臼杵山から市道山を経て醍醐丸臼杵山と市道山を結ぶ尾根から臼杵山南峰(鹿ン丸)

戸倉三山は1990年ごろに訪れたきりで、その後奥多摩に向かうことが多々ありながら足を向けなかった。臼杵山、市道山と眺望のないまま歩き続け、刈寄山でようやく眺めが開けたが、この山の山頂は公園みたいな感じで、とくに再訪したいと思えるものでもなく、今熊山経由で車道に出てバスを待たずに五日市駅まで歩いて出たが、全体に五日市市街地を歩いている方が愉しいと思えるほどの道のりだった。とはいえ市道山から醍醐丸へと延びる吊尾根はいつか辿ってみたいと思っていた。山域を越境することそもののが魅力的であるし、なにぶんにも静かな道のりだろう。
紅葉の季節、どこの山へ行こうかと考えているうちにこのルートを思い出した。帰りの交通機関を考えると奥多摩側から中央本線側へ出るのがよさそうだ。こうして20年ぶりに三山の一角にとりついてみたところ、彩り華やかな季節に歩いたせいか、植林が優勢な臼杵山と市道山の間を除いては愉しい道のりだった。臼杵山が標高のわりには登りごたえのある山だということも改めて認識した。


武蔵五日市駅から相当な混み具合の9時27分発藤倉行きバスで元郷に出る。下りたのは自分と家族連れ一組だけで、その家族連れも臼杵山には登らないようだった。停留所すぐ裏から始まる沢沿いの細道を急登する。フェンスと民家の狭間を歩くので出だしの雰囲気としては良くない。とはいえそれもほんの数分で、家屋の群れを後にすると整然と立つ山林のなかとなり、傾斜も緩んでくる。あらためて身支度して登り出す。再び急登となった山道で見上げるとお椀状に婉曲する尾根筋の斜面で、登り着いて振り返ると相当な傾斜だ。木立の合間から対岸の馬頭刈尾根が日に輝き、足下には後にしてきた元郷の集落が穏やかだ。
登路は左へ直角に曲がる。尾根上の安定した道のりとなるとそこここに黄葉の木々が現れてくる。ただし眺望の開ける場所はなく、ところどころ梢越しに馬頭刈尾根がうかがえる程度だ。山頂まで二つあるうちの、最初のアンテナ施設が見えてくる。周囲は多少切り開かれていて休憩するにはよい。概ね雑木林の明るい森を行けば二番目のアンテナ施設で、こちらは狭い尾根上に設置されていて窮屈だ。このあたりまで来るとようやく山頂部は近い。色づいた葉群の奥にせり上がって見える。
右手から笹平に続く山道を合わせると北峰に出る。以前はここが臼杵山と呼ばれ、となりの南峰は鹿ン丸と呼ばれていたらしいのだが、いまでは山頂名を折半しているようで若干影が薄い。臼杵神社の祠があり、幟がはためき、比較的新しい狛犬が出迎える。古いのも社の両脇に控えているが、阿吽の"阿"のほうが頭部を損壊してしまっている。この神社は養蚕の神様が祀られているらしく、かつては蚕を食い荒らす鼠の天敵である猫の像がさかんに奉納されていたらしい。そういうわけで臼杵山は「猫」で有名だったそうだが、持ち去られたのかいまでは一体もないようだ。樹林に囲まれて展望はないが祠の右後ろが少々開けていて笹尾根が見通せる。台形に突き出しているのは槇寄山だろうか。
臼杵山(北峰)山頂の臼杵神社
臼杵山(北峰)山頂の臼杵神社
隣の南峰へはほんの少しで着く。初訪時だと木立に囲まれて眺めが全くなかったが、いまは南東方向が切り開かれていて関東平野方面が見渡せるようになっている。とはいえ本日は大気が霞んでおり、五日市の町並みと刈寄山周辺を見下ろすくらいだ。このあたりは奥多摩三山や川苔山などと比べれば遙かに人影が少なかろうが、それでも奥多摩の一角を占めているだけあって人が来る。ちょうど昼時だからか前方の市道山方面からも後方からも来る。つい今し方まで誰もいなかった山頂は突然賑やかになった。


