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ここまでのCover Photo:古峰ヶ原湿原と古峰ヶ原高原ヒュッテ
1 Nov 2025
映画『リンダ・リンダ・リンダ』を観た。文化祭での演奏本番数日前に分裂してしまったガールズバンド。THE BLUE HEARTSの曲を演奏しようと、脱退したGの穴埋めにKB担当がにわかGとなり、同じく抜けたVoの代わりにちょうど通りかかった留学生を新Voとして引き込む…。
映画全体を覆う力の抜け方/入り方が絶妙。真面目にやるほど可笑しくなる会話もあれば、締めるところは締めようとする言葉もある。文化祭前に高校の校舎じゅうに響くバンドの練習音。そういやこんな感じだったなと懐かしい気分に。
ただの若者映画かと思っていたが、20年経っても世評が高く、4K化されて再上映されるという機会に映画館へ足を運んだ。観た後、バンドメンバーの一人一人が近いものに思えて、幸せな気分になれる。音楽映画でもあるので、大音量で聴くのが良いかと思っていたけど、それもそのとおり。真打登場までの繋ぎがまた地味に凄い。
4 Nov 2025
御坂の王岳へ。「いやしの里根場登山者駐車場」から鍵掛峠に登って稜線を王岳に向かい、山頂直下から南下する尾根に沿って下る。
峠から王岳への稜線は紅葉終盤、葉がだいぶ落ちていたので甲府盆地側も枝越しに遠望が利き、奥秩父、八ヶ岳、南アルプス北部、北アルプスの山並みまでが窺える。奥秩父以外はみな冠雪していた。北アは高いところしか見えないからか、真っ白だった。
富士山側はところどころ足元から広がる眺望が得られて、西湖と足和田山を初め、本栖湖とその上の天子山塊、山中湖とその上の鉄砲木ノ頭も遠望できた。富士山の頂上部は白かったが、まだ地肌も見えていた。
根場の登山者用駐車場には車は6,7台はあったが、山中では二人にしか会わなかった。稜線ですれ違う人はおらず、静かな好天の紅葉の山だった。
11 Nov 2025
帰省中の岡山で市街中心部に出て、連れと操山に登る。御成町登山口から山頂を経て里山センターに下り、登り返して護国神社へ。こう書くとだいぶ歩いたように聞こえるかもだが、実際には2時間かかっていない。さわりだけ歩いたというところ。
昼時だが平日であり、冬も近いせいか操山と言えども人影は少なかったが、少しばかり登った園地状の場所では引率されてきていた幼稚園児たちが駆け回っていた。開けた三勲神社跡地のあずまやで暖かいものを淹れて昼食。
山中はところどころ紅葉しているものの、南面の山腹ではまだ青々とした落葉樹も多い。護国神社に下りる山道脇に、木肌が白く、黒く小さい皮目を盛んに散らして鱗上の剥がれもところどころ見せる木々が目立った。撮った写真を見せてAIに訊くとハンノキと答えてくるが、葉の形が違うように思える。樹皮だけ見るとエノキかと思えるが当の樹形は真っすぐ伸びていて、横に広がっていくエノキとは違う。小石川植物園とかに出向いて似たようなのがないか探してみるのが良いかも。しかしこれから紅葉シーズンで都心の緑地は混むだろうかな。
(後日、近所の公園でケヤキが同じ木肌をしていることに気づく。樹形は異なるが、操山のは太かったとはいえ若木だったのかも。)
13 Nov 2025
この夏に続いて、岡山北部の津山に一人足を延ばす。
まずは、夏は暑すぎて登る気にならなかった津山城に。平山城の体裁で、本丸の標高が145m、麓からの高低差が45mなので僅かとは言え山登り。壮麗な石垣の迷路を経めぐって本丸に上がり、東側の石垣上部から宮川に落ちる斜面を窺い見るとまるで絶壁。よくこんなものを積み上げたものだと感心するしかない。初代城主はあの森蘭丸の弟。(この兄は一説によれば尋常でない方法で永らえて今世に銭湯で働いているとかいないとか)
天守跡にまで登れば全方位に眺望が開け、なるほどここに城を建てたのは理にかなっていると納得。東側こそ隣の丘陵部が迫って遠望が利かないが、前述の宮川が穿つ深い谷と絶壁の石垣が強力な防御となる。はるか彼方に那岐山を眺めつつ、ここは文字通り「登城」という言葉が妥当する場所だなと。
