不動滝東方の高みより畠山(奥)を望む

6月最初の土日、外出を誘う好天に日帰りの山歩きを考えたもののいろいろあって遠出をする気が起こらず、家から近いところはと三浦半島を考える。まだ湿度は低いので200メートル程度の低山でも歩いて歩けないことはないだろう、歩き残しているものといえば三浦アルプス東端の畠山がある。山頂へは三方から踏み跡が通じているが、按針塚駅からのルートは舗装道歩きが長そうなので、南麓の木古庭から上がることにし、西進して乳頭山を踏み、これまた未訪の田浦梅林を経て田浦駅に出るルートとしてみた。


しかしこの計画だと山行自体は2時間程度でしかない。せっかくなので登る前に登山口のある木古庭(きこば)地区も少々歩いてみることとした(参考にしたのは"葉山まちづくり協会"が作成している「葉山を歩こう1 木古庭」)。衣笠駅から乗ったバスで畠山登山口である不動橋をやり過ごし、二つ先の境橋で降りる。
民家の庭先で・・・
民家の庭先で・・・
交通量の多い県道27号を離れて静かな里道に入ると、こんこんと水の湧き続ける「湧井戸(わくりど)」が出迎えてくれる。立ち寄りポイントは少なくなく、ひっそりと佇む不動堂に寄り道して境内の樹林を見渡したり、三浦半島唯一の天然滝という不動滝の小さくも由緒あるたたずまいに感心しもする。高みを通る道筋から谷間を越えて北の丘陵地を窺うと、あれが畠山だろうというのが頭を出している。うねうねとくねる里道の奥にカヤの大木がそびえ立っていたりもする。
湧井戸(わくりど)の湧水
湧井戸(わくりど)の湧水
樹林に囲まれた不動堂
樹林に囲まれた不動堂
急ぐ予定でもないのでのんびり1時間ほど歩いて不動橋に着く。ちょうど午だった。畠山へは舗装された坂道を上がっていく。山岳トレイルランの格好をしたカップルが降りてきた。その後に通常のハイキングスタイルの単独行者が歩いている。この季節でも人の往来はあるようだ。少なくとも蜘蛛の巣だらけだということはないらしい。
登りだして10分程度で下りに転じるころ、右手に山道が分岐する。傍らには目立たないほどの標識が立っていて畠山と書かれている。踏み込んでみると驚くほど抉れた山道だ。すぐに現れる竹林が妙に明るく、どこの美術館の中庭だろうかと思えるほどだ。予想外の展開に驚く間もなく広葉樹の林間を行くようになる。踏み跡はしっかりしていて歩きやすく、途中に多少ヤブがかかるところがあるとはいえ迷いようはない。
右手下から響いてくる横浜横須賀道路の騒音が遠のいたころ左手に分岐していく山道がある。ほんの少し入ってみたが、畠山には向かわないようだ(ここが”大沢谷分岐点”というものかもしれない)。元の踏み跡に戻り、下って登り返すと標識があって、左に行けば二子山、仙元山とある。顔を上げれば先の平坦地に立つ木の幹に畠山山頂とある文字を見つけてしまう。不動橋から登りだして30分ほどしか経っていない。あっけない到着だ。
あまり人の訪れがなさそうな畠山山頂
あまり人の訪れがなさそうな畠山山頂
畠山の名は、平安時代末期にこの山に陣を設けた畠山重忠という東国武士の名にちなむという。重忠は後に源頼朝に臣従するものの、この時点では平家側の武人だった。はるばる武蔵国の秩父から頼朝討伐に相模国まで下ってきた重忠軍は、由比ヶ浜で源氏方の三浦氏と合戦したのち、この山に陣を構えて三浦氏居城の衣笠城を攻め敵方を房総半島に敗走せしめた。先に立ち寄った不動堂で祀られている不動明王は重忠の持仏であるという。土着の武士でもないのにゆかりの山名なり堂宇なりが今に残っているということは、木古庭でのわずかな滞在期間中に土地の人たちに対してかなりの好印象を残したのだろう。