臼杵山から市道山へは細かいアップダウンの繰り返しから始まる。両側は植林の林で季節感が感じられず眺めもなく、足下が岩がちになった山道に変化を感じるのみでただただ歩く。臼杵山への登路では何度も足を止めては紅葉の写真を撮って時間を食い、登りのリズムも出なかったので、これはこれで足取りがはかどる。二山をつなぐ行程の半分を過ぎたあたりからようやく落葉広葉樹が目立ち初め、山上の秋が戻ってくる。かなり下って登り返すあたりで正面を見上げると、両側に尾根が張り出している。右のが嫁取坂、左のが刈寄山に続く峰見通りかと思いつつ上がってみると、そこはまだ稜線の一角で、嫁取坂は見込通りだったものの正真正銘の峰見通りはまだ先だった。
市道山に向かうあいだでも何組かのパーティーに出会った。10人くらいの団体もいた。あいかわらず奥多摩は人気の山域のようだ。でもきっと御岳山や三頭山などはさらに人が多いに違いない。それに比べれば静かな方だろう。
市道山頂から刈寄山方面を望む
市道山頂から刈寄山方面を望む
市道山も臼杵山山頂と同じく東側が伐採されていて五日市方面が開けている。臼杵山と同じく以前に来たときは眺めが全くなかったので別な山に来たようでもある。初訪時は山道の陰になるような斜面に腰を落ち着けて湯を沸かし、木立を眺めながらカップ麺を食べたが、いまはそこここにベンチ代わりの丸太が設置され、広々とした景色を見渡しながら休憩できる。正面に見下ろす刈寄山は天候と時間帯のせいかだいぶ霞んでしまっていて、紅葉しているのかさえわからない。その右手の今熊山方面に続く稜線のほうが明瞭な秋色だ。食事の後、本日は湧かした湯で甘めの紅茶をいれた。コーヒーにしようかと迷ったが、少々疲れ気味なので甘くても飲める紅茶にしたのだった。


市道山までひたすら南下してきたが、この山頂にて、左、東へと直角に曲がる。ここから先は峰見通りと呼ばれる稜線で、刈寄山へは東へまっすぐ行くが、本日は生藤山山塊に連なる醍醐丸へと続く「吊尾根」を歩くので、市道山を下ってすぐに右手の山腹道に入り、南下を再開する。初っ端は崩れかけた場所もあるぐずぐずの道で、どうなることかと思ったものだが、尾根筋の上を行くようになって安定した。
臼杵山と市道山とをつなぐ尾根に比べれば遙かに彩りが豊かで、すっかり曇り空となってしまった空模様でも山の晩秋は十分に愉しめる。上り下りも緩やかでたいへん歩きやすい。途中、林道が右手下の山腹に見え出すと、それまでの雑木林の世界がいったん消え、季節感のない植林のなかを辿る。人の気配のない山中だが、作業用の車が一台止まっているのが目に入る。運転席は空だった。
道のりはふたたび雑木林のなかとなり、曇天ながら光も戻り、少々ながら見通しもよくなる。右手の西側には三国峠からの踏み跡を乗せる万六尾根が黒く沈み、万六ノ頭や湯場ノ頭が平坦な頂稜を見せている。尾根が高まる先には生藤山山塊と思えるのが霞む。いま歩いている山道の正面に浮かぶのは登り着くはずの醍醐丸だろう。左手先には陣馬山がゆるやかな姿を見せている。奥多摩から中央線沿線の山々へ、ちょっとした越境者の気分だ。
醍醐丸かと思って登った先は、その手前の肩のような部分だった。山頂は少々下って登り返した先にあった。近くにある連行峰と同じような細長い頂上で、同じようにベンチが並んでいる。振り返ればいま歩いてきた奥多摩側が開けているものの、時刻の遅さにぼんやりと霞む大岳山が目を惹くくらいだった。もう4時近く、吊尾根に人影がなかったように、ここにも誰もいなかった。
醍醐丸山頂
醍醐丸山頂
醍醐丸から東へ、幅広になって歩きやすくなった尾根道をたどる。分岐を教える標識が立っていて、和田の集落へは右へ植林の山腹を下れとある。尾根筋をまっすぐ行けば和田峠だ。峠に出れば車道下りなので足下は安心だが、なにぶん遠回りだ。まだ空には明るさが残っているので林間でも不安はなかろうと和田へと下ることにする。途中から沢音を道連れに、ときおり水が浸みだしている山道を下っていく。コンクリ造りの建物が見えてきて、その前が和田の集落に続く車道だった。建物は浄水場だった。


あたりは相当に暗くなってきている。「かながわ 蔵のまちなみ100選」なるものに選ばれたという和田地区の佇まいを眺めつつ薄暮のなかを下っていく。外に出ているひとはもはやおらず、反応するのは飼い犬くらいなものだ。17時過ぎに和田のバス停に到着してみるとバスは半時ほど前に出て行ってしまっていた。次のは一時間半後だ。
夕暮れ迫る和田の茶畑
夕暮れ迫る和田の茶畑
出る先は藤野駅で、歩いても一時間半程度だ。すっかり暗くなってしまったが勝手はわかる。なので歩くことにした。藤野駅に着いたのは18時半ごろだった。ひさしぶりにたくさん歩いた一日だった。
2010/11/13

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