城のあちこちを見回った後、北にある大名庭園跡の聚楽園へ。往時の三分の一に規模が縮小されてしまって周囲との境界にまで住宅地が押し寄せているものの核心部は残っているらしく、開けた水面と周囲の植生、そこここに掛けられた橋や古びた建物が歩き回るにつれて表情を変え、庭園構成の面白さに見る者を引き込んでいく。ここもまた一歩一景。入場料無料というのも好ましく、城址ほどではないが時間をだいぶ過ごすこととなった。そのため城東地区の散策は時間切れでまた今度。つい最近放映されたTV番組で笑福亭鶴瓶が訪れた元銭湯の喫茶店とか行ってみたかったが、それもまた次回以降。
14 Nov 2025
蒜山の西に高まる皆ヶ山(みながせん)に。だいぶ昔の大山初訪時、蒜山三山縦走の翌日に登ろうとして雨のため断念した山。
岡山北部は夜明け前から霧が立ち込めていた。蒜山高原に来ると霧は上がっていたものの雲はやや低いままで、蒜山三山は元より肝心の皆ヶ山も頭はガスの中、手前の二俣山だけが山頂まで見えている。蒜山高原キャンプ場手前にある未舗装地の登山者用駐車場に車を駐め、オフシーズンに入ったのか人気のないキャンプ場を通り抜けて登山口へ。なおトイレも施錠されていた。
出だしは穏やかな道のりが続く。軍馬の育成場の名残という土塁跡というのも目に入る。広い谷間を隔ててすぐ右手にあるはずの上蒜山は裾野しか見えず、登山道脇の木々を眺めて歩く。山中では紅葉は盛りを迎えつつあるらしい。
ブナの木々を見送ってしばし、尾根筋を回り込んで二俣山山頂部を見上げ、雲が晴れ始めた皆ヶ山の姿を見るところから急登が始まる。ブナ林に出迎えられ、「あれが山頂か」を二度か三度か繰り返して二俣山。展望はよくないが、南南西に枝越しながら形佳い山が見える。どうやらこの夏登った毛無山とのあいだにある朝鍋鷲ヶ山らしい。天気は晴れたり曇ったりで、曇ればやや寒いが晴れると日差しが暑い。
緩やかに下って再び急登で皆ヶ山山頂。蒜山もこの山も鳥取県との県境にあたり、ときおり日本海側から暑い雲が覆いかぶさってくる。日差しがなくなると風が冷たく寒い。しばらく待っているとガスがいっとき晴れ、東側の広く開けた空間を占める左右に広い上蒜山の山体が頭まで現れる。右手の裾野遥かには蒜山高原がところどころ陽に照らされている。そしてまたガスが稜線を越えてくる・・・
小一時間ほど休憩して往路を戻りだすころには大気も安定して青空が広がり、大山はあいかわらず雲の中だったものの、烏ヶ山は梢越しにだが窺えた。登りでの急勾配は下りではかなり気を使い、時間もかかった。しかし足元ばかり見ていた登りとは違って、下りでは、盛りの紅葉を見渡しながら行くことができた。もちろん足元に注意しながら。
15 Nov 2025
岡山県津山市の北方、ときおり一車線になる山間の車道の先に登山口がある角ヶ仙(つのがせん)に。
この夏、すぐ南の泉山(いずみがせん)登山翌日にその泉山を展望するべく登ろうと予定していながら雨天予報のため断念した山。雲は多かったもののじっさいには降らなかった模様。今日は朝から快晴。
ナビの設定を間違えて隣の泉山登山口に出てしまったが、山越えをして下っていく先に端正な三角錐の角ヶ仙が浮かぶのを眺められたのでよしとする。閉鎖された越畑キャンプ場の広々とした駐車場に車を置き、広場のイチョウの黄葉を仰ぎながら登山口に向かう。山道はのっけから勾配が急で、ダブルストックの腕力も使いながら高度を上げていく。背後に堂々とした泉山が梢越しに見えだし、遮るものなく全身を現わすようになると最後の急登。岩場を越えてではないが、文字通り飛び出すかのように山頂に着く。久しぶりの爽快な登り。
