五色温泉からの登路中途にある遭難碑からニセコアンヌプリ山頂(左)を仰ぐニセコアンヌプリ

スキーで有名なニセコアンヌプリだが、登っても悪くない山だと思う。ニセコの山々は山頂がどれも好展望台のようだが、東西25キロ、南北15キロに渡るニセコ火山群の東端を飾るこの山は相対する後方羊蹄山を眺めるには絶好のようだ。しかし気流の影響を受けやすく、上空の大気に動きがあると1,300メートルそこそことはいえすぐに山頂部に雲がかかる。2006年の晩夏に再登したときも朝方の快晴が午にはガス湧く陽気となり、けっきょく後方羊蹄山の壮大な姿は目にできなかった。それでも当初予定になかった山を連れが登りたいと言ってくれての山登りで、登山道からは日本海まで続くニセコ連山の山並みもあらためて眺められ、北海道旅行最終日のよい登降となった。


最近では南麓から1,000メートル台地までゴンドラに乗って高度を稼ぎ、そこから山頂を目指すというのが増えているらしい。古くからの、五色温泉やニセコ山の家が建つイワオヌプリとの鞍部からの登りにしてみたところで山頂まで1時間半ほど、幅広の迷いようのない道なので健脚であれば1時間強で山頂に着いてしまうだろう。丈の低いハイマツやダケカンバがおもな植生なので、登れば登るほど周囲が開け、五色温泉を眼下にニセコ連峰が日本海に向けて伸びていくのが眺められる。
先に幅広の迷いようのない道と書いたが、山道の表面は平坦ではなくかなり岩が出ていてやや歩きにくい。とくに出発点であるキャンプ場から支尾根の稜線に出るまでが急で見通しもないうえに足下が滑りやすく、四半世紀前に初めて登ったときに受けた「楽な山」の印象と違い、意外な感がした。当時は支尾根に直接出るのではなく隣のモイワ山との鞍部に近いところまで林道を歩き、そこから支尾根を伝っていくという登り方をしたのかもしれない。とすれば登り始めのやや暗い道のりがなく、ちょっと長いが終始明るい雰囲気が続いたのではと思う。
山中では名のある山の常で多くのハイカーにすれ違った。繁華街で出会いそうな今風の若いカップルもいて、二人とも足下は正しく登山靴、女性はストックを使っていた。挨拶も明るく、こう言っては何だが感心させられた。下山時には学生らしい外国人女性が四人ばかり登って来るのにも出会った。中には胸元が大きく開いたノースリーブという姿もあって洋の東西の差を感じたが、登ってまだ四分の一くらいだがすでに疲れているようで、「こんにちは」と声をかけあったあとに連れが「Good Luck!」と言うと、四人とも一瞬びっくりしてから「あはははは」と笑っていた。ちょっと行って振り返ると、案の定全員休んでいた。
ニセコアンヌプリを登る。背後はワイスホルン
ニセコアンヌプリを登る。背後は日影のワイスホルン
登山道よりニセコ連峰。右にイワオヌプリ、中央にニトヌプリ、その背後に黒くチセヌプリ
登山道より雲の影かかるニセコ連峰。右にイワオヌプリ、中央にニトヌプリ、その背後に黒くチセヌプリ
下山後、イワオヌプリの登山口に建つ小さな喫茶室に向かった。ガラス細工のお土産も作って売っている店のあるじによると、本日はハイカーが少ない方だという。どうも数珠繋ぎになって登る日もあるらしい。そういえば一昨日はここでニセコアンヌプリに登る小学生の集団登山に遭遇した。さらに聞けば保育園児が団体でイワオヌプリを往復するという。あの出だしの急坂と岩混じりの道を?これには連れと二人で恐れ入った。
この日は日曜日で、登山口近くの五色温泉もニセコ山の家も昼前から玄関先に車が並び、山から下ってきても減らない。いずれも温泉に日帰りで入ろうという観光客のものだろう。混んでいる浴場ではゆっくりできないだろうから空いていそうな宿を探し、秘湯の湯の看板を掲げる鯉川温泉旅館というのが車道より奥まったところにあって目立たなそうにしているのでそこに決めた。カランが2つしかない内湯は昭和初期の造り、最近になってつくられたのだろう露天風呂は岩場の上を転がるように落ちる沢の流れを見ながらの入浴と、じつに雰囲気のあるものだった。平成元年まで混浴だったが女性専用風呂を新設していまは男女別になっている。


温泉から出たころには昼もかなりおそい時刻になっていた。そろそろ千歳空港に戻らなければならない。車の窓を開け、連れともども洗い髪を北海道の風で乾かしながらニセコを下りていった。今回の旅は天気も山も温泉も佳く、来てよかったと思えるものだった。
2006/9/3

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