空沼岳 空沼岳(台形の山)

1994年の初夏、札幌に長期出張することになった。季節もいいし、せっかくだからと自宅から山道具を持っていって出張の合間の休みに札幌近郊の山に登ることにする。その最初に札幌近郊で最も登られているという空沼岳を選んだ。喚起するイメージも響きも佳い名前に惹かれたのだった。


ひさびさの北海道は初めての空路で入る。千歳空港から札幌に出るのに地下ホームから出る列車を使わずバスを使う。ほとんど客のいない高速バスは樽前山と風不死岳を正面にして走り出す。あの二つの山の下に大きくも神秘的な支笏湖がある。
バスはやがて高速道路に乗り、車窓左手に札幌近郊の山々の稜線が広がる。右手遠方には夕張岳も見える。左右どちらも前景のゆったりとした丘陵には人家も少なく、北海道に来たという感慨にふけることができた。しかし高速道路を下りて一般道に入り、札幌都心部に近づくにつれて、首都圏近郊と同じ郊外型店舗が道路沿線に立ち並ぶ光景が続くようになってしまう。それでもビルの合間に空沼岳を含む札幌近郊の稜線は見え隠れしており、飽きずに眺め続けた。
札幌駅から登山口まではバスで移動する。しかし大概の登山者は自家用車で来るようだ。好天の休日なのにバスで登山口まで行ったのは私を含めて数人だったが、山中には常に人の気配がしていた。なだらかな登りを経て山小屋が二軒立つ沼のほとりの小広い広場に出た。あちこちで腰を下ろして一服している。小さな子供が何人か、沼から流れ出る沢のほとりで水遊びをしている。都市近郊の山なのに開放感があるのは首都圏近郊の山と違って人擦れしていないせいか、溶岩台地に似た地形のせいか、北海道の湿度の低い空気のせいか。
空沼岳の岩がごろごろした細長い山頂には大勢の人が集い、昼食を広げていた。南西の方角には予想以上の近さに支笏湖の湖面と頂上の岩峰が特徴的な恵庭岳が見える。反対側の北東側まで山並みが続き、その上に周囲の山を圧するように後方羊蹄山が堂々と聳えている。その手前には簑を伏せたような山容の無意根山が残雪を山肌に残しているのが見える。南東には札幌市街が遠望でき、遮るもののない展望を味わうばかりで腰を下ろして休憩することも忘れていた。


下山口近くの林の中は明るい新緑の中に蝉時雨が文字通り降り注ぐようだった。華やかな音と光の洪水で、あまりの気持ちよさに酔っぱらったような感じになり、ふわふわと歩いていった。
1994/6/19

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