登りだしこそ青空が広がっていたものの、山頂では雲が垂れこめる空模様となってしまっていた。日陰になったとはいえそれでも周囲の山々はすべて頭を出している。なにより広い谷間の先にどっしりと構える泉山の姿が素晴らしい。これを見れただけでも登った甲斐があったというものだった。昨日の皆ヶ山同様、色づいた木々の葉や、広い山道に散り敷かれた落ち葉の色を愛でながら往路を下った。
下山時点でまだ1時ごろだったので、津山に出て甘いものでもと車を走らせると、市街地までもう少しのところで「日本三所の万福寺参道」という標識が目に入る。どういうところだろうかと寄り道してみると、予想に反して車道は山奥へ高みへと延々続き、ようやく目当ての寺に着いたときは標高600mの山上に登ってしまっていた。寺から20分ほどで黒沢山という山の山頂だったが、眺めもなく、道のりも林道がほとんどだった。黒沢山は麓から寺までの山道があり、これを行くのが本来のようだ。なお、津山市街地を遠望する寺からの眺めは素晴らしかった。歩いて来たならもっと感激したかも。
16 Nov 2025
岡山帰省での最後の山として、蒜山高原南方の湯原温泉近く、別名湯原富士とも称される櫃ヶ山(ひつがせん)に登る。この夏に大山に登るべく高速バスで米子道を通った際、湯原IC付近から空に向かって突き上げる形佳い三角錐の姿を見上げてぜひ登りたいと思った山。
旭川に沿う国道沿いの脇に真庭市が確保してくれているらしい駐車スペースがあり(市名で案内板が立っている)、ここに駐めて車道を上がる。集落脇の沢沿いに登山口があり、ここから緩やかに山道が続いていく。昨日の角ヶ仙、一昨日の皆ヶ山での「基本、直登」ではなく、山腹道を行くもので、登っている気はしないものの山を歩いている気は十分にする。山中には城郭には劣るものの畑地確保としては信じがたいほど規模の大きな石垣が何段もあって、いつ誰が何のためにこれをと驚嘆させられる。
一昨日のように朝から霧が立ち込めていたのも8時過ぎには大方上がり、頭上は青空。背後にいまだ朝霧を溜めている旭川の谷間と、その上に峰頭を並べる霰ヶ山、雨乞山、その間の963m峰が梢越しに見えてくると休憩ポイントとされる五合目は近い。
五合目は尾根が広く刈り払われて見晴らしがよいが、枯れて湿った草が一面に広がっていて腰を下ろしにくい。休むのであれば、その先の急登を頑張って六合目まで出れば心地よい草地が広がっている。そして登れば登るほど周囲の眺望も広く、遮るものがなくなってくる。
紅黄葉の彩りがあれば、笹原の広がる斜面もあり、1,000mに満たない山とは思えない高山感が漂う。九合目の草付きから見上げる山頂部は手前から笹原を広げてどこの高峰かと。広々とした山頂からは蒜山三山に大山まで遠望できて、櫃ヶ山は見ても登っても佳い山だと納得できる。
下山は周遊コースを行ったが、うってかわってこちらはややハードなコース。足元は登路の平坦で広いのに比べれば山道山道している。小規模ながら飛び石伝いでの沢の渡渉も何度かある。この山の多彩な表情、山深さを感じられるコースというものだろう。半日強の行程だが充実感を得られる山だった。
これで秋の岡山山行は終了。津山に宿をとって三日連続で山に登ったが、昨日の角ヶ仙で一組に出会っただけで、みな静かな山だった。どの山も山頂でゆっくりコーヒーが飲めた。
21 Nov 2025
押井守監督のアニメ『天使のたまご』を映画館の大画面で観る。
OVA製作されて40年、映画館上映は初めてだという。20数年前に友人に教えられて夜更けの自宅でビデオを観たときはあまりの憂鬱さに忘れることのできない衝撃を受けたが、二度目でもその衝撃は変わらない。大画面大音響が荒涼感を加速しさえする。
エンディング、海岸線を俯瞰する視点が高みへ高みへと浮上していく先に見えてくるもの。終末の世界のように見えていたものは、そもそも始まらなかった世界なのだった。そこに希望はない。我々の世界は終末を迎えることができる(局地的にはできてしまっていさえする)。それが希望のもとなのだろうか。悲惨さを踏み台にする希望。
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