湯ノ倉分岐から御室と雪渓
栗駒山(二)
イワカガミ平から東栗駒山を経て山頂に達した初日、昼に上がった山のガスは夕方になって再び舞い降りてきた。夕飯を終えて宿の玄関から外をうかがえば、静かで細い雨が間断なく降り注ぐまでとなり、夏とも思えない寒々しい眺めだ。本日水が流れる溝状の山道を泥だらけになって登ったわれわれ一行には明日の山行を躊躇させるに十分である。なぜなら翌日登ろうとしているのはほんものの沢の中を行くというコースで、増水していたら登るどころではないからだ。


当初の二日目の予定は、イワカガミ平から木々に覆われた山腹の山道を一時間ほど辿り、御沢という大きめな沢に出て岩伝いに遡上し山頂直下に出るというものだった。わたしは山頂まで行かず、その下で合流してくる湯ノ倉温泉からの道を下る予定としていた。
食事のあと鳩首協議は長引いた。やはり心配なのは見たこともない沢がどれほど水量を増やしているのかに尽きた。けっきょく、全体としては無理しないこととし、御沢に沿って登るルートをあきらめて最も安全かつ短い中央ルート経由で栗駒山に登り、須川温泉に出て帰ることになった。だが皆と違ってわたしはもう一泊する予定であるし、例によってとりあえず時間をみながら行けるところまで行き、だめなら引き返して代わりの無難なルートを取るという段取りに決めた。
代わりのルートというのは、山道のさらに下方、駒ノ湯まで車道を下り、そこの十字路を南西に歩いて世界谷地と呼ばれる湿原の近くに達し、ここから樹林のなかのコースにはいるというものだ。雨にともなう危険はまったくないはずだが、舗装道歩きが長く考えただけでも憂鬱になる。山上に拓かれた農地の眺めも悪くはないが、できれば山の中に一日浸りたいものだ。いずれにせよ明日の天気次第、布団に入り、夜明けを待つことにした。


朝の五時に起きてみると空はきれいに晴れている。これなら大丈夫なのではないか、少なくとも雨具の中で蒸される心配だけはなさそうだ。熟睡している仲間を置いて予定よりやや早く五時半に宿を出た。
御沢に向かう山腹の道
御沢に向かう山腹の道
宿から車道を少々下ると、登山口に着く。御沢コースとも表コースとも呼ばれるこのルートのメインは御沢の遡上なのだが、沢に出るまでの一時間強はだいたい平坦な道のりで、栗駒山の豊穣な植生のなかをゆく。ここは須川温泉やイワカガミ平から山頂往復しただけではわからないこの山の深さを味わえるところだろう。
しかし豊かさの証拠とはいえ、道ばたに不気味なキノコが多くて参る。しかも見たこともないような大きいのがそこここに澄まして生えている。二十センチを超えるような傘を傍若無人に広げていたりする。丈も高い。育ち盛りといった風情だ。ここまで大きいと愛嬌もなく気持ちが悪いだけで歩いていて気が抜けない。三メートルくらい通り過ぎてから思わず振り返ってしげしげと見てしまう。そんなことばかりしているためか、歩みはなかなかはかどらない。ザックを下ろすと草むらに隠れている菌類をつぶしてしまいそうで休む気にもなれず、六時過ぎから鳴き出したセミの声を聞きながら疲労に耐えて黙々と歩く。
左手の行く手には尾根が見えているが、その尾根とこちらとのあいだに御沢がある。最初は遠かった向かいの尾根が、だんだん近づいてくる。森の中だというのに、風が前方から吹いて来始めるのに気づく。開けた空間が近いということだ。こうしてようやく御沢に出る。まずは沢に沿って林のなかを歩いていくが、驚くのは出迎える水の色が鮮やかなオレンジ色をしていることだ。全体かこのあたりだけか、かなりの鉄分の強い土壌が分布しているらしい。
御沢間近の赤い水
御沢間近の赤い水
ようやく沢本体に出た。頭上が空に抜けていく。いままで閉塞した森林空間のなかだったのでとても気持ちがいい。上流方向からは涼しい風が吹いてきて身にまとわりついた森の湿度を払ってくれる。乾いた岩の上に腰を下ろし、ここで朝食とした。赤い沢床に目をやれば、水中に明るい緑の藻が漂っている。こんな水質なのによく生きていられるものだ。しかし海藻のように美味しそうな色合いと質感だ。食べられはしないだろうけど....などと考えているあいだに、五十代から六十代の男性ばかり五人組が森のなかから現れ、流れに沿って先行していった。
開けた御沢
開けた御沢 (奥:先行する五人パーティ)
沢は水量が多くて前進に難儀するかと心配していたが、水勢は大したことがなくまったくの取り越し苦労だった。沢幅はまずは広いものの流域はわずかで、大きな岩がごろごろとあって水をかぶることもなく問題はない。岩だらけの河原はときおりどこを歩いたらよいのかわからない場所もあるが、とにかく上流をめざせばいいんだとばかり適当に歩き、岩から岩へ跳ぶ。さきほどの五人の男性が休憩しているのを追い抜けばひとり未踏の地を行くに似た気分だ。合流する支沢がないのでルートを過つ心配はない。
とはいえ「本来歩くべき場所」というものはあるもので、赤布がその道筋を示している。これを外すと何が問題かといえば、「ああ渓流シューズがあれば」という状態になる。沢を何回か渡り返すのだが、渡るにしても効率的な場所はあるもので、進みすぎても手前でもよけいな労力がかかるようだ。こうして時間が経過していく。いっそのこと、弱くはないが深くもない水流のなかに踏み込んでいってざばざばと歩くことができれば、東北地方とはいえ盛夏の晴れ間、さぞ快適だろうにとは思うが、足下は登山靴。水をいれればたいへんなことになる。がまんして水面から顔を出している岩の上を跳んでは沢の右に左に見落としがちな踏み跡をたどる。


