南沼付近から山頂を仰ぎ見る

トムラウシ(二)

お花畑を後にして、ふたたびハイマツをこいで五色岳に登り返し、化雲岳へのこれまたなだらかな高原状の道をたどる。避難小屋からと同じくこちらもハイマツに覆われた道だが、斜度がないせいか歩きにくいほどではない。左手には昨日同様にトムラウシが顔を出しているが、今日は夏雲が飛来しては開けた原の上に大きな影を落としていく。天気が崩れることはないだろうが、山頂に着く頃にはガスに覆われてしまっているかもしれない。予定では山中二日目の本日に最高点を踏むことになっているのだ。


前方に化雲岳が見えてくる。忠別岳や五色岳と同じく北側に急崖を落とした非対称山稜だ。とはいえ雪食により構成されたものではなく、ここは火山地帯なのだからしてカルデラの淵なのだろう。だとしたら我々はかつてあった巨大な山の広大な裾野の中ほどを歩いているのかもしれない。化雲岳の頂には岩塔があるのが見える。ここにも小さいながら火口があったのだろうが、いままさに歩いている台地を構成する溶岩がどこから噴出し流れてきたのか、まさか化雲岳のあのささやかな山頂からばかりではないだろう。
化雲岳を目指す
化雲岳を目指す
化雲岳の手前で道は二分し、左手は山頂をカットしてトムラウシに向かう。大雪山からの縦走時に登ったという二人に先行してもらって、初めての三人は立ち寄ってみることにした。まだ歩き出して間がないので寄り道するほどの気力と体力はあるのである。
着いてみると、遠目にも顕著だった頂の岩塔は5メートルほどの高さだ。手前はちょっとした広場になっており休むのに適している。すぐ近くで眺める岩はやや前傾しており、最近クライミングを怠けている身をひるませるが、よく見るとガバのホールドばかりで、登山靴でも登れそうである。さらによく調べれば脇に楽に上れるルートがあったが、そこをたどっても面白くなさそうなので下りに使うものとし、正面からよじ登る。夏雲の下に立ってあたりを見回せば気分はお山の大将だ。同行者も登っては岩の上で達成感を楽しんでいた。
化雲岳山頂の岩塔にて
化雲岳山頂の岩塔にて
化雲岳から下った先は地図上だとトムラウシとの鞍部になるのだが、ここから本体の山頂までが長いのでそのような気がしない。このあたりは池が多いところで、左手下にはヒサゴ沼が文字通り寝かせたヒョウタンのようだ。じつは二つの池なのだが、その分かれた部分がちょうど紐を巻き付けたヒョウタンのくびれた部分に見えるのだった。このあたりからは溶岩の冷え残りといった岩があちこちに点在し、強い日差しを受けながら暑苦しい黒茶色に納まっている。「日本庭園」と呼ばれるハイマツと岩の高原地帯だが、庭園と言うよりは地獄的な荒涼とした感じを抱かせる。
テント場を出てから状況は同じなのだが、なにぶんにも日を遮るところがないので暑くて仕方ない。昼食を取る時刻が近づくにつれ、雲の下の日陰に入ろうと進むものの、すぐそこが日向になるを繰り返し、なかなか腰を下ろす踏ん切りがつかないのだった。
日本庭園;天沼
日本庭園:天沼
とにかく岩また岩の道が続く。この山は「岩の殿堂」と呼ばれもするがさもありなんというところだ。日本庭園の岩石帯を抜け、トムラウシの頂上部を乗せる台地を正面に見るようになると、キタキツネが餌をねだりに出てくる。わたしは初めて見るが賢そうな顔つきだ。しかしここで愛想よくすると双方によくない。野生に帰れとばかり威嚇して追い返す。
岩だらけの斜面につけられたルートを登り切れば、トムラウシ本体はすぐそこだ。荒野のような道をほんのわずかで、北沼の近くに着いた。目の前には稜線部に続く斜面が立ち上がっているが、ここからはもう近すぎて山頂がどの部分なのか判然としない。
本来の予定であればこの日のうちにトムラウシ山頂に登って南沼キャンプ場に下り、そこで野営するはずだったのだが、メンバーに疲労を訴える声が大きく、昼を過ぎて山頂はすっかりガスに隠されてしまい登っても眺望がなさそうに見え、かつ南沼には水場がなさそうであるというかなり有力な観測が流れたので、北沼のほとりにできあがっているテントスペースに泊まることに意見が一致した。ここに達する予定時刻をかなり過ぎているので妥当な決着ということだろう。しかし正規の幕営場所でないので登山道を外れての行動には細心の注意を要した。お花畑の中をいくことになるので、植生を踏みつけないよう、地面から出ている岩の上を歩くようにして更地化されたテント場に向かう。
北沼
北沼、奥に雪渓
問題は水である。ここに沢はない。目の前には豊富な水があるにはあるが、溜まり水であるし登山道の脇なので飲む気がしない。ガイドには沼の反対側の雪渓を当てにすることとあり、その融け水を集めることとした。代わる代わる池のほとりを岩伝いに行っては、雪渓の下にもぐって氷の天上から落ちてくる滴をペットボトルやポリタンクに集める。気が長くないと勤まらない仕事だ。
そうこうするうちガスが立ちこめ、水集めと並行して煮沸した飲料水作りや食事作りをしているうち、日も容赦なく暮れていった。立ちこめるガスで見通しが悪いうえにほとんど暗くなって足下も定かでない状態の中、最後の取水に行った仲間が雪渓から帰ってきた。聞けば南沼からここまで水を取りに来ている人がいたという。向こうにはやはり水場がなかったようだ。


