鍋割山北稜から蕎麦粒山(中央奥)遠望蕎麦粒山

奥多摩の山に登って日原方面の山々を望見するときによい目印になるのは都県界尾根の上に小さなコブを三つ並べる三ツドッケだ。これを見つけたら次に探すのが東隣にある蕎麦粒山で、控えめで清楚な姿はいつ見ても愛らしい。川苔山に近いのでそれほど奥深くないように思えるのだが、山頂までは意外と時間がかかり、日の短い季節に周遊しようとすると難儀する場合もある。


蕎麦粒山に初めて登ったのは山歩きを始めて数年経ったころだった。冬枯れの時期に久しぶりに奥多摩に足を向けたものの、立川駅に着いてもどの山に登るか決めかねていた。出発が遅く、駅から歩き出せる山の多い方がいいという理由で奥多摩駅方面に行こう(武蔵五日市に出るとほぼ必ずバスに乗らなければならない)とだけ決め、動き出した列車の中で鳩ノ巣駅から川苔山に向かうことにした。山頂に着いたのはちょうど昼時で、おおぜいが食事していた。 喧噪を嫌って日向沢ノ峰まで戻り、湯を沸かして食事を作りながら眺めたのは目の前にある蕎麦粒山の端正な三角形で、できあがったのを食べながらあの山を越えてヨコスズ尾根から日原に下る計画を立てた。
日向沢ノ峰の先には明るく開けた防火帯の道が続いていた。時刻も遅くなりつつあるので通る人の姿はほとんどない。ゆるやかな道のりが登り一辺倒になると山頂は近い。山の姿形から四囲を見渡せることを期待していたが疎林に囲まれていて遠望は限られ、目の前に川苔山を見下ろし、その左手に関東平野を睥睨するくらいだ。あたりは岩が乱立していて神秘的でもあり、影の長くなる時刻には腰を下ろすのをためらわせた。
川苔山付近より蕎麦粒山(右)、三ツドッケ(左)
川苔山より蕎麦粒山(右)、大平山(中央奥)、三ツドッケ(左)。
蕎麦粒山から長く延びる尾根が鳥屋戸尾根。
三ツドッケの手前に盛り上がるものから左方に下っているのが棒杭尾根。
棒杭尾根は、宮内敏雄『奥多摩』では”古棒杭尾根”とされている。
山頂を後に一杯水をめざして尾根道を行った。だが日は容赦なく傾き、日原に下る目論見は明るいうちには達成できそうにない。不安を抱えて歩くうち目に入ってきたのは、蕎麦粒山と一杯水との中間点から日原川方面に下る植林のなかの尾根道だった。少なくとも出だしは安心して歩けそうだと思わせるほどよく踏まれたもので、尾根は棒杭尾根、ガイドマップでは山道の表示はないものの尾根筋を忠実に下れば倉沢鍾乳洞の脇を通る林道に出られるらしい。植林のなかはどこかしら人間が歩いているはずなので進退窮まることはないだろう。予想通り林道に下り立ち、谷間の道をたどって倉沢バス停に着くころ日が沈んだ。バスが来るころには全くの夜になっていた。


このとき以来蕎麦粒山には足が向かないでいたが、この山に直接突き上げる鳥屋戸尾根を歩いてみたい思いが湧いてきて、10数年ぶりに出かけてみることにした。
たまたま世間ではクリスマスイブで、9時台に着く奥多摩駅は誰もいないかと思っていたが、日原や奥多摩湖方面に向かうバスが満席になるほどには人がいた。日原行きバスの乗客はかなりが川乗橋で降りた。だいたいが川苔山に行くらしい。ゲートを通って林道を行くと左手の尾根の末端を回り込むところでテープが目に入る。その下からは細い踏み跡も始まっており、ここが鳥屋戸尾根の登り口とわかる。
のっけから植林のなかの急登が続く。着実に高度を稼いでいるつもりなのだが、右手の樹林を透かして覗ける川苔山がまだだいぶ高い。周囲の植生が雑木林に変わり、かなり足場が悪くロープが張ってあるところを直登すると、ようやく広く平坦な場所に出る。ここからは正面に六ツ石山を中心とした石尾根が大きい。左手には本仁田山が負けずと大きく立ち上がっている。奥には大岳山が半身になって片肌脱いだ姿勢を見せる。
笙ノ岩山へ登る途中にて石尾根の狩倉山を振り返る
笙ノ岩山へ登る途中にて石尾根の狩倉山を振り返る
本仁田山、大岳山(奥)
本仁田山、大岳山(奥
急登はまだ続く。左手には冬枯れの木の間隠れに隣のヨコスズ尾根が望めるが、稜線がまだこちらより高いところにあってまだまだ登らなくてはならないことがわかる。まず目指すは尾根南端にある笙ノ岩山だが、ようやく斜度が緩んで頂稜らしきところに出ても山頂標識は見あたらない。奥多摩らしい穏やかな道をしばしで登山道脇にほんのちょっと高まるコブが見えてくる。よくみると標識が立っているので登ってみると、そこが頂だった。
周囲を木々に囲まれているので夏なら眺めはないだろうが、この季節であれば葉の落ちた梢越しに日原の山々を眺められる。雲取山が彼方に広角三角形のゆったりとした姿を横たえ、芋の木ドッケから始まる長沢背稜も高い。酉谷山が雲取山以上に奥にあるように感じられる。すぐ近くには三ツドッケが仰げ、一杯水は直線距離ならかなり近いことがわかる。ここまで2時間を要し、予想以上に疲れたので長々と休憩した。
蕎麦粒山へは鳥屋戸尾根をさらに北上する。すぐ隣のヨコスズ尾根は尾根通しにはほぼ平坦な山道があって歩きやすいのだが、こちらの鳥屋戸尾根のは細かなアップダウンがあっていわば「奥多摩らしくない」。それでも梢越しに仰ぐ蕎麦粒山の三角形が近いことを励みに行けば、意外と早く川苔山から続く稜線沿いの山道に出る。ここまで笙ノ岩山から1時間強しかかからなかった。予想よりは淡々と歩けたわけだが、頂上直下の登りは急で休みつつ登った。


