尼厳山・奇妙山松代駅跡から尼厳山(左)と奇妙山。写真に写っている線路は撤去されて今はない。

尼厳山は「あまかざりやま」、奇妙山はそのまま「きみょうさん(長野市発行のトレッキングガイドではきみょうざん)」。なんとも名前が個性的なこれらは、信州松代市街地の背後に目立つ容姿で立ち、長野市街からも遠望できる。どちらも山頂にかつて山城があったという。いずれも善光寺平を一望にできるのだから不思議ではない。
毎年戸隠高原を訪れる際、行きか帰りのいずれかに長野市街地中心部から南東に位置する松代に立ち寄って、国民宿舎松代荘で掛け流しの温泉に入る。その国民宿舎ロビーからでも玄関先からでも仰ぎ見られるのが尼厳山で、小振りの富士山型な姿がよく目立つ。これのみであれば往復3時間程度で歩けるが、その背後に数倍の規模で山体をもたげる奇妙山にも脚を伸ばすとなると一日行程となる。関東を早朝出たとしても松代には昼前に着くのがせいぜいなので、戸隠の行き帰りに縦走登山、というわけにはいかない。なのでいつまでも温泉に入るばかりで山には登らないできた。ある年の夏休み、連れと期間が合わないので独りどこかの都市のビジネスホテルに滞在して周辺の山歩きやら観光でもするかと考えるうちに松代を思い出した。「よし行こう」というわけで、長野市に泊まって一日かけて念願の縦走をすることにした。


2012年3月までは長野電鉄が須坂と屋代を結び松代を通る電車を走らせていた。今ではもうレールのきしむ音は聞くことができないので、長野駅前から一時間に数本あるバスで松代に向かう。途中の陸橋の上から本日の山がよく見える。目立つのは尼厳山のほうで、小振りながらも美しい円錐型の山容は見誤ることがない。峰続きの奇妙山はやや平凡な姿ながら高さは倍近くあるように見える。長野市自体が高いところにあるからで、実際には1.5倍の高さの違いだ。尼厳山が奇妙山の手前に来るようになるともう松代で、終点は松代高校だが学校に行っても仕方ないので観光客が下りる松代駅(跡)で降りる。駅舎は残っており、ホームにも自由に出られる。これから上ろうとする山々が線路の向こうに伸び上がり、やはり松代の山と呼ぶべきと納得する。(なお、2013年秋現在、線路は撤去されている。)
旧駅舎前にあるタクシー会社に車を頼み、尼厳山の登山口に行ってもらう。登山口はいくつかあって、この日選んだのは眺望のよい長礼からのコースに入るものだ。降車時に運転手さんから教わったところでは、尼厳山の尼とは源頼朝に寵愛された松代出身の女性にちなむという。聞きそびれたが、奇妙山はどうやら名の由来が不明らしい。なにか別な言葉の転化かと思える程度だ。
天王山登山口付近から仰ぐ尼厳山
天王山登山口付近から仰ぐ尼厳山
皆神山を望む
皆神山を望む
車道行き止まりから山麓をまわり、尾根末端を越えて天王山と長礼のコースが分岐する。長礼のは出だしが下っていくので少々不安だが、集落のなかを過ぎ、再度尾根末端を越えると右手に延びていく農道がある。山道に入ったところはヤブがかぶっていて、夏に低山を歩きに来たのは失敗だったかと思わせるが、これは最初だけで、よく踏まれた見通しのよい道が続くようになる。さて早々に急登が始まる。山の形から予想していたが細かくジグザグを切るとはいえ斜度はきつい。幸いにこの日は風があり、差し伸ばされる山道脇の枝も日差しを遮ってくれるものの、標高の低さはいかんともしがたく、蒸し暑いことこのうえない。眉毛から汗がしたたり落ちる。
尾根の途中にテレビアンテナが立つ場所があり、眺めがよく一息つく。すぐ下を信越自動車道が千曲川と併走していてわりと騒がしい。加えて収穫期のため鳥脅しの爆音が間歇的に響き、山の上だというのに人間の居住空間の音が充分すぎるほどに満ちている。やかましいのはともかく、平地に突き出した山なので眺めはよい。まださほど高みに上がったわけではないが、市街地を越えた彼方の飯縄山が立派だ。さらに高度を稼げば背後の戸隠連山も見えてくるだろう。期待を込めて登高を再開する。