山中三日目、メンバーはいったん二手に分かれた。二人は軽装で山頂を往復してから全荷物を背負いなおして下を巻いて南沼に出ることとし、他の三人は最初から全荷物を背負って山頂を越えていく。わたしは軽装組に入り、早朝に山頂に立った。
雲海のなか、周囲の山々が幻想的に浮かんでいる。十勝の山並みはここから一直線に、石狩連峰はあいかわらず逆光に黒々と、大雪山はトムラウシ山頂部の岩屑帯のかなたに薄雲をまとわりつかせて静かに広がっている。山頂には先行者が何人かいたが、入れ替わるように下山していき、話し声も途絶えた。二人きりで独占した山頂の岩場に腰を下ろし、テント場でつくっておいた食事を広げ、ここまで空けずに残しておいた烏龍茶のペットボトルで乾杯した。山はやはり、静かがよい。
山頂より大雪連峰
山頂より大雪連峰(左端が旭岳)
山頂より十勝連峰
山頂より十勝連峰
 (三角形の山はオプタテシケ
  その右肩に美瑛富士
  オプタテシケの左に美瑛岳・十勝岳)
山頂からの下りでは事故が起こった。同行者の左靴の底が剥がれてしまったのである。岩場を下りきった後なのでタイミングとしては最悪ではなかったが、このままでは当然歩けない。とりあえず靴紐で縛り付けて下山を続行し、南沼キャンプ場で後続の三人を待った。他のメンバーがテーピングテープを持参していたのでこれで補修したものの、その後しばらくすると右の靴底もはがれてしまった。同行者はあまり山に行っていなかったので、靴の劣化もかなり進んでいたらしかった。
朝も遅くなり、山靴にテープを巻き付けているあいだにも、単独行の日帰り登山者や南沼でテントを張った人たちが次々と山頂に登っていく。昨日までとはうってかわってにぎやかな山だが、どうもかなりの人たちは短縮登山口から南沼を経て往復するらしい。左手に明るい山頂を振り返りつつ大岩の積み重なる岩場を下っていくと「こまどり沢」という水場で、ご夫婦が一休みしていたり、快速の単独行者が山頂を往復して追いついてくるのだった。靴が壊れたことを話題にすると、この元気な方は「ぼくも何回かそうなったよ。五年くらいすると壊れるみたいだね」と言って足早に下っていった。


森林限界の下に出ると緑濃い谷間となり、高校生らしい団体が登ってきたりするのだった。沢沿いに行けば視界を遮られる樹林帯のなかとなり、広い眺めとはお別れとなった。好天のせいでかなり乾いているものの、ぬかるみの多い道を淡々と下る。
みなと一緒のまま行くと下山を約束した時刻に登山口に着きそうになかったので、わたしひとりカムイ天上という場所から本隊に先行することとした。ワンピッチで予定時刻より約15分遅れ程度で登山口に着くと、そこには出迎えのかたが車を下りてこちらを見て待っていてくれた。別な登山口に下りてしまったのではないかと思い、そちらに車でまわろうとされていたところだったという。下山時刻は遅れるものではない。そのあと後続のメンバーが到着し、車で持ってきていただいたビールで乾杯して、山行の無事終了を祝ったのだった。
2000/8/17-21

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