矢倉岳万葉公園に向かう途中で振り返る矢倉岳

下り東海道線が国府津を超えて曾我丘陵が背後になると、箱根の山並みが車窓に広がってくる。その北端に小振りながらも力強く突き出すのが矢倉岳で、形状からトロイデ火山のように見えるがじつはそうでなく深成岩でできているらしい。矢倉岳は律令時代の東海道である足柄道を見下ろして立っており、旅人を監視する櫓(やぐら)のようだから矢倉岳と名付けられたと聞く。山頂から稜線沿いに西の足柄峠まで歩きやすい道を辿り、峠から”足柄古道”を下っていくと、車道歩きとなった沢沿いの道で頭上から見下ろしているのがこの山なのだった。


晩秋の日、小田原駅から大雄山線で終点大雄山へ。昼前の内山経由のバスに乗り矢倉沢本村の停留所で降りる。清涼飲料水と煙草の自動販売機があるきりで店はないようだ。蜜柑の木と茶畑を眺めながら集落を抜けていくと農作業されているひとの姿が見える。
標識に従って分岐の多い道のりを辿っていく。とてつもなく急な舗装道を上がっていくと右手の茶畑越しに丹沢山塊が顔を出す。右端の大山が見事な三角錐だ。徐々に道が細くなり、物置のような建物の前で道幅は歩けるだけのものとなる。簡易舗装道が山道となって植林のなかを行くじめついたジグザグ道をひとしきり。平坦になってようやく雑木林が足下を明るくする。ゆるやかに蛇行する穏やかな山道はすでに落ち葉でいっぱいだ。かさかさと音を立てれば頭上の鳥たちが驚いて警戒の囀りを交わす。
見晴らしのない登りを一時間ほど続け、やっと見えてきた光のなかに出て行くと山頂だった。大きく開けた草原で、三々五々休憩する人たちの前には谷を隔てて金時山、明神ヶ岳が逆光に白く、奥に控える神山とともに高さを競っている。開発され尽くした箱根の山もここからだとかなり山深い印象だ。目に入る人工物といったら真下の谷底の舗装車道くらいのもので、それも視線を上げれば消えてしまう。なので山頂の遊具施設のような櫓が邪魔に思える。
晩秋の枯れ草に覆われた山頂
晩秋の枯れ草に覆われた山頂
山頂から神山(左奥)と金時山(右)を望む
山頂から神山(左奥)と金時山(右)を望む
かねてより地図を眺めて「山も小さいし歩きでがなさそうだ」と思っていたので登りは短時間で済むと思い、バスを降りてから勢いよく登ってきた。途中、足がつるかと思うほど調子に乗って登ってきたので、おそろしく疲れていた。枯れ草に覆われた草原の上にザックを投げ出し枕にして横になる。日に乾いて重なり合う草葉は暖かなマットレスで、全身に降り注ぐ日差しは掛け布団のように心地よい。冷たい風も身体のうえを撫でていく分にはちょうどよい清涼剤だ。遊び戯れる子供たちの声も、その子らを気遣う父親の声も耳に好ましい。短いものの急登で達成感もあり、登り着いた先はこの開放感。矢倉岳はよい山だった。


光溢れる山頂から下ってたどるのは来た道とは反対側、足柄峠へと続く稜線だ。始めは登り同様に急な斜面だが雑木林の下に伸びる道は歩きやすい。内山集落への道を右に分ける清水越えにはすぐに着く。ここから植林が天を覆い、足下は再び暗くなる。地蔵堂へと左に分かれる道もやり過ごし、ほぼ稜線通しのよく踏まれて安心できる道のりを行く。ピークを巻くように続くものの多少の上り下りはあり、山を歩いている気になる。見晴らしが閉ざされた左手の谷間を大きく巻くと一角が開けるところがあり、紅葉した矢倉岳が見上げられる。余計なものを身にまとわず青空に突き上げる姿には周囲を圧するものがある。
万葉ハイキングコースという名の地蔵堂への近道を見送ると万葉公園の敷地に入る。公園といっても万葉集の歌碑が立ち並び、ところどころに思い出したようにベンチが置かれただけのものだ。日が陰ってきてTシャツ一枚ではさすがに寒い。園地を通り抜け、麓から上がってくる車道に出させられて仕方なくこれを辿ると、左手に案内板があって足柄明神なるものへと山道に引き込む。そこは足柄神社跡で、梢越しに金時山と明神ヶ岳が傾いた日に照らされて赤茶けているのだった。さらに山道を行くと簡易舗装された道筋に出くわす。これが足柄古道で、登っていくと足柄峠だった。
峠は今も昔も駿河国と相模国の国境で、矢倉岳を見上げながら登ってくるとこの峠に出ることになる。ここはかつて足柄坂と言われ、この坂の東を”板東”と呼ぶなど、関東地方の旧名の由来となったという。車道に分断されているが”足柄古道”として一部が復元されており、峠近くではかつての石畳も少々残っているようだ。関所跡もあって門柱も立っていたが、脇にある解説板によると黒澤明の『乱』に使われたセットの一部を移設したものだという。向かいには聖天堂なる寺があり、門前にはまさかりかついだ金太郎像が勇ましい。またがっているのは小熊らしく、これがじつにかわいらしい顔をしているのだった。
聖天堂前の金太郎像
聖天堂前の金太郎像
日も傾きだしてきたので、足柄古道を下り出す。最初こそ傾斜が急で、しかも簡易舗装なので膝に堪えそうだったが、斜度が緩むと土の道となる。だがなんども車道を渡らされるのには閉口だ。頻繁には通らないものの交通量は少なくはない。しまいには車道脇の歩道を歩くようになった。すでに日は山の端に隠れて足下には日向と日影の区別が無く、左手に見上げる矢倉岳にも日は当たっていない。せっかくの紅葉も輝きを失ってしまっているのだった。


家並みが見えてきてバス停がありそうだとあたりがつく。右手に人が通れるだけの道があり、標識があって「←バス停」とある。訝しみながら入ってみると万葉うどんの店があって、その先に地蔵堂が見えてくる。停留所の時刻表を確かめるとあと10分でバスが来る。その次は一時間後で、それが来る頃には日が暮れてしまっているだろう。うどんの賞味は、ここから歩いて15分で着く夕日の滝とともに、次回以降の楽しみとした。
2007/11/04

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