韮崎大村美術館入口から白山城址の鍋山を望む韮崎の武田の里

秋もたけなわの頃、甲府に前泊して曲岳から太刀岡山を歩く計画を考えた。初日をどうしようか迷ったが、韮崎まで足を延ばして白山城址を巡るコースを歩いてみることにした。少し前、台ヶ原宿へバスで向かおうと来た韮崎駅で地元観光案内をいろいろ入手したが、そのなかに韮崎市観光協会が出している「韮崎ハイキングガイド"甲斐武田家発祥の地を訪ねる"」というものがあり、武田家ゆかりの寺や神社がそこここにあって山城に登りもするので面白そうだと思っていたのだった。しかもコースの最後には温泉まである。所要時間は3時間強とあって、これは半日の散策には好適だ。
とはいえ当日は韮崎着が14時頃になってしまったため、あちこちで足を止める時間も考慮して武田信義公館跡を回る道筋はカットし、駅から願成寺(がんじょうじ)に向かい、そこから直接武田八幡宮へと向かうことにした。
武田の里コース
なお、複数のコースをまとめたパンフレット「韮崎ムーブ(韮崎市商工観光課・韮崎市観光協会)」にも"武田の里コース"として上記「韮崎ハイキングガイド」とほぼ同じコースの記載がある。
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その日の韮崎駅は好天だった。紅葉の映える韮崎観音を見上げて高架の駅を下り、七里岩末端の窟観音(あなかんのん)にまずは詣でる。岩壁に穿たれた大穴に舞台風の木造建築が取り付けられ、朱色の欄干と灰白色の岩肌が青空の下に鮮やかなコントラストだ。しっかりした階段で登ってみると三つほど並ぶ岩窟に仏像が祀ってある。手前に大きく口を開けて石仏を並べる洞窟を奥に進んでみると、マンションの裏手に出たのには驚いた。

窟観音 岩屋観音堂
次に目指すは願成寺だ。七里岩の紅葉が覆う町中を抜け、瀬音も荒々しい釜無川を武田橋で渡る。民家の並びを抜けて小さな川の土手を歩く頃にはすっかり里の雰囲気だ。願成寺は寺記によれば771年開創、928年仏刹建立の古寺で、12世紀に武田家始祖の武田信義に祈願所とされてから代々の武田家菩提寺となっている(武田信玄は武田家16代)。本堂の屋根は今やトタン葺きだが、広い境内を前に煉瓦色が広々とした青空に映えて悪くない。内部は禅寺らしく清々しいものだが、それ以上に右手受付の敷居をまたいだ先がこざっぱりとしていて好ましく、ここでお茶でも所望できたらと思えるものなのだった。
願成寺本堂
影の伸びる願成寺本堂
境内の入り口に戻り、来た道を山側に向かって登っていく。左右は畑地となり、父親にトラクターに乗せてもらってはしゃいでいる子供の歓声が響いている。振り返れば収穫の終わった畑の向こうに寺の屋根が紅葉に埋もれ、その上には茅ヶ岳の裾野に韮崎市街地が浮かび、裾野の上からは明日登るつもりの太刀岡山が顔を出している。
多少の車の往来がある車道を渡り、さらに登って左右に延びる車道に行き当たる。ここを右手に行って最初の十字路を左手に行くと武田八幡宮なのだが、そのまま直進していく。枝振りが見事だという「わに塚の桜」を眺めてみたかったからだ。


