奇妙山から見下ろす皆神山。背後にノロシ山、左奥彼方はおそらく鏡台山皆神山
例年でかける戸隠へ、この年は梅雨入り直前の6月初旬に行くことにした。ここ数年は初日は移動するだけで、せいぜい松代の掛け流し温泉に浸かって運転疲れを癒すくらいだけだったが、今回は久しぶりに行きがけの山に登ってみようと考えた。
そこで選んだのが雑誌『岳人』最新号(2018/06、#852)に案内が載っていた皆神山だった。上信越自動車道を北上して更埴JCTを過ぎ、松代PAのあたりから右手に松代市街が広がってくる。その背後に突如立ち上がる台形の山。背後に高まる山稜に囲まれて中央火口丘のように鎮座するこの山は、中央火口丘かどうかはともかくれっきとした火山で、粘性の高い溶岩が盛り上がってできたものだという。
その形状から古代のピラミッドと言われているとか、その連想からかUFOが見られたとか、一歩間違えると際物扱いされそうな山だが、そういう魅力もあるということでもある。すぐ隣の奇妙山や尼厳山から見下ろすと山上台地はところどころ開けて車道が通り、そのせいで登高欲が今ひとつ湧かないでいたが、『岳人』によると登山道があり、表参道を辿れば山上台地まで40分とのことなので、では足慣らしがてらと訪ねてみた。


長野ICを下りて、長野中心市街とは反対側、いまは同じ長野市となった松代市街地へと向かう。車窓から判別できる登山口案内など無く、だいたいのところを目指してハンドルを切っていく。
しばらくうろうろしたが、表登山道入り口近くにある大日池を案内する標識が見つかれば問題は解決だ。車幅しかない未舗装道を辿って大日堂跡前の狭い空き地に車を駐める。すぐ傍に水場があって美味そうな湧き水があふれ出ている。おそらく大日池へと流れ行く澄んだ水を眺めながらかがんで口にすると予想以上に柔らかい。山上で淹れるコーヒーはこれでと空の水筒に汲み入れる。
大日堂の石組みの前で
大日堂の石組みの前で
かつてあったという大日堂は1868年築のお堂で、1960年頃には雨漏りする無住の建物になってしまっていたらしい。いまでは残念ながら石組みと礎石だけが残り、堂宇があった場所は草が茂るにまかされていた。松代にもこのような運命を辿った旧跡があるのかと思えたものだった。
表参道である山道はこの大日堂跡を左に回り込むように始まる。この山道がいったん簡易舗装道に出る直前で、勢いを増す夏草に隠されることなく立つ石碑が目に入る。「山神」と刻まれたそれは人の背丈ほどあるうえに厚く、文字の彫りも深い。この山は聖域として相当に神聖視されていたらしい。
簡易舗装道のままま山頂部まで行くのかとの懸念は杞憂で、すぐ先の水道施設の前で再び山道となる。周囲は閉ざされて眺望はなく、ときおり倒木も目に入るが登路は明瞭で迷いようがない。いったん林道のような未舗装道に出たところで標識があり、“小丸山古墳”なる古墳があると教えている。林道後方を振り返れば山の規模に比して大きめな盛り上がりが窺われる。説明書きにあるようにかつての支配者が自らの領地を死してなお見下ろせるようにとこの地に造営したらしい。
再び山道となって雑木林の取り囲む急な登りを続けていくと石造の鳥居が現れる。皆神神社の前身である修験時代の和合院は山の八合目以上を領していたとのことだが、その境界を伝えるものなのかもしれない。前方の木々の合間に空が窺えるようになると舗装道に出る。すでに頂上台地の一角で、周囲を見渡すと畑地まである。道なりに高みを目指していくと皆神神社の境内に着く。登りだして半時強ほど経っていた。
表参道の半ば、山中に突如現れる鳥居
表参道の半ば、山中に突如現れる鳥居
登る前は、山上にあるという神社は草深い平坦部に小振りの古社というところではと思っていたが、現実には全く違っていて、山門の先に延びる参道の上に堂々たる構えで、軒先の彫刻も見事なものだった。すぐ脇まで車道が通っているうえに境内周囲は防火対策でか切り拓かれており、見上げる頭上は広い。四囲彼方を眺め渡せるわけではないが、傾いた平地の先に近隣の山が覗く様は浮遊感を感じさせる。それ以外は里にいるのと変わらない。常時一人か二人とはいえ参拝者がおり、その姿が山姿とはほど遠いものだったせいでもある。
皆神神社、正式名は熊野出速雄(くまのいずはやお)神社
皆神神社、正式名は熊野出速雄(くまのいずはやお)神社
台地と言うものの真っ平らなわけではなく、ピークとして認められるものが三つはあるらしい。境内近くに立っていた説明書きによれば、往古はその三つ各々に社があったとのことだが、時を経て現在の一つにまとまったという。皆神神社の本殿奥に高まるのが中の峰で、浅間神社という社が建っている。周囲を巡ればすぐ隣の奇妙山や尼厳山、彼方の飯縄山が眺められる。遠くにばかり気を取られて気づかなかったが、社の後には30〜40センチほどの四角い穴が開いている。『岳人』の記事によれば、かつてはここに富士山で採取した水を撒き、祈りを籠めたとのことだった。
浅間神社の裏手から飯縄山を望む
浅間神社の裏手から飯縄山を望む
皆神山の標高とされるのはこの浅間神社がある中の峰の高さのようだが、地図上は隣の東の峰のほうが高い。ついでとは言ってはなんだが実質的最高点を踏めるかと向かってみる。かつてはゴルフ場と地図に記載のあった場所は現在は太陽光パネルが広々と設置されており、おそらく昔と同じで立ち入り禁止とされていた。ヤブっぽい中に小さな祠があったが、無理に近づくことはしないで引き返した。


