沼ノ平からトムラウシ

トムラウシ(一)

トムラウシの名を知ったのは『日本百名山』を読んでのことだった。ほかの九十九山は「山」「岳」「峰」、少なくとも「平」「原」の山岳地帯を表すような接尾辞がついているのに、この山だけアイヌの山名がそのままカタカナ表記されていて目次のうえで否応なく目立つ。
「戸村牛」という当て字もあるようだが、こと山名表記に関してはいまのままが遠い異国の風情を漂わせて山そのものに見合っている。健脚のひとならば登山口を選べば山中だけなら日帰りも可能のようだが、せっかくなら高原地帯のような周囲の山域から憧憬の念をもって遠望しつつ、一歩一歩近づいていく登り方がいい。「大雪山に登って山の広さを知れ」と言った先人の教えに従うことにもなるだろう。
今回は幕営グループ登山で女性三名、男性二名のテント二張り。行程が長いため、北海道としてはおそらく天気の安定した八月中旬が山行予定日に選ばれた。ルート選定は以前に大雪山からトムラウシまで縦走したことがあるメンバーが担当し、空路をたどって旭川に入り、層雲峡に前泊することとなった。そこから同行者の知人で地元在住の方に車でクチャンベツ沼ノ原登山口まで送っていただき、山中二泊して短縮登山口に下り、ふたたび車で迎えに来ていただいてトムラウシ温泉に直行し、東大雪荘に泊まって帰る。全行程で四泊五日となった。


朝の六時前とはいえ夏だというのに登山口ではかなり涼しい。層雲峡からの早朝の車内で上半身はTシャツ一枚でいたが、降りてから荷を下ろし身支度するまでのあいだはフリースを着ていなければならないほどだ。下山時の日時と場所を再確認し、気をつけて行ってらっしゃいの言葉を背に出発する。
まずは針葉樹の林の暗い中を行き、半時も歩くとダケカンバの林となって日の光が差し込むようになる。林相を変化させつつ山道は緩急緩と登り、高原状の湿原帯に出る。沼ノ原だ。彼方にトムラウシが大きい。初めてこの目で見るそれは赤茶けたガレを稜線から落として彫りの深い顔立ちだ。その右手には化雲岳や忠別岳のなだらかな山体が広がる。それぞれの山頂直下には崖があるが、全体に平べったくゆるやかで、これこそ大雪の山並みと納得する。振り返れば鋭く上下する稜線を連ねる石狩連峰が逆光に沈んでいる。
沼ノ平を行く 沼ノ平を行く (右奥は化雲岳)
沼ノ原は草原とチシマザサに覆われ、ところどころにまばらな拠水林らしきがある。腹が水色と黒の大きなトンボが飛び交い、セミがじーじーと鳴く下には、小さな池がそこここにあり、澄んだ青空を映している。そのなかでも最大のものが大沼で、空に抜けていく水面のまわりをまばらな針葉樹に囲ませつつ、そのうえにトムラウシの堂々たる山体を浮かばせている。せせこましい本州ではきっと見られない光景だ。とっとと立ち去ってしまうには惜しく、先行する仲間の姿が遠くなるのも構わずときおり足を止めては、広い空の下の風景に視線を巡らすのだった。
それでも歩いていけば広いとはいえ湿原は終わり、五色沢に出る。ほとばしるように水が流れ、そのまま掬って飲みたいところだがエキノコックスが怖いのでそうもいかず、のちに煮沸するため飲料の水筒とは別の容器に汲むだけにとどめる。ここから五色岳に向かう登りが始まるが、最初の一登りは急傾斜の泥田という難儀なものだ。くるぶしのあたりまで泥のなか、はまった足が抜けなくなることも一度ならずという有様である。急登のあいまに振り返れば眺めは広い。先ほど歩いた沼ノ原が一望のもとだ。メンバーみなが足回りを泥だらけにして100メートルほど登ると緩やかで乾いた道になる。足下の花々も豊富になっていく。
五色岳を目指す 五色岳を目指す
ここからは等高線がほぼ等間隔でゆったりと高まる一本道を行く。終始左手にトムラウシを眺める広々とした高原で気分は上々だ。しかしなだらかとはいえ道のりは長い。目指すは彼方に見えるかすかな高まりの五色岳だが、ハイマツの混じる草原は行けども行けども延々と続く。皆もだんだんと疲れてきて、半時歩いては休む、というのを繰り返すようになってきた。
ようやく到着した五色岳はわずかな高まりに過ぎないが、山頂からはいままで眺めていた穏やかな光景から一変した地形を向こう側に見るようになる。一種の非対称山稜のようなもので、忠別岳山頂直下の懸崖も荒々しく迫ってくる。本日の泊まりはこことその忠別岳の鞍部にある避難小屋脇のテント場で、そこへの下りは背丈を超すハイマツが被さる道を行くものだった。これがまた疲れる。笹ヤブならまだしもハイマツの枝は強い。先行者の押さえていた枝が跳ね返ってきて顔やら腕やらをしたたかに打たれることもあれば、強引に前に進もうとして後ろに撥ね飛ばされてしまうことすらある。下りだというのに上半身の力を消耗しつつようやく抜けると避難小屋への分岐だった。全員くたくたのまま沢沿いに立つ小屋に下っていく。
五色岳から下り来たる 五色岳から忠別避難小屋に下り来たる
避難小屋のまわりにあるテント場には誰もおらず、小屋のなかにはジーンズ履きの若者4人組がいるだけだ。さっそく二つあるテント場のうち小屋に近い方の奥に二張り設営した。忠別岳の日に照らされた斜面が上辺のみとなり、さらにすっかり日陰となるころにはいくつかのパーティーが到着する。夕暮れの食事を終えて安息の雰囲気がそこここに広がるなか、ランタンを灯してとりとめもないことを語り合ううち、手元も怪しくなるほど闇が濃くなり、酒でも暖を取りきれなくなるほど寒くもなり、外に出しっぱなしとする荷物を厳重に封印して、それぞれのテントに潜り込んだ。
夜、女性ばかり三人のテントがキタキツネの攻撃にさらされた。異音がしたので入り口を開けてみたところ、低いところに輝く二つの目が見えたという。朝見てみたらテントの裾が二カ所ほど裂けていた。


山中二日目、朝食後、持参する水を煮沸する。五人分の水をつくるため出発はそれで遅くなり、7時半となった。疲れ果てていたせいか来たときは気づかなかったが、避難小屋周辺はお花畑で、ピンクのエゾコザクラの群落をはじめ、色とりどりの花々が咲いていた。
お花畑
お花畑

エゾコザクラの群落
エゾコザクラの群落
(つづく)

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