上がって行くにしたがい、谷間は狭まり、小さいながら滝の脇を乗り越すような登りも出てくる。ちょっと冒険的なルートだがひとりで問題を解決していくのが楽しい。あたりは木々が谷間の斜面から枝葉を優雅に伸ばしていて、ときおり吹き下ろしてくる風にゆったりと全身を揺らしている。生き生きとした水音が満ち、光があたりいちめんに回るなか、大岩の上に座り、対岸から落ちる細い流れなど眺めていると、思わず笑みがこぼれてくる。このころになると日常の嫌なことはすっかり忘れている。
小さな滝
小さな滝
沢自体は大きな滝もナメもゴルジュもなく、大半は岩がごろごろしているだけなので沢歩きをするひとからみれば凡渓というところだろう。しかし固い靴で山に登る身にしてはちょうどよかった。水の表情にはほどよく迫力がありながら、「このなかに落ちたらたいへんだ」という恐怖感をほとんど感じさせない。水音が這うように谷間に広がっている。静かな賑やかさ。
大日沢という沢を右手に分けると、谷がいっそう狭まり、岩も積み重なって、斜度も高くなる。空が小さくなってあたりが暗くなったかのようだ。じめじめとした巻き道で岩場を超える場所もいくつかある。ロープが設置されたところもあり、そのうちの一つで同年代くらいの夫婦連れが追いついてきた。二人とも荷物が小さく、バーナーとかは持っていないのだろう。快活な挨拶を残して軽々とロープの張られた斜面を上がっていく。その後ろ姿を見送っていると、頭上で雷鳴が聞こえ初め、ぽつぽつと降って来始める。明るさが減じたのは地形のせいばかりではなかったようだ。すぐ普通降りになってしまったので、仕方なく雨具の上下を着込んだ。
森の小道
森の小道
滝の脇を越えれば再び森のなかだ。静かな林の中の小道も歩かせてくれる。ふたたび沢筋に出ると、もはや水は流れておらず、壁のような幅広の土の斜面がのしかかってくるだけだ。「さてどこを登るのだろう?」といぶかりつつ溝のようになった部分を上がると、そこは稜線の下に広がるゆるやかな草原だった。
頭上に岩壁が帯のように広がっている。これが御室なのだろう。その下には少ないとはいえ横に広がった雪渓があって、あそこまでいけば涼しかろうが少々高い。左手前方の虚空蔵山に続く稜線はガスのなかに見え隠れし、ときにはまったく見えなくなる。これから下る湯ノ倉温泉への道はすぐそこから分岐していっている。雷は鳴るガスは出るでこれ以上登るのは面倒になり、雨も小降りになってきたので休憩を第一義に考えることにした。山道脇にテーブル状になった広い岩がある。これはちょうどいい、腰を下ろしてお茶を入れよう。