いまや木々に囲まれてやや閉塞した印象の山頂だが、東京湾側は伐採されていて眺めが開けている。霞んでいるとはいえ対岸の房総半島も間近に見え、あれが金谷の鋸山ではないかと思えるのも窺われる。海上には重そうなタンカーが浮かび、少々目を離しただけではさほど移動していない。悠々たるものだ。かように眺めは悪くないのだが、真下には横浜横須賀道路が近いのでエンジン音は無視しがたい。ゴルフ練習場まで見下ろされ、ゴルフボールを打つ音まで聞こえてくる。都市近郊の里山なのでしかたないところだ。
山頂には見事な枝振りの桜が立っている。幹回りから相当な古木と思われるが、きっと春には麓からも目立つほどの花を咲かせるのだろう。踏み跡の傍らには石碑に彫られた三面の馬頭観音像が立つ。側面には明治の文字が読み取れるが年次は判読しづらい。ガイドマップによれば21年だそうだ。しかしなぜ山頂に馬頭観音なのだろう。木古庭は山間部のため、重要な輸送手段である馬とその飼い主を山上から見守ってほしいという思いで建立されたのかもしれない。いまやすっかり角の取れた尊顔となっている。
安針塚への道を分けた後の山道
安針塚への道を分けた後の山道 
山頂手前から分岐して北に向かう踏み跡は出だしこそヤブっぽいがすぐに幅広の歩きやすいものに変わる。そのまま続けばよいのだが、残念ながら乳頭山方面に向かう身としては快適な道のりに別れを告げ、左手に急降下する踏み跡に入らなければならない。分岐に立つ標識を見落として歩きやすいのを辿っていってしまうと、安針塚に下り着いてしまう。
下りだしこそ緊張したが、乳頭山までの道のりは、多少のアップダウンはあるものの畠山の登り同様にしっかりした踏み跡で、眺望こそないが迷うことはない。とはいえ木々が茂っているので風の通りは悪い。湿度が高い盛夏では歩くのに難儀するだろう。
乳頭山山頂
乳頭山山頂
旧海軍の石造標柱を二本眺めて乳頭山手前の稜線に出る。山頂はすぐそこだ。何度目かの訪れだがここに来るとなぜか安心する。三浦アルプス縦走のときや中尾根を登って達したときにも感じたもので、田浦が近く、ここまで来れば下山は楽、と思うからだろう。だがこういった安心感が落とし穴になることもある。この日は先客が展望地にいて食事中だったので立ち止まることなく先を急いだ。しかし急ぎすぎたのか、山頂直下の田浦への分岐に入らず、歩きやすい中尾根への道に入ってしまった。分岐の標識を眺め、その標識にまっすぐ行けば中尾根とあったにもかかわらず、である。次々に送電線鉄塔が現れ、まるで記憶と違うことを訝しみつつ下っていくと十字路に着いた。標識があり、北に行けば中沢、南は南沢とあって、いま歩いているのは中尾根と記されている。文字通り我が目を疑う。道を間違えたことに納得がいくまで少々かかったが、わかればあきらめは早く、すぐさま下ってきたのを登り返した。


改めて乳頭山山頂直下から田浦への道に入る。すぐに右手へ、田浦緑地への急なルートが分岐している。この先はトラロープが連続するような急傾斜で、どちらかといえば登りに採るべきものだ。急降下が終わり、登り返すところから背後を振り返ってみると、木々に覆われているとはいえ下ってきたところがまるで崖のような斜面に見えた。
田浦梅林「田浦梅の里」展望塔
田浦梅林「田浦梅の里」展望塔
横浜横須賀道路を陸橋で越え、一コブ越えるとキャンプファイヤー会場のようなところに出た。このあたりは田浦緑地の一部らしく、田浦青少年の家なるものを左手に遠望しつつ、林のなかを歩く。日曜だというのにひっそりとしたもので、少々歩いて着く展望台でようやく人影を目にした。もはやただの散策路となった道のりを家族連れに混じって下り、花の季節は素敵だろう梅林の脇を下って田浦町二丁目に出た。あとは道なりに田浦駅まで歩いて行った。
2010/06/06

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