Preface/Monologue2025年 5月


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シャガ咲く五日市の阿岐留神社

ここまでのCover Photo:シャガ咲く五日市の阿岐留神社

1 May 2025

雨と家事とで山行可能日程が限られる。雨は詮方ないし家事は重要。

遠出はできる限り連休以外でとしたい。混雑回避のため。

4 May 2025

連れと三浦半島の乳頭山へ。

東逗子駅からの往復。山中では遠近に新緑を目にする。風は強かったものの予報で可能性ありと言われていた雨は降らず、一昨日に降った雨の名残のぬかるみに少々悩まされたくらい。

山頂には半時ほど滞在した。ハイカーにせよトレランの人にせよ芽塚方面から来る人が多く、常に3~4組パーティが腰を下ろしていた。冬場と違って賑やかな乳頭山だった。

5 May 2025

映画『サンダーボルツ』を観る。

『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』、『ブラック・ウイドゥ』や『アントマン&ワスプ』などのMCU映画およびTVシリーズでの脇役がここでは主役。映画しか観てないのでwikiで不足分の知識を仕入れてから映画館へ。人間関係については親切な説明などないし背景を知らないとわからないセリフも当然飛び交う。過去作の内容を知らないで観るとあまり面白くないだろうかと。悪く言えばマニア向けかも。

派手なアクションはあるものの、主題は「力による解決」ではなく「対立するもの同士が、他者を拒絶するものが、相手と手を繋げるかどうか」という点にあったかと。映画の中で言われる台詞、「アベンジャーズはもういない」が、侵略と虐殺が終わらない世界各地での現実にリンクする。MCUものは非現実感が大きくなって観る気がしなくなっていたが、本作は大風呂敷感のない悪くないものだった。

8 May 2025

東京都美術館『ミロ展』へ。

90歳で逝去したミロ、20代前半では具象画を描いているものの、どことなく暖かさを感じさせるものは長く続く画業に通底しているようで、きっとこの画家本人の人間性なのだろうなと。

最も美しいと思える「星座シリーズ」の作品は、戦時下いわば現実逃避のように自宅に引きこもって描き上げたものらしい。幸か不幸か、理性が失われつつある現代に響くように思える。

目玉の絵がないからか、平日の正午頃だったからか、館内はわりと空いていた。チケット売り場も行列がなかった。チケットはレシートにQRコードが印刷されただけの代物で、近ごろは大きな施設だとみなこうなっているように思えるが、じつに味気ない。チケットホルダーにチケットを足す楽しみがなくなってしまった。


その後、2年近く中断していた新選江戸三十三所観音巡礼へ。本日は神楽坂の安養寺と四谷の真成院に詣でる。安養寺は過去に二度ばかり参詣したものの法事などが重なって御朱印を頂けず、今回ようやく書入れして頂いた。

平日でも人通りの絶えない神楽坂だがメインストリートを少し離れるとかなり人通りが減る。途中の市ヶ谷にしても目的地の四谷にしても、地名に”谷”が入っているだけあって坂が目立つ。観音坂の脇にある寺へは狭い道が入り組んでいて行き着くのにナビが要った。

真成院の観音様は別名潮干観音と言われ、かつて潮の満ち干に合わせて台座が湿ったり乾いたりしたことからの命名だという。いまでこそ海面は遠いが、遙か昔は崖線近くまで海だったと聞けばさもありなんと。

11 May 2025

西武秩父線吾野駅から関八州見晴台に登り、山稜を北西に、大野峠まで歩く。


関八州見晴台までは西吾野駅からの方が時間がかからないため大概のハイカーはみな西吾野から登ることだろう。再訪となる今回は別ルートでと、吾野駅から長沢川に沿って車道を上がり、石地蔵の先かつ八徳の手前の三叉路を入って尾根に取り付くことにした。なおこの三叉路に道標はない。ガイドマップを見る限り山道が始まると思っていたら通常の車道で、民家の脇を過ぎると林道となる。

