渡島駒ヶ岳 渡島駒ヶ岳 山頂部

社会人になって数年後に試みた利尻山登山の帰り、札幌から函館に向かう電車の中で、もう一つくらい山に登って家に帰ろう、と考えた。利尻島から一緒だった学生の人は「僕は大千軒岳に行きます」と言い、函館本線の途中で分かれていったが、私といえば駒ヶ岳に登ることにした。北海道の山のガイドが手元になかったため、観光ガイドにもルート図が載っているこの山しか選択の余地がなかったのである。それに大沼のほとりの無料テントサイトも魅力的だった。今回の北海道の旅はテントなので食料さえ何とかなれば泊まるところは気楽なものである。その食料だが幸いにまだ残っている。それではとばかり大沼公園駅で列車を降り、駅前のタクシーに乗り込みキャンパーで賑わう大沼西岸に行ってもらう。


テントを設営して一息着くともう午後を回っている。水と食料を少々、それにカメラを持ったくらいで大沼を回り込むように駒ヶ岳登山口へ向かう。湖を離れて裾野を登り出すと、最初は別荘地のなかの車道歩きである。賑やかな湖岸とはうってかわって、別荘地と言いながら夏なのにひとけがない。暑いのに冷えたような空気が流れる林間の別荘地を抜けると駒ヶ岳のざらざらの斜面になる。ここからのルートは実に簡単で、まず左斜めに登り、斜面の真ん中あたりで反対方向に折れてそのまま頂上部まで上がって行くというものだ。登山路はもう時間が遅いのでほとんど人がいない。人もいないが樹木もなく、見晴らしはすこぶるよい。特に左手の頭上に駒ヶ岳の駒の「頭」にあたる岩塔がよく見える。進むにつれてのしかかる感じになってくる。
到着した稜線では足下にコバイケイソウが咲いている。奥の砂原岳方面はガスで見えない。振り返ると大沼周辺が眼下に広がっているのが見える。砂地に腰を下ろして岩塔によじ登ろうかと考えていると、次々と雲が飛来しては岩塔を隠すようになる。まるで「登るな」と言っているようだ。登っても眺望がなければ面白くないので馬の背を歩いてみることにする。
砂礫のざくざくした道を歩いて砂原岳火口の方に回り込むと、真っ白なガスがわだかまってゆっくりと蠢きながら頭上遥かな高さまで立ち上っているところに行き着いた。そこでは足下の地面が傾き始めていて火口のへりとわかる。目前にある凹地の規模は見えないがためにかなり大きく感じる。こういう光景に一人で対峙すると、このガス溜まりの底に自分を引きずり込もうとして何かが斜面から這い上がってくるか空中から飛来してくるのでは、といったような感覚にとらわれる。しばらくこういう想像に身をゆだねて白い塊を眺めつつ斜面のへりに佇んでいたが、魅了するものからきびすを返すと来た道を戻り、そのまま山を下った。


別荘地の中を戻るあいだじゅう蚊の襲来を受けた。ここの蚊は強力で、テントの中に入ってはいていたジーンズを脱ぐと、脚中刺されていた。
1986/8/8

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