山の大きさに対して広い山頂部をあちこち探索しているあいだ、一緒に登ってきた連れは皆神神社の境内で休憩していた。たとえスマホがあるからといってもものには限度があるだろうから、適当と思われるところで山上の単独逍遙を切り上げて下ることにした。
小さな山なので元来た道を下らず、反対側へ下るルートを採った。初めこそ車道下りだがすぐに分岐する山道が現れる。舗装道で辿れるところを、しかも急な山道を歩きたがる人は少ないらしく、ヤブが被り気味だ。イバラまで差し渡されていて一度ばかり不用意に枝に手を掛けて悲鳴を上げもした。
ヤブが被り気味の山道
ヤブが被り気味の山道
しかし見どころがないわけではない。傾斜が緩んで一息つくところで二基の小さな祠の間を通る。この片方の祠が言うなればコンクリの箱で、腕さえ通せない小さな穴が開いている。脇に扉でもあるのかとまわってみたが無く、どこからも中を開けることはできない。外部からの脅威を防ぐというよりは、内部にあるものを閉じ込めたかのようだ。覗いてみるとなにやら錆びた剣だか板だかが何本か立っている。やや不気味なものを感じて、中を覗き込む視線を早々に外す。
いよいよ車道に飛び出すところでは岩戸神社というものが文字通り口を開けて待っている。神社と言いながら社はない。それは石組みで補強された山腹の横穴、どう見ても横穴式古墳の玄室そのものである。広めの内部の奥には神鏡が置かれて妖しく輝き、その光に惹かれて入ってみれば初夏とも思えぬ冷気に一瞬で汗が引く。入り口こそ少々かがまなければならないが内部は楽に立っていられる高さがある。これが見た目通り古墳であれば、これほどのものを造営させた被埋葬者はよほどの有力者だったに違いない。
岩戸神社、奥で神鏡が光る
岩戸神社、奥で神鏡が光る
車道に出てからは山の麓を半周しなければならない。車を駐めたところはちょうど真裏にあたるからだ。幸いなことに里道は終始下り坂で、左手に仰ぐ皆神山の姿が端正なピラミッド型から見慣れた台形になっていくに従い、初めは正面に見上げていた奇妙山が右手に、行く手には尼厳山が姿を現し、さらなる彼方には虫倉山や砂鉢山あたりが望めてくる。展望も申し分ない道のりで、わざわざ遠回りした甲斐があるものだった。


皆神山の山裾が遠くなりだしたころから左手に分岐する細い車道にに入り、山へと近づく里道を拾っていく。初見時と変わらず妖しげにさざ波を立てる大日池を目にすれば、大日堂登山口はすぐだった。
車に乗り込み、松代温泉を目指した。鉄分を豊富に含み、連れ曰く「ありがたい気がする」掛け流し温泉は、短時間とはいえ汗を流したあとには殊のほか心地良い。今宵の宿のある戸隠に走り出したものの、本日登った山が名残惜しく、途中で車を駐めて改めて眺めてみるのだった。
水を張った田圃越しに皆神山
水を張った田圃(?)越しに皆神山
2018/06/02

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