この林道、道標は見る限り皆無。あまり歩かれてないらしく、出だしは土の表面が出ている区間がなく夏など草深くなるのではと思えるほど。たまに倒木あり、車の進入は不可。おかげで静か。とにかく高い方へと進み、判断に迷う三叉路は少しでも高くなりそうな方を選ぶ。尾根を乗り越して下りに転じるところで右手に別れる山道に入り、しばしで高山不動尊近くへ。ここまで人影を見なかったのがようやくハイカーの姿を見る。

登り着く関八州見晴台は、前回訪問時同様に大勢の人。木々が茂って眺望範囲が低下していたが関東平野は広く、遠く丹沢の大山や丹沢山、梢越しに奥多摩の御前山や川乗山が眺められた。


見晴台から飯森峠、橅峠、刈場坂(かばさか)峠、大野峠と繋いで歩く。車道が併走するルートで、平坦な舗装道ばかり歩くのかと思っていたがそうではなく、山道に入っては小さなコブをわりと丹念に拾っていく。寄り道する形の飯森峠手前のコブは越生町最高点とのことで飯盛山の名が付いているが、同じ音の飯森山が飯森峠の先にあって紛らわしい。飯盛山のほうは梢越しに武甲山、大持山、武川岳、伊豆ヶ岳が眺められたので寄る価値はある。三角点峰である飯森山のほうは木々に囲まれて展望はないが、平坦で広い山頂はこの季節だと新緑が鮮やかで心地よさを感じた。

紛らわしいと言えば、ガイドマップで刈場坂峠すぐ手前にある山は多くの別名を持っているらしく、マップで筆頭に掲げられている横見山とばかり思っていたら現地ではツツジ山の案内が主で、到着してみて道標に記載の標高を見て横見山とわかる。山頂からは湾曲する稜線の先にアンテナが立つ飯森山やその先の見晴台らしきピークなど眺められ、よく歩いてきたなと感慨に耽った。

しかし行程はまだ終わらない。刈場坂峠から大野峠の間は車道をほぼ歩かず、高低のある山道を疲れのある足腰で辿らなくてはならない。しかも最後のピークであるカバ岳はあれが山頂かと二度三度と思わせ、短いながら岩稜まで出してきてなかなかのものだった。


大野峠から芦ヶ久保駅に下りて、待つことなく西武秩父駅行きが来たので乗り込み、一日の汗を流そうと馴染みの銭湯に向かったら休みだった。今月の営業スケジュールが記載された張り紙があり、見ると月の半分くらいは開いていない。事情があるようなので仕方ないが、今月また秩父に来るようであれば営業日に来るようにしたいものだと。

14 May 2025

使用しているPCがどうにも遅くなって使いづらいので新調。

ついでに昔使っていて棚ざらしにしていたPCを廃棄すべく、ファイルを削除するため何年振りかに起動してみたらWindowsXPで、懐かしいログイン画面が出てきた。

ネットワークにつないでいない状態だとマシン自体も軽快に動く(さすがに外付け記録媒体への転送速度は遅いが)。もったいない気はするものの稼働させる置き場所もないので予定通り廃棄。当時はあんな壁紙を使ってたんだなと感慨にふけりつつ。

17 May 2025

雨の中、連れと北信へ。

悪天のため中央道は交通量が少なめで、混雑による渋滞は皆無だった。昼前に着いた長野市街はそれまでの強雨が勢いを減じ、松代で日帰り温泉に浸かって出てみると晴れたり止んだりとなり、同地で寺社巡りをするうち晴れ間が広がる。初めて訪れた清水寺(せいすいじ)では見事な千手観音を拝観でき、”ハンカチの木”なる珍しい高木を見られた。

戸隠に上がり、定宿に入る前にスキー場手前の駐車場に来てみると戸隠連山を見渡す手前の木々が軒並み伐られている。この高原は自然が好きな人たちが来るところだったのに、いったい誰が何をしているのだか。

18 May 2025

連れと飯縄山に登る。在宅勤務メインで家に籠る傾向の強い自分と違い、連れは元気。急傾斜をすいすいと登っていく。数十年かけて立場が逆転した気がする。帰ったら自分も鍛錬しないと・・・と思いつつ、きっとやらないだろうなと。ツツジはまだ蕾で、ショウジョウバカマが咲いていた。