山頂へはさらにそこから15分ほどで着いた。すでに2時をまわっているからか山頂には誰もいない。すぐ隣の川苔山を見下ろしながら一息つく。前に来たときと変わらず、関東平野を見渡しながらどことなく隔絶感を感じる。しかも到着が予定より遅いので落ち着かない。当初予定のヨコスズ尾根をたどると下りきる前に暗くなりそうなので一杯水への周遊は諦め、前回の蕎麦粒山と同様に棒杭尾根を下りることにしよう。これなら林道にはやく出るので、暗くなっても危険度は低下するだろう。
鳥屋戸尾根より三ツドッケ
鳥屋戸尾根より三ツドッケ
蕎麦粒山より川苔山
蕎麦粒山より川苔山
余裕のある計画に修正したつもりだが、山頂を出発してもあいかわらず気は焦っていたのだった。仙元峠は寄らずに10分ほど歩いたところで尾根らしきものが派生しているところに着いた。木の幹には白いテープが巻いてあり、踏み跡も分かれている。10年以上前に来たときの棒杭尾根の様子はじつはそのとき忘れてしまっていたので、ここが下るべき尾根だと思いこみ頼りない踏み跡に踏み込んでいった。早々にヤブが被さり出し、半時行くか行かないかするとどう続いているのかも怪しくなる。それでもときおり現れる赤テープに勇気づけられ、10年以上の時間もたてば歩きやすかったところもかなり変貌するものだと思いつつ下り続けていると、突然、このままだと予想もしなかった沢筋に出てしまうことに気づく。
急ブレーキをかけたように立ち止まる。目にしている光景が信じられない。なぜ林道ではなく沢筋に出るのか。地図を広げて、まるで違うルートを下ったことがわかった。右手にいまだ高い隣の尾根、ヨコスズ尾根だろうと思ったものこそが棒杭尾根だった。時計を見ると下りだして一時間経っている。これから登り返すとなると無駄にしたのは一時間では済まない。この苦労がじつは全くの無益だったどころか、貴重な日照時間を無駄に費やしたということを納得するには少々時間を要した。
そのまま沢筋に出てへつりながらでも林道まで出ようという誘惑を断ち切り、道を間違えたときの基本に忠実に、もと来た道を戻った。つまり苦労して下ってきたところを登り返した。とにかく上がれば良いので踏み跡を探すという点では楽なのが救いだ。こうして下り初めてから2時間後に尾根への入口に帰ってきた。2時間まるまるロスである。そこから20分ほどで本来の棒杭尾根の上に出た。ヤブのまるでない、下草もない幅広の道が植林のなかに下っていっており、標識もあって倉沢に下れる旨が手書きで書き足されている。すでに時刻は夕方の4時半近く、日は山の端に隠れ、午前中に登った鳥屋戸尾根はすっかり日影となっている。空に残っている明るさも早々に消えてしまうだろう。


ヘッドランプを点け、ため息を一つついて下りだす。尾根道はしっかりしているのだが、着実にあたりを覆う夜の闇は如何ともしがたい。背の高い木々が空を狭めているため残照があるうちから足下が怪しくなった。日の光がすっかり消えたのち、疲れて腰を下ろし、電池がもったいないので消灯してみると、いくら時間がたっても自分の手さえ見えてこない。空には雲が広がり、月はおろか星さえないからだ。電球が切れないことを祈りつつ慎重に歩を運び、下りだしてから1時間15分で林道に出た。
林道は足下こそ山道よりはやや確実になったが、暗いことには変わりなくやはり慎重に歩かなければならない。ときおり左右に現れる小さな滝が不気味に白い。どれだけ歩いたのか分からないまま時間がたち、ようやく倉沢のバス停に着いた。時刻表を確認するとあと20分ほどで最終バスが来る。とりあえず日原まで歩いてタクシーを呼ぶということはしないで済んだ。
バスは定刻に来た。すでに19時を回っており、駅に着くまで乗客は自分一人だった。青梅線はすでにホームに停まって発車を待っていたが、車内の人影はまばらだった。ドアが閉まる前に自宅に電話して事情を説明したところ当然のように呆れられ、なにか買ってこいと言われたので立川駅でケーキを買って帰った。
2006/12/24

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