた。
同時に心臓は脈動を開始し、空気が音を立てて肺に流れ込んでくる。
意識が飛びそうになって足下に崩れ込んで、両手を地面につく。
「特に、お前の腕を始末屋に切り落とされた時はどうしようかと思ったぞ」
今彼の腕はある。
どちらにも傷一つ残っていない。
少女が近づいてくる気配にも、むせ込んで顔を上げることすらできない。
「お前は私の大切な木偶だ。勝手に壊れられては困る」
思わぬ近くから声が聞こえて思わず顔を上げようとして、首にからみつく腕に押さえつけられる。
視界の端から――彼女の顔が。
「お前を壊すことができるのは、私だけだ――」
彼女の目的は、まだ理解できなかった。
反逆に値する理由でもなかった。
だが、この『実験』が終われば日本を離れることだけは理解していた。
だから平和な日本に住んでいる、平和に残されていた弟が目覚めるのを手助けしてみた。
――どんな貌をするか、楽しみだった
なかなか楽しい反応だった。
次に会う時には、もう少し楽しめるかも知れない――
今から数える事およそ一年前、一つのある実験が行われていた。
「……ボディガードか」
自由契約の単独傭兵であるミノルの元に来た指令は、単純かつ彼に似合わない仕事だった。
初めから人間兵器として育て上げられたミノルにとって、米軍特殊部隊一個班との戦闘でも物足りない。
ボディガードというのはライフル狙撃、急な襲撃に対して身を盾にするという役割を持つ。
だからこそ、単独でのボディガードなどは存在しない。
世に言うSPはその代表例だ。
尤も――敵の攻撃を察知して全て先制できるなら、盾になる理由はない。
派遣先は日本。当然、彼が選ばれても不思議のない選択である。
日本人のエージェントは極端に数少ない。
これは部隊の性質上どうしようもないことだ。
兵器産業にとって日本ほど開発の遅れた国はない。
市場としても開拓できない、手先の技術力だけで使える兵器を作らない、まさしく後進国だ。
軍産共同体として生まれたHephaestusにとっては日本ほど攻めるに難しい場所はない。
政治的にも面倒臭いからだ。
人種差別も激しい。
彼らは、自分と同じ民族、同じ顔でなければすぐに排除したがるからだ。
武器の持ち込みなし、できれば現地の人間に目立たない方が良いとすれば――ミノルは最適な選択になる。
しかしそれ以前に依頼人が彼を名指しで指定してきたのだ。
彼も断る理由なく、旅客機に乗って日本へと向かった。
「コーヒーはいかがですか?」
声をかけられて、彼は感慨から頭を上げた。
Hephaestus専用の個人旅客機でありながらスチュワーデスが乗り込んでいる。
ミノルは僅かに首を傾げて彼女の貌を見上げる。
「いや、仕事の前に刺激物は控えることにしている」
身体がうずくからだ。
彼女が去るのを背中すら見送らずに、再び椅子に身体を沈める。
訓練と純粋な食料により育ってきた彼にとって、擬態する必要のない時には兵器でしかない。
嗜好物も、まして男女の区別すらない。
あるのは――目標と、それ以外の邪魔なものだけ。
妙な刺激がくわえられれば脳内麻薬のバランスが崩れて、思わぬ暴走を開始してしまう。
――それも、この『血』のせいか
彼が今ここにいるのも。
彼が幼い時に目をつけられたのも。
――日本……か。久しぶりだ
あいつはいるだろうか。
彼は、高校生であろう自分の兄弟のことを思い浮かべていた。
日本国某所、とある小さな貸家が目的地だった。
「良く来たな」
出迎えたのは白髪髭の年寄り――実はまだ四十代だというのは、この後に判った――と、小さな機械のついた作業台。
いや、作業台というよりも、この男の言うとおりベッドという呼称の方がしっくりくる。
見たこともない奇妙な機械と、コンソールらしいパネルが並んだそれは、革張りで中央に向けてくぼんでいる。
「ベッド?」
「ああ。これは今私の研究している素材の為の『ベッド』だ」
成る程、子供一人が眠るには丁度良い大きさだろう。
研究の内容については全く知らされなかった。
別に研究の内容にも全く興味はない。
ただ、この男を護ればそれで良いのだ。
この男がわざわざミノルを名指しで指定してきたこと、ただその一点に限って、彼は判らなかった。
ミノルは博士らしいこの男を知らない。
「博士。……この俺を名指しで呼んだ理由は?」
一瞬怪訝そうに眉を寄せて、やがて鼻を鳴らして笑った。
「俺の顔を覚えていないような薄情者に育てた覚えはなかったんだが」
ずきん
『最高の素体だ』
その一言が、突然脳裏にひらめいた。
「『獣人計画』の素体第一号認定者だろう」
「貴様」
博士は笑いながら背を向ける。
「お前に護られるのは最高の悦びだ。…自分の最高傑作だからな」
笑いながら扉の向こう側に消える男から視線をそらせると、ミノルは部屋を見回した。
何故か怒りはわかなかった。
獣人計画――Project Lycanthropeはそう呼称される一連の兵器開発計画である。
ミノルもその全容を捉えているわけではないが、決して関わりのないことではないので知っている。
今博士が研究しているこれも、もしかするとその一端なのだろうか。
――今度も子供を実験体にでもするつもりなんだろうか
彼はぼんやりとそんな事を考えていた。
◇次回予告
「父を殺してください」
それが初めての命令。逆らいがたい衝動。
疑問と、そして彼女に対する――従わなければならないと言う義務感。
「いや。…ちょっと驚いただけだ」
Holocaust Intermission:ミノル 1 第2話
その時のために、お前がいる
従うべき彼女の名は、ない
―――――――――――――――――――――――