昨日午前中がけっこうな雨だったせいか、この日の山中はやや人が少なかった気が。GWでの記憶との差異なのかもしれないが。下山後、中社近くの喫茶店”ランプ”でケーキとコーヒー。店にゆかりのある谷川俊太郎氏のコーナーができていた。店内でかかっていたBGMは詩人の子息が参加しているバンドの音楽だった。

19 May 2025

鏡池を一周して戸隠を下りる。

長野市街から戸隠に上がってくるバスは一般客向けがループ橋経由の一日5本だけになってしまい、あとは観光特急なる名目の予約制バスになったという。それは片道2,000円。インバウンドのお客さんが列をなしているそうな。一般客向けは通勤通学用という触れ込みらしいが、午後のバスはほぼ2時間おきに3本だけ。乗りそこなうと、通院する人など病院や薬局を出てから長野市街で長いこと時間をつぶさなければならないとか。これでは免許証返納などできないし、そもそも運転できない人は多大な不便。地方創生とかいう標語があるみたいだが、なんのことだろうかと。

23 May 2025

午後から鎌倉三十三観音霊場巡り。24番寿福寺から29番龍峰院まで。


鎌倉五山の第三位である寿福寺は、発願の杉本寺で聞いていた通り現在御朱印を休止中。それでも鎌倉で最も静けさを感じられるという参道は見るべき場所だった。修学旅行か社会見学かの子供たちがおおぜいでにぎやかだったが。

住宅地の奥に隠れるように佇む浄光明寺、花と水の寺である海蔵寺を巡って亀ヶ谷切通しを登る。久しぶりの切通しは、こんなに急だったっけと思える傾斜。息を切らす峠越えの先で右に折れ、建長寺へ。


熱中症対策のため、例年の日程を本日に前倒しして開催との開山忌で駐車場は満車状態。催事はもう終わったらしく各地から集まってきていた僧侶たちが帰る姿が目に付く。境内に入り、通常は拝観謝絶の塔頭である妙高院や龍峰院に伺う。妙高院を出たとき、山の上と下とで鐘を撞きかわしていた。これも行事の一環なのだろうけれど、彼方の鐘はどこにあるのだろう。訝しみつつ建長寺自身の御朱印もいただく。しまったそのとき尋ねればよかった。

史跡の庭園は石組みや松の配置が巧妙。本日は靴が街歩き用なので半僧坊へは寄らず帰ることにする。改修工事中の仏殿の脇を出口に向かう道すがら、稜線に塔頭の建物を見せる境内はさながら仏都の趣だなとあらためて。


30番の明月院にも詣でようとしていたが時間切れ。アジサイが咲く季節は避けたい。門前で行列になるので。

26 May 2025

鎌倉三十三観音霊場巡り。30番明月院から結願寺の33番仏日庵まで。


大混雑となる時期の到来前に出向いた明月院は初参拝。入り口で想像するより境内は広く、植生の合間に付けられた小道をたどると歩行距離も長い。アジサイの花は開花期を迎えつつあるようだが、咲き初めだからか白いものが多かった。おかげで行列することなく境内に入れた。

本堂の後ろにはこれまた予想より広い庭園があり、少ないもののショウブが咲きだしていた。小さな谷間に延びる庭園はこの花期と紅葉の時期に公開されるらしく、期せずして山懐を感じることができた。鎌倉最大のやぐらである明月院やぐらなど、見どころの多い寺ではあった。


観光客の多かった明月院に対して、続く浄智寺はうってかわって静謐な雰囲気。どことなくもの寂びた風情が落ち着く。開けた石窟の中央に直立する石像の布袋様はやや不気味な感じが。

隣の東慶寺は拝観料の徴収を止めていた。”祈りの寺”であることに回帰したということなのかもしれない。さらに踏み込んで土産物売り場も廃止すればと思うのだが、そこまではしていなかった。


さて、円覚寺の山門を潜り、境内奥の仏日庵へ。ここも初参拝。緋毛氈を掛けた床几が並ぶ境内は華やかで、結願寺に相応しいものかと。結願の御朱印を受け付ける方にはおめでとうございますと言ってもらえた。海外からのお客さんの来訪が多く、久しぶりに再訪したらしい人の声も聞こえてきて、円覚寺を開いたという北条時宗の廟の前はほどよい賑やかさに満ちていた。


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