南郷山・幕山 新崎川のほとりから幕山を見上げる

昼の11時に家を出て、夕方5時には山行を終えている。そんな簡単な山だが、相模灘に面した湯河原は暖かく、寒い季節にはちょうどよいコースなのだった。


バスを待つ時間ももどかしいので、賑やかな湯河原駅からタクシーで鍛冶屋のバス停まで行く。バスの本数は少なくないのだが、すでに1時近くなのはやはりちょっと焦りを呼ぶ。ミカンの果樹園を周囲に眺めながら車道の急坂をぜいぜい言って登り、道が平坦になって眺めが開け、湯河原の町並みを眼下にするのもつかの間、ゴルフ場のへりをめぐるやや荒れた感じの道を通るようになる。それから林道歩きを挟んで山道をたどり、山頂へはだいたい一時間ほどで着く。
登ってくる最中はしじゅう下ってくる人たちの声を聞いていたようなものだったが、南郷山頂には誰もいなかった。もう2時だから当然だろう。ここからは真鶴半島も見えるが、座ると見えなくなるし登ってくる最中にさんざん見ているので、幕山を眺められるところに行って腰を下ろし、駅で買った「横浜炒飯」とか言う名の小ぶりの弁当で遅い昼食にする。中に入っているシューマイが美味しい。日が照っているおかげでじっとしていても寒くなく、座っている冬枯れした草は藁のようで暖かい。
ところが昼食を終えて幕山へと箱根方面に踏み出すと、ほんの少し山の中にはいっただけなのに空気がいやに冷たい。南側斜面と山頂は海側から登ってくる暖かい上昇気流の中にあったということなのだろうか。
南郷山頂から幕山
南郷山頂から幕山
あいかわらず誰とも会わない山の中をいったん幕山との鞍部に下る。急坂だが15分程度だ。下った先は林道で、これを辿ると湯河原から見て幕山の裏にあるルートに合流することになるが、ガイドによれば林道から外れたところには自鑑水という名の湧き水の池があるので、ちょっと寄り道することにした。源氏の旗揚げに失敗した源頼朝がこの水面に映る自分の惨めな姿を見て自害しようとしたという。だが行ってみてびっくり、かつて池だったはずの10畳ほどの三角形の形をした窪みには水は全くなかった。それもそのはずで、周囲は杉の植林だらけになっていて、山の保水力が往時に比べて低下しているのは明らか。広葉樹を切りすぎるとどうなるかの小さな見本のようだ。


道はすぐまた林道に飛び出して横断し、向かいの幕山へのゆるやかな山道を登っていく。道の両脇には桜の木々が植えられ、4月頃にはさぞ華やかな風情だろうと思う。3時に着いた頂上はやはり誰もおらず、南郷山の3倍以上広い山頂は正面に湯河原の町並み越しに真鶴半島が望めて広々とした感じだ。左手には南郷山から星ヶ山への笹に覆われた稜線が続く。先月この稜線を歩いたものだが、眺めのほとんどない、ヤブでたいへんな道が続いていた。どこをどう歩いたのか見定めようとしたがよくわからず、ただ「あのへんのピークまで歩いて向こう側の尾根を下りたのだろう」と思うだけだった。
幕山山頂から湯河原の町越しに真鶴半島
幕山の山頂から湯河原の町越しに真鶴半島
海を正面にして右手には天城連山が見えるが、最も高い万三郎山や万二郎山は雲の中だ。だんだん寒くなってきたので幕岩ゲレンデのある幕山公園方面に下ることにし、最初は相模灘を正面に眺めながらなので雄大な気分でいたものだが、同じような斜度のくだりがジグザグを切ってずっと続くのでだんだん飽きてきた。登ればもっと飽きるんじゃないだろうか。しかしそれほど時間はかからず、梅が一分咲きの湯河原梅林に着く。もう4時近くなのに、目の前の「茅ヶ崎ロック」という幕岩ゲレンデの一部にはまだ岩に取り付いている人たちがいる。だが大半は帰ったか、帰り支度をしているようで、低山のわりに巨大なザックを背負っている人たちがぞろぞろと下りていく。中には幕山に登ろうとする人もいるが、「来たついでにてっぺんから湯河原を見下ろしてみよう」ということなのだろう。
幕山公園の梅と茅ヶ崎ロック
幕岩公園の梅と「茅ヶ崎ロック」


この日はちょうど地元湯河原の梅祭り(「湯河原梅林"梅の宴"」というのだそうだ)が始まったばかりで、麓の整備された公園では出店が何軒も出て賑わっていた。無料サービスの甘酒が美味しくて、おかわりをしたかったが自分が飲んだのが最後の一杯だった。梅祭りは3月22日まで続き、そのあいだじゅう甘酒無料接待があるので、「また行ってみようかな」と思うのだった。
1999/01/30

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