やかんに水を入れ、さて火を点けようかというところで頭上から誰かが呼ばわる声がする。ふたたび見上げれば雪渓の手前あたりにさきほどの元気な夫婦のかたわれが立ち、こちらに向かって合図しているのだった。ガスに覆われた残雪の上のほうで男性がうろうろしている姿がぼんやり見える。促されて女性が降りてきて、雪渓から稜線に登る取り付きを知っていたら教えてほしいと言う。こちらも知らないので推測を並べているうち世間話になってしまったところへ、一人でルートを探しているのに飽きたのか結局下りてきた男性と三人、地図を広げてああではないかこうではないかとしゃべりあう。
遠雷とガスのなかで御沢コースのことなど話し合っていると、さきほど追い抜いた五人パーティが到着した。夫婦連れはその五人のもとに行って同じことを質問していたが、どうもこの五人も初めて来たらしい。結局自力で登路を見つけたようで、五人組も追随していった。ガスの中では雪渓は道迷いを誘発するということがよくわかる一幕だった。
御室下、湯ノ倉分岐付近の草原
御室下、湯ノ倉分岐付近の草原
皆が去ってまた静かになったところで改めて湯を沸かし、紅茶を入れる。熱いものを飲みながらあたりを見渡せば、草原に覆われた波打つ地形のそこここに小さな花々が咲いている。ガスの動きにばかり気を取られていたが、ここはお花畑の真ん中なのだった。岩壁に雪渓にお花畑。小さいとはいえ栗駒山の隠れた楽園、御沢を登って達した身ではそう言ってもあながちおおげさでもない気がするのだった。


湯ノ倉への道は樹林の続く長い長い道だった。かなり歩いたな、というころに気がついてみると、あたりはブナの大木が静かに枝をさしのべている。そんなにひっそりとして、なんと控えめに現れることか。木偏に無と書かれ、役に立たない木と呼ばれたものたちは、いまや豊かな森の象徴であり、霧を呼ぶかのようなその幹の紋様はひとの心を吸い付ける。再び降り出した雨のなか、彼方の木々は白く煙って背景に溶け込んでいる。
こんな森であれば雨のなかを行くのもよいものだ。しかし叙情に浸ってばかりもいられない。登りと違って、こちら側での森の豊かさの象徴といったら、おそらく動物にたかる小さな虫がやたらと多いことだろう。顔の前でうわうわと飛び回る。雨が降っていればおとなしくしているのだが、すこし止むとどこから何につられるのかわんわんと出てくる。走って逃げてもどうもおいかけてくるらしいし、そうでなくても近くにいるやつらが襲ってくるようだ。うんざりしながらも面白いと思ったのは、肉食昆虫であるトンボが群れ飛んでいるところを走りすぎると、ほんの少しの間、いなくなったことだ。虫には虫の危険察知本能があるのだろう。
「変速十字路」の守り神
「変則十字路」の守り神
湿原である世界谷地に通じる道が合わさる変則十字路と呼ばれる地点は、やや開けた林間の休憩所、というところだった。ベンチがあり、四方に広い道が通っていて、都会の公園のような洗練された感触すら受ける。誰もいないことは気にならない。風もなく葉ずれの音もしないが、ゆるやかになった地形が安心感を与えてくれる。しかしここにも虫の追及は及ぶ。今回ほど防虫ネットを持ってくるべきだった山行はないだろう。あいかわらずさんざんたかられるばかりなので、休憩もそこそこにまた歩き出す。


ほんとうは世界谷地に行きたかったのだが、今回は時間もなく見送った。ただ湯ノ倉温泉への道を進むと拠水林の下にあるような沢が蛇行して流れており、これを見ただけでもよしとできる。道幅は細くなって急激に下り出すと、植林が出てくる。ここまで全て自然林だったのでなんだか新鮮だ。虫もいなくなる。農薬に守られた野菜のようなもの、そういうことだろう。
ふたたび自然林となってしばらくで林道に出た。ここから今夜の宿までは、思ったより長かった。イワカガミ平を出て十時間、ようやく着いた宿の出迎えと風呂が、ほんとうに心地よかった。
一軒宿の湯ノ倉温泉
一軒宿の湯ノ倉温泉
2002/08/03-05

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