変わらない急登を続けていくと驚いたことにちょっとした岩壁帯にぶつかる。右行けば岩場、左行けば山頂の案内があって、「では右に寄り道を」と入ってみると、見上げる岩壁が続くだけで山道が上っていく気配はない。ひょっとしたらクライミングをするだけの場所かもしれない。山頂へと続くルートに戻って岩の合間を辿っていく。右手下に先ほど見上げた岩壁が連なっているが、その合間を縫って上がってくる踏み跡は見あたらなかった。
岩場前と変わらない急な登りが徐々にゆるやかになると頂上は近い。山頂直前で左方からの登路が出会う。そこは城跡の空堀だ。山頂はすぐで、城跡らしく妙に平坦で細長い。今では善光寺平のみ開けているが、往時は周囲全てを見渡すことができたに違いない。眺望の開けた側を向いて腰を下ろし、吹き出している汗をぬぐう。
尼厳山頂から飯縄山(中央やや右)、高妻山(中央やや左)から戸隠連山を望む
尼厳山頂から飯縄山(中央やや右)、高妻山(中央やや左)から戸隠連山を望む
高度があるので当然だが、さきほどのテレビアンテナのあった場所以上に眺めがよい。正面に変わらず飯縄山が控え、その左背後には期待した通りに戸隠連山が姿を現している。表山より左右の山々のほうが存在感が強い。鋭角的な高妻山が空に向かって牙を剥き、西岳が表山を凌ぐ荒々しい稜線を見せつけている。飯縄の右手には黒姫妙高が重なり合う。湿度の高いこの日はよく見ないと妙高のドームが霞みがちだが、いったん認めてしまえば間違いようがない。北信五岳では背の低い斑尾山は平野部に立っているせいかここから見てもよく目立つ。得な場所にいる山だ。さらに右手に目をやれば、平野部の北のはずれに形よい山が浮かんでいる。高社山だ。二度登ったが、いずれもよく登ったなぁと思わせてくれたよい山だ。その手前には採石場が痛々しく目立つ低い山がある。小布施の背後に立つ雁田山だ。小布施からなら穏やかな斜面しか見えないが、ここからだと破壊されつつある姿が秩父の武甲山に重なる。
暑い暑いと言いながらも湯を湧かしてコーヒーを淹れ、何度も景色を見渡してはひたすら惚け、思いは脈絡なく展開する。千曲川が銀の帯になって眼下から北に延びる。その周囲はいまや建物ばかりで、耕作地はだいぶ減っている。ずいぶん前なら畑や田んぼが広がっていたのだろう。日本の食糧自給率はどうなっていくのだろうか、などなど。


長居をした尼厳山山頂を後に、奇妙山へと、登ってきたのとは反対側の斜面に続く踏み跡に入る。登り同様に急斜面で下りは気を使うが、さすがに高度差はなくすぐ鞍部に着く。もっとも、奇妙山との鞍部ではなくて、そのあいだにある笹ノ登という平たい山とのものだ。なので登り返し、ゆるやかに歩いてまた下る。右手に、あとで下る予定の岩沢登山口へと続く山道が分かれている。
鞍部を越えて尼厳山を振り返る
鞍部を越えて尼厳山を振り返る
高見岩から尼厳山を振り返る、背後は松代市街地から善光寺平
高見岩から尼厳山を望む、背後は松代市街地から善光寺平
尼厳山は自然林か、そうでなくても雑木林に覆われていて、たとえ蒸し暑くてもどことなく涼しげだったが、岩沢分岐からの奇妙山は斜度が緩やかなせいか杉の植林が目立つようになり、見渡す周囲がだいぶ暑苦しくなってくる。植林の下は雑木の刈り払いなど手入れされているようだが、なぜか風が通らない。山腹沿いのルートなので地形上本日は風が通りにくいのかもしれない。地図上はもう少し楽に歩けるのかと思っていたが、気分上は尼厳山でのジグザグ登りと労苦が大して変わりない。まっすぐ登っているが歩く傾斜は同じということかもしれない。
そんなことを考えつつ登っていくと、左手後方から農業大学からのルートを合わせる。そこには三抱えはありそうな大岩が立っていて、標識が下がって出会いの岩、と書いてある。この三叉路で昔々恋人が密会でもしたのだろうか。タンスのような形の岩はどことなくユーモラスであまり色っぽい感じがしない。単にルートが出会う場所にあることからの命名なら少々即物的な気がする。あとで調べてみたらダルマ石という名前もあるという。そうも見えるようなので、もっとよく眺めておくべきだった。
ここから稜線歩きになる。斜度もいったん落ちて楽な気分で行くと、標識があって、高見石というのが登山道右手上方にあると教えている。登ってみると、尼厳山山頂以上に迫力ある眺めだ。眼下には松代市街地が広がり、目前にはどうも火山にしか思えない(じっさい火山らしい)皆神山が量感たっぷりで、右手にはいましがたまでいた尼厳山が予想より遠く、しかし大きく孤高の姿を見せつける。奥行きに高さまで感じさせる眺望で、爽快この上なしだった。
奇妙山頂には仏教的な文言の彫られた岩がいくつもあった
奇妙山頂には仏教的な文言の彫られた岩がいくつもあった
山腹の道をたどってしばらくで、大きな岩がごろごろ立ち並ぶ奇妙山頂に到着する。見れば岩には仏教的な文言が刻まれており、信仰の山であることが窺われる。眺望は木々の一角が開けているくらいで、尼厳山が望める程度だ。ここはむしろ神秘的な気分に浸るのがよい場所のようだ。その意味では山名が体を表しているとも言えそうだ。だがこの日は不可思議な雰囲気以上に暑さと疲労とが全身を覆っていたので、大岩の一つに背をもたれかけてしばらく寝入ってしまった。特段、妙な夢を見ることもなかったので、ここの山の神は他郷の者による神域への進入を大目に見てくれたのだろう。


山頂から先は行き止まりなので、帰路は元来た道を戻った。高見岩を過ぎ、出会いの岩を過ぎ、岩沢登山口への道へと入る。途中からずいぶんと傷んだ簡易舗装路となり、これを登るのは気分のよいものではないだろうなと思っているうちに登山口に出た。
松代郊外の田園地帯から奇妙山を振り返り見上げる
松代郊外の田園地帯から奇妙山を振り返り見上げる
さて松代の中心市街地はまだだいぶ先だ。背後に奇妙山を振り返りつつ、四囲の田園地帯を眺めながら、だいたいの見当をつけて市街地へと向かった。道すがら遠目に寺社が見えるが寄り道する元気がない。松代の平地部の散策は別途改めて計画しようと思いつつ、朝降り立ったバス停へと歩を進めたのだった。
2012/09/09

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