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まずは、桐生市との境に沿った道路にある踏切です。「葦中踏切 NO108 両毛線
55K822M」とあります。小山から55.822km
、108番目の踏切ということのようです。桐生市側は相生町ですが、近くに足仲団地があり、漢字は違いますが「葦中(アシナカ)」は地名のようです。阿左美沼にも近く、「葦中」は水との関連が感じられます。交通量の多い市界の道路を100mほど北西へ行ったところを左折すると、静かな道になります。 |
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小さな交差点を左折すると線路近くに出ます。周りは畑で牧草などが多く作られています。少し曲がりながら線路からあまり離れないように進むと水田が広がってきます。早いところは田植えが済んで、小さな苗がやっと水面から頭を出していました。線路の北側は水田ですが、南側は住宅が立ち並び、そこに「第二岩宿踏切」があります。車は通れません。近づくと注意を喚起する放送が自動的に流れてきました。 |
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そのまま線路沿いの道を西に進むと、岡登用水を横切り、以前に紹介した「広沢道踏切」に出ます(歩いてみよう7 岡登用水三俣分水から阿左美沼へ)。ここも歩道がなく、車の通行も多いので気をつけなければなりません。線路を渡りすぐ右折すると公設市場の裏から岩宿駅の南側に出ます。国道50号沿いに大型のパチンコ店や電気店ができ、この辺の風景も一変しました。 |
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パチンコ店の駐車場の間を抜け西に進むと、国道と県道の交差点近くに出ます。県道を右に進み、両毛線を超えます。この跨線橋は「沼見橋」という名前です。昔は阿左美沼がよく見えたそうですが、今は建物の陰で見えません。橋の北側に細い下り階段があり、岩宿駅に抜けられそうです。
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橋のたもとの信号を左折して進むと国道50号との立体交差で、くぐったところの信号をまた左折すると笠懸運動場です。右側がテニスコート、左側がグラウンド、体育館が建設中です。グラウンドと建設中の体育館の間を南に進むと線路に突き当たるので、線路に沿って南西に進むと「第一鹿川踏切」に出ます。ここの踏切は、岩宿駅方向から電車が来る場合、電車が駅にいるうちから警報機が鳴り始めるようで、待ち時間が長いです。線路の向こうは皆さんご存知、文化ホール〔パル〕と笠懸公民館です。ここからは線路の南側に沿って歩けます。 |
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枕木を並べたような身無川の橋を渡って進むと「第二鹿川踏切」があり、さらに進むと県道大間々世良田線(大間々尾島線)の「第一大間々道踏切」です。南東の畑地側に「岡上影能公陣屋跡」の説明板があります。それによるとかなり広い面積だったようで、この一帯の小字は「陣屋」と言われていますが、今では説明板が傾き、すっかり忘れられてしまった遺跡という感じです。ここで再び踏切を渡り、線路の北側の道を進みます。 |
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ここからは道幅はそれほど広くありませんが、舗装されているので車の通りもあります。県道から300mほど進んだ所の踏切は「新大久保踏切」です。笠懸中学校のテニスコートの角を南へ下った道です。なぜ「新大久保踏切」というのか、不思議な感じです。藪塚の大久保(現太田市大久保町)に通じる道ということなのでしょうか。筆者にとって大久保はまるで馴染みのない地名ですが、昔はとても身近な地名だったということかもしれません。 |
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さらに進むと、「第一前鹿田踏切」「第二前鹿田踏切」「第三前鹿田踏切」と続きます。「第一前鹿田踏切」は笠懸幼稚園の西を南に下った道で、「第二前鹿田踏切」は車は通れません。このあたりは住宅や畑、ビニールハウスなどが混在した風景です。
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3つの「前鹿田踏切」の次は、場所は前鹿田なのですが、「大間々踏切」です。「大間々道」と言われる道ではないのでしょうが、地域の大間々との強い結びつき、大間々の賑わいの歴史がうかがえるようです。笠懸の西のはずれはもうすぐです。ここからは少し線路を離れますが、300mほど西へ行ったところを左折すると「間野谷百頭踏切」があります。笠懸で最後の踏切ですが、ここも車は通れません。この踏切の南のほうが「桃頭」ですが、踏切は「百頭」です。このあたりも住宅が増えてきています。
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