無意根山 千尺高地から無意根山

ある年の初夏の北海道出張は予想したものの少々長きに渡り、おかげで二週目の休みがめぐって来ようとしていた。先週の休みには空沼岳に登っており、そこからは稜線が緩やかな弧を描いている似たような山が北方に二つ、遠くに余市岳が、近くに無意根山が見えていた。いかにも北海道の山という感じのおおらかな山容だ。交通の便を考えて無意根山を選び、代休の月曜日に出かけていった。平日のせいもあってか誰もいない静かな山だった。


定山渓まで札幌からバスで出て一軒のホテルのフロントでタクシーを呼んでもらい、薄別というところまで行く。そこから長い林道歩きを1時間半で登山道の入り口だ。ジグザグの山道を上がるとすぐ林道の拡張工事にぶつかって驚く。こんなに手つかずの自然がもったいないと思うが、本当に林道が必要なら仕方がないだろう。でも全てが全て、本当に必要なのだろうか。
山道は明るい雰囲気だがいつまでたっても無意根山本体は見ることが出来ない。そのかわりに足下に小さなミズバショウが無造作に咲いている湿原や、黒くくすんだ味のある木造の無人山小屋(北大の無意根尻小屋)が出てきて飽きることはない。だがなんと言ってもこの小屋からがたいへんだった。道は沢床のような窪みを直進して登るのだが、途中灌木が茂っていて道がなくなっているように思える。どこかで分岐点を見落としたか、とばかりに小屋に戻ってまた登るのを繰り返すが、山側の左手には山道らしきところがない。つまりはその灌木の中を歩いて行くしかなく、疑心暗鬼になって進むと道形が現れ、残雪の上に先行者の足跡も見えてほっと安堵する。
だがそんなものは実は問題ではなかった。残雪は次第に多くなり、道は何もない斜面を絡むようになってきて、気がつくと下まで50メートルは遮るもののない雪斜面をトラバースすることになっているではないか!さすがに北海道とはいえ6月の低山にアイゼンは持ってきていない。ピッケルはもちろんない。しかたなく登山靴のサイドでステップを切りながら右手の谷底を眺めつつ幅10メートルほどの斜面を進む。なんとか渡りきる。だが非情にも道は折り返して更に高いところでトラバースを強いてくる。下を眺めると、もうかなり怖い。
先ほどのものもかなり危険だったが、さすがに二度もアイゼンなしピッケルなしのトラバースを繰り返す気にはなれず、「この上に上がれば稜線のはずだ」とばかりに直上藪コギ路線に転換する。ハイマツの合間を縫うようにして上を目指し、わりとすぐに踏み跡も間違えようのない一般登山道に出る。いわゆる無意根山の「テラス」の上に出たのだ。よく来たねぇ、とばかりに右上方に無意根山の主稜線が出迎えている。緊張から解放されて大声を出しながらため息をつく。


そこから先は快適な歩行だった。それまでがかなりの危険と隣り合わせだったのだから、たとえぬかるみ道でも快適に感じたことだろう。長い頂稜のハイマツのトンネルを通って眺めのない真の山頂を通り過ぎ、人跡未踏の光景を周囲に眺める旧山頂に着く。後方羊蹄山の前に緩やかに広がる中岳の斜面がいかにも北海道、というのびやかさだ。反対側の札幌方面の眺めも良いが、登りはじめにぶつかった林道工事の騒音がここまで響いてきていてちょっと興ざめだった。
下りはあのテラスを下る気には全くなれず、予定通り豊羽元山に下ることにする。途中まで往路を戻り、台地状のテラスを右手に見ながらときおり残雪の現れるゆるやかな道を進む。左手下に予想外に大きな池が見えるが、これが大沼だろう。千尺高地と名付けられた平坦部を過ぎると道は急に下るようになり、そのうち人臭さがしてくると広い駐車場を前面にした無意根山荘(*1)に着く。
「山には誰もいなかったでしょう。休憩しておいで」と山荘のご主人に言われ、好意に甘えて休ませていただく。テラスのことを話すと「そんなに雪が多かったですか」と驚かれた。聞けば、私のように出張のついでに来る人は多いそうだ。思うにこの元山までレンタカーで来て山頂を往復するのだろう。あらかじめ調べてあったバスの時間に遅れないよう山荘を辞し、車道を下ってバス停に出る。


このときは一日二本くらいだったが豊羽元山と定山渓を結ぶバスがあった。今もあるかどうかはわからない。この日の乗客は私一人だった。運転手さんは「昔は夜が明けない頃から豊羽鉱山勤めの人たちを乗せるためにバスを何台も走らせたものだったよ」と話してくれた。「今では鉱山が自分のところでバスを運行しているから乗る人がいなくなったけどね」。定山渓に向かう途中では「このへんには前はたくさんの人が住んでいたんだ」「なぜ今はいないんですか」「自家用車だね。街の中心部からでも通勤できるからね」。乗車してから終点に着くまで運転手さんの話は途切れることがなく、私も飽きることなく聞いていた。
1994/6/26

*1 無意根山荘は、自家用車利用の山行増大に伴う宿泊客の減少により2000年に休業し、2006年に解体されたとのこと。

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