山陰の道を回り込むと再び釜無川へ下る空間が開け、樹影の美しい大木を探せば遠目からでもあれがそうだとわかる。花の季節には壮麗な姿を見せるというエドヒガンは身にまとう衣のあちこちを金茶に染めていた。立ち止まって眺めていると、地元の人らしい高齢の男性が桜に目をやりながらゆっくり道筋を下っていった。
色づくわに塚の桜
色づくわに塚の桜
10月の末ともなれば日は短い。十字路に戻り、山腹の森のなかに潜む武田八幡宮へと登り気味の車道を歩いて行っても観光客らしき姿はなく、巨大な二ノ鳥居が投げる影が路上に伸びているだけだ。見上げれば日がもう少しで山の端にかかろうとしている。
静けさ漂う集落は門前町にあたるわけだが、左右に建つのは農家ばかりだ。しかし構えは立派で、もしかするとそれぞれが由緒ある家なのかもしれない。
武田八幡宮の二の鳥居
武田八幡宮の二ノ鳥居
武田八幡宮は予想と異なり、森に覆われた山の斜面に総門、上がって舞殿、さらに上がって拝殿、その奥に本殿と、奥行きに加えて高さまである造りになっている。境内入り口の説明版によれば822年草創、その後甲斐源氏の尊崇を集め、願成寺でも名の出た武田氏始祖の信義がこの郷一帯を寄進して氏神としたとある。社叢林に囲まれたなかの階段を上っていくと文字通り森閑としていて、霊的な力が横溢しているのでは思えてくる。
誰もいない境内は物言わぬものの存在感が増すところでもある。舞殿や拝殿の軒先に下がる白い紙垂が薄暗い中に目立ち、不気味さ一歩手前の雰囲気を醸し出している。本殿は武田信玄再建と伝えられるもので国指定重要文化財だが、柵に囲まれているので近づくことはできず、脇から眺めるだけだった。それでも屋根の反り返りが美しいのは確認できた。
武田八幡宮の舞殿脇から拝殿を見上げる
武田八幡宮の舞殿脇から拝殿を見上げる
すっかり山めいた雰囲気のなか、八幡宮本殿脇からの林道を歩いて為朝神社に向かう。麓から上がってくる林道を渡って踏み跡に入ると新しい社があり、格子越しになかを覗いてみるとやたら巨大な武将の座像があって驚く。武将は源為朝、各地で疱瘡神社の祭神として祀られる武将だ。近くの案内板には、武田信義が社殿を建立し、祭礼時は疱瘡除けの錦絵が売られ参拝客で門前市を成したとある。現在の静かな山中からは想像しがたいが、神仏に頼るしかなかった時代には物見遊山ではない表情でお参りに来る人が多かったのだろう。しかし明治に入って種痘が広まった後は参詣者もなくなったという。
為朝神社
為朝神社
神社を右手に過ぎると舗装林道に出る。これを少し下り、足下右の小さな流れをまたぐ橋を渡ると武田信義が築城した山城である白山城址への登り口だ。標識は無いようなので下から直接上ってくるとわかりづらいかもしれない。城を戴く山は要害山とも、形状から鍋山とも呼ばれる(甲府の要害山とはもちろん別)。幅広だった道はすぐに細くなり、檜の植林下に続く階段道を上っていく。道筋がゆるやかになり、空堀や曲輪に見える遺構が目につくようになると、平坦な白山城址本丸跡に着く。周囲は土塁が巡り、広さは劣るものの甲府の要害城に似た構造だ。山城だから当然なのだろう。


ここでようやく腰を下ろす気になった。とはいえベンチなどないので背負っているザックを下ろしてそのうえに座り、韮崎駅構内で買い込んだパンを食べた。時間も場所も火を焚くには不都合と思えたのでバーナーは出さず、暖かいものは飲まなかったが、木々の合間から透かし見る紅葉を眺めるだけで十分愉しめるのだった。
白山城址の本丸
白山城址の本丸跡
下りは本丸入り口と思われる場所から登りとは別のコースに入り、二の丸と思われる平坦地を右手に見る。ときおり風が吹いては雑木林のなかでドングリがばらばらと落ちる音が響く。山道を下るとすぐに白山神社に出た。本殿と拝殿とからなり、本殿は小豆色の壁に白色に塗られた柱の組み合わせで、なかなか美味しそうに見えるデザインだ。拝殿の前にまわると石垣や石段がよい雰囲気で、武田八幡宮ほどの規模感はないにせよ周囲の森と併せて神域の感触を味わうには十分なのだった。
落ち葉積もる白山神社
落ち葉積もる白山神社
長い石段を下りて鳥居をくぐり、茅ヶ岳や太刀岡山を正面に下っていく。集落に入ると道筋が複雑になるが、地図を頼りに最近できたばかりの日帰り入浴施設である白山温泉に出た。時刻は夕方の4時半、となりの韮崎大村美術館にも寄ってみたかったが、本日のところは割愛し、まずは風呂に入ることにした。浴場はあまり広くないが、湯は肌触りがよく、露天風呂もある。半日足らずの散策だが、それなりに上り下りはあって疲れもしたため仕上げの風呂は格別だった。
白山温泉
瀟洒な白山温泉の玄関前
建物から出てみるとすでに日が暮れていた。暗い中、願成寺の脇へと続く川沿いの道を下っていった。照明も民家もなく、ときおり車がヘッドライトを光らせて通るだけの道でやや緊張したが、暗いながらも空は広く、静かなことは静かでよい道のりだった。願成寺の敷地前に出てからは、行きにたどった道を逆に歩いて韮崎駅に出た。


今回は一人で来てみたが、半日行程としては予想以上によいハイキングルートだとわかった。春、わに塚の桜が咲き誇る頃にでも連れとともに再訪したいものだ。そのときは白山温泉を明るいうちに出ようと思う。
2009/10/31

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