沼津アルプス沼津アルプスの一峰、大平山。背後は玄岳方面

初めて「沼津アルプス」の名を知ったときは意外に感じたものだった。沼津といえば海辺の街という印象があったからで、このあたりの山といえば富士山や愛鷹山ばかりが思い浮かび、アルプスと呼ばれる連山がどこにあるのか見当もつかなかった。
もちろんこれは不勉強の発露に過ぎない。実際の沼津市域は伊豆半島の一部に及び、2.5万分図だと市域内に記載されている山名は10を数え(『日本山名総覧』白山書房による)、そのなかには発端丈山や金冠山も含まれる。しかしそこまで市中心域を離れることなく高まる山域もあり、駅前繁華街からは建物に遮られて目にできなくても、市中を流れる狩野川縁に出ればその一端を眺めることができる。場所によっては顕著なピークが居並ぶのを見上げることもできる。それが沼津アルプスだ。


最高点でも400メートルに満たない稜線だが、その上下は標高から想像する以上だ。低いとはいえ標高0メートルから独立峰の連なりのごとく急激に立ち上がり、そのせいで巻き道というものがほとんどなく、岩が出ていようが滑りやすい急坂だろうが歩行者は丹念に登ったり下ったりしなくてはならない。しかしところどころで開ける眺めは素晴らしく、愛鷹山を前面に従えた富士山を筆頭に、神山と駒ヶ岳が君臨する箱根山、そこから玄岳や金冠山を起こしながら長々と連なる伊豆の山々が見渡せる。足下には静かな駿河湾が広がり、細い白波を立てて船が何艘も行き交っている。富士山の左手奥には一面真っ白となった南アルプスの高山が浮かび、右手奥には御坂山塊が霞む。空気の澄んだ季節なら眺望は言うことなしだ。
小鷲頭山から沼津市街と愛鷹山、富士山
小鷲頭山から沼津市街と愛鷹山、富士山
志下山付近から鷲頭山、右奥に淡島
志下山付近から鷲頭山、右奥に淡島
標高が低いせいで登山口はあちこちにあるが、「縦走」となると北端の香貫山から南東端の大平山を結ぶルートが対象となるらしい。香貫山からの縦走は南行、反対は北行と呼ばれ、山中の標識にはこの区分が必ず明示されていて現在地からどこを目指そうとしているのかが明確にわかるようになっている。この標識は地元の山岳会で作成されているらしく、白地に赤矢印のアクセントのついた柔らかい印象のものだ。ときに「おつかれさま」とか「モウ、一山」とかコメントも付されているが、なにより「沼ア」とあったのには正直言って虚をつかれた。一本取られた。


岩戸山で当山域命名者の加藤さんとお話しして以来いつかは訪れたいものだと思っていたが、「新・日本百名山」に選定されたのをきっかけに出かけていく気になった。「新」を登るためではなく、選定されたためにうるさくなる前にと思ったからである。しかし山中は、昔からかもしれないが、かなり賑わっていた。地元のかたの話すのを聞いていると、少し前にバス9台を仕立てて350名の団体が押しかけたこともあったそうだ(修学旅行か?)。山中には源氏に追われて自決した平中将重衛の居住跡である岩屋や切腹地跡が残っているが、”中将さん”の魂も昨今の騒がしさには驚いているかもしれない。
中将岩、中将重衛の隠れ住んだ岩屋
中将岩、中将重衛の隠れ住んだ岩屋
香貫山より沼津アルプスの山並み、奥は鷲頭山
香貫山より沼津アルプスの山並み、奥は鷲頭山
しかし改めて言えば、山自体は山道・植生ともに変化があって面白い。今回、多比から上がって大平山から鷲頭山、志下山、徳倉山に香貫山とたどる北行コースを休憩込みで6時間かかって歩いたが、次は南行コースを歩いてみたい。だがそのときは香貫山はカットするだろうと思う。この山はかなり園地化され、大展望が得られるとはいえ縦走という目的がなければ割愛してもよいと思えるからだ。沼商のバス停から徳倉山への急坂を登り、今回同様に志下山の芝生の上で駿河湾越しに金冠山を仰ぎながら食事とし、鷲頭山への急坂を登って大平山へと至ろう。そしてそのまま大嵐山へと続く「奥沼津アルプス」を歩ききってしまうというのが、次のコースとして考えているものだ。
2005/2/6歩行・記

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