真名井北稜から川苔山赤杭尾根入口付近から川苔山

山歩きも回数をこなしてくると、山頂に達すること以上に山頂までの過程の意味あいが高くなってくる。行程はほとんど登っているか下っているかで、山頂滞在時間が相対的に少ないことを考えれば当然のなりゆきだ。いったいこのルートはどうなっているのだろう、歩いて楽しいだろうか、どんな眺めが展開するのだろうか。
こういう心持ちで地図を眺めていると、おもだった山頂を踏んだつもりの地域であれば数え上げるのは登っていない山より歩いていないコースのほうが多くなる。そのコースもガイドが出ているものにとどまらず、歩けそうなところはないかと等高線の詰まり具合をチェックする。単独ではなかなか行けない沢歩きや岩登りはさておき、尾根筋のルートは遮る岩稜さえなければ進んでいけるだろう。とくに首都圏近郊の山々であれば同じように考えて尾根筋を行く人も多く、踏み跡が明瞭であることが多い。取り付きは仕事道かもしれないが、雑木林になっても続くのはハイカーが辿ってできあがったものに違いない。もしかしたら昔の峠道なのかもしれない。
奥多摩の川苔山は周辺の地形が複雑なのでいろいろなアプローチが考えられる。そのうちのひとつ、赤杭尾根の北にある真名井北稜を辿るというのは地図上に波線表示があるものの一般のガイドには記載がなく、まず間違いなく静かな山歩きが保証されることだろう。春めいて雪も融け出してきた季節に行ってみたところ見込みは当たった。静かどころか空虚感すら漂う場所もあった。


青梅線川井駅で電車を降り、少し離れたバス停の様子を窺ってみるとすでにハイカーが行列している。棒ノ折山の登山口である上日向に向かうのだろうが、そこは大丹波川と真名井沢とが合して真名井北稜を終端させる場所でもあり、本日の出発点と考えていたものだ。乗車時間が僅か10分とはいえ混雑したのに乗りたくはなかったので駅前でぐずぐずしてやり過ごし、誰も歩いていない舗装道を上がっていくことにした。斜度は緩やかで登っている気がしないほどであり疲れはしない。集落がほとんど途切れることなく続くのは平坦地がそこそこあり、青梅にも近いせいだろう。駅から40分ほどで真名井沢が左から流入してくるのでこれに沿う林道に入った。
右岸で植林を切り倒している場面に出会ったが、その対岸に高圧線鉄塔の巡回路入口があり、ここが真名井北稜への取り付き口と奥多摩山岳会編『奥多摩の尾根と沢』に案内されている。のっけからの急な登りだが、真名井沢の水音がチェーンソーに負けずに響いてくるのが心地よい。奥多摩渓谷調査団『奥多摩・大菩薩・高尾の谷123ルート』によるとこの真名井沢は初心者向けの人気のある沢だそうで、いつか入門がてら歩いてみたいものだと思う。
30分ほどで尾根に出る。「真名井沢北稜」と浮き彫りされた小さな木ぎれが細い幹に取り付けられているほかはこれといった人工物がない。いままでは植林のなかを上がってきたが、ここからはところどころが雑木林で、右手の都県界尾根、左手の赤杭尾根が梢越しに眺められるようになる。風が少しばかりある。沢音はもう聞こえない。雑木林があるのに鳥の鳴き声も聞こえないが、昼近くだからだろうか。
鉄塔の巡視路なので何度も高圧線鉄塔の脇や足下を通る。最初の鉄塔では左手の赤杭尾根が左右に展開し、右手には都県界尾根の黒山が近い。奥に優美な三角形の姿で堂々と控えているのは棒ノ折山だろう。900メートルにも満たないのにかなり大きく高く見える。朝のバスに乗っていた人々はいまごろあれに登っていることだろう。山頂はいまや野球ができそうだと言われる平地のようだが、ここからだとそうは見えなかった。いつかこれまた静かそうな長尾ノ丸と合わせて、人気のないころを見計らって様子見に再訪してみたいところだ。さらに20分も登ると次の鉄塔で、尾根筋を振り返ると高水三山がよく見えた。こちらも山中は賑やかなはずだが、真名井北稜にはその気配はまったく伝わってこない。
真名井北稜上から棒ノ折山
真名井北稜上から棒ノ折山
真名井北稜上から高水三山
高水三山
そこから5分少々で、南面がかなりの範囲で伐採されたところに出た。左手に屏風のような赤杭尾根がのっぺりとした姿を晒して多摩川側の眺めを遮断している。伐採はかなり前のことらしく、残っている切り株が黒ずんでいる。しかし切り株と切り株の間には茎が紫がかった灌木が部分的に生えているだけで、地面は砂漠のようにさらさらの土が覆っているだけだった。土壌が乾きすぎて植生が回復しないのではないだろうか。まさに山の上の砂漠のような場所だ。ここに至るまで、山道を登りだしてから1時間半ほどが経っていた。
大きく開けているものの目の前の尾根で視界を遮られているせいか、どことなく圧迫感もあり、あるべき木々が広範囲にないため空虚な気分さえ漂う。しかし日もあたって暖かく、これから先に休めるところがあるかどうかわからなかったので昼前だが食事休憩にすることにした。伐採された斜面に沿って山道を上がり、一番高いところで腰を下ろした。高水三山がさらに良く見える。その向かいには日の出山。これらの山々を同時に眺める機会があまりなかったので、奥多摩にあって奥多摩の山を眺めながら、奥多摩にはいないような妙な気がする。正午になってどこからともなくチャイムが聞こえてくると、真下で法面補強らしき工事をしていたショベルカーが動作を止めた。あちらも昼にしたらしいが、どう見ても一人で仕事をしているのに時間帯厳守とは律儀なことと思う。
稜線上の伐採地、背後は赤杭尾根、真名井沢ノ頭(右奥)
稜線上の伐採地、背後は赤杭尾根(左)、真名井沢ノ頭(右奥)
さきほど通ってきた伐採地脇の山道からは陽炎がしじゅう上がっている。空気は冷たいが日差しは暑いくらいで、これでは乾燥するわけだ。陽気に誘われたか、林の縁から鳥の声がし、何匹か虫も飛んでくる。遠い空にはいつのまにか飛行機雲が一筋伸びていた。そんなものを眺めていると、いつのまにか食後の紅茶が冷めてしまっていた。


長居をしたがハイカーは一人として来なかった。身仕舞いをして埃だらけの土地から立ち上がる。すぐ再び木々のなかに入るが、立木に「1,022m(記憶は定かでない)峰を巻く」と書かれたビニールテープが巻き付けられている。そこからかなり急な稜線を直接上がっていくものと、右手の斜面を巻いていく踏み跡とが分岐している。どことなく疲労感があったので右手にはいったが、やはり本来は尾根筋を丁寧にたどるべきだったようだ。山腹を巻くように付けられた山道は一部崩れているところもあり、北面なので雪が付いていたらやっかいだっただろう。巻き終えて出た先は別の小さな尾根筋で痩せた稜線上からは秩父側の眺めが広がる。ここから左手に痩せ尾根を登っていった。
真名井北稜は最終的に赤杭尾根に合流する。そこまでのあいだ、山道は木々の合間を縫ったり、かと思うと広い稜線をゆるやかに歩かせたりした。川苔山に近づくにつれて残雪が現れ、ところどころアイスバーンになっている。軽アイゼンを付けたり外したりしているうちに、時間の感覚が徐々になくなっていった。かなり長いこと歩いた気がするが、おそらく稜線歩きは1時間くらいだっただろう。
食事休憩した伐採地から1時間半ほどで、ようやく赤杭尾根に出た。川苔山山頂はここからさらに半時強かかったが、真名井北稜を辿った後では正直言って付け足しの感がぬぐえなかった。赤杭尾根に出たところでそのまま下山した方がすっきりした山歩きになったのではと思える。次に歩くときはそうしよう。15時近くになって着いた川苔山山頂には先行者が何人かおり、さらに登ってくるパーティもいて、さすが人気の山だと思うのだった。
川苔山山頂から大岳山(左)、御前山(右)、本仁田山(手前)
川苔山山頂から大岳山(左)、御前山(右)、本仁田山(手前)
2005/03/21

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue