林道を越えたところの観音沢

霧ヶ峰・観音沢を屏風岩まで

古いガイドブックに、観音沢こそは霧ヶ峰に出る最もすばらしいコースだとの記載があった。森林のなか、沢沿いの踏み跡を辿ってお花畑の草原に出る。いかにもすばらしい演出だ。それはぜひというわけで上諏訪に前泊して登りだしたのだが、途中で遭難一歩手前の事故を起こして事実上敗退した。大きな事故でなかったのが幸いというべきだろう。


前年にも訪れた下諏訪からタクシーで大平(おおだいら)という集落(の跡?)まで行く。運転手さんが教えてくれたところによれば、タクシーで走ったコースは御柱を引くコースだそうだ。秋宮用と春宮用と、八本引くそうで、台車などには乗せず、綱をかけてそのまま地面を引きずるのだそうだ。社に立っている柱が妙にすべすべなのはそのせいか。かの有名な「木落坂」はすぐ下にガードレールがあった。木落としの時はすべて一時撤去するそうだ。坂の高さは想像していたよりなかったが、それでも急傾斜だ。ここでも木にまたがったまま滑り降りるらしい。まさに命がけだ。
大平近辺の道は一車線しかない。なので見物客には入ってこないよう遠慮願っているらしい。確かにこんな狭い道に人が大勢立っていたら危なくて仕方ない。途中、民家が建つところで道が急カーブしているところがある。ここは昔から難所だそうだ。住んでいる人たちは7年ごとにどう感じるものなのだろうか。
終点の大平では美味い水が湧いている。かつては人が住み、バスが発着し、造林詰め所や地震研究所などがあったらしいが、いまではどれくらいの人が住み、通っているのだろう。詰め所も研究所も無人になって久しそうだったし、研究所奥の民家は薪が新しいものの、電気は来ていないように見えた。
大平、かつてのバスの待合い所。左に水場。
大平、かつてのバスの待合い所。左に水場。
旧「下諏訪微少地震観測施設」(と、思います)。
音といい勢いといい荒れ気味に見える観音沢をしっかりした橋で渡り、標識に従い高みに登る。右手奥に見えた建物は別宅風だったが、左手の草地が開けた下に見下ろす民家は一階表の壁が無く、サッシ窓の枠だけで支えているような状態だった。食料に困らなければ桃源郷のような場所に見えるが、今世に住むには不便すぎるということだろう。
水勢侮りがたき観音沢。
水勢侮りがたき観音沢。
遙か下を流れているというのに観音沢の水音は轟音といってよいくらいだ。鳥の声もかき消され、クマ除けの鐘の音も聞こえない。足下はそこここでぬかるみ、細い沢が幾筋か流れ下るのを渡り行きもする。水の多い山だ。人影はない。あるのは古びた標識だけだ。ふと、行き先が今や観光地の霧ヶ峰だということを忘れそうになる。
古い標識が残る
古い標識が残る
林道に出る
林道に出る
未舗装の林道に出た。これを渡り、苔むした岩をつたって再び山道に入る。今までは轟音ばかりで姿は遙か下だった観音沢が左手すぐそこに近づいてきている。大岩が重なる場所では雷撃のような水音が谷間に響き渡る。奥入瀬渓谷や日光の竜頭の滝が念頭に浮かぶ。観音沢は大きな滝はないものの迫力は十分だ。右手にコケに覆われた斜面が迫る。たぷたぷと一面幅広く流れ落ちてきている。千万変化の水の姿の競演だ。
正面にハングした岩壁が現れる。巨大な柱状節理だ。屏風岩である。ここで最初の橋を渡って右岸に出る。節理の右手は岩崩れが起きている。これを回避するため、登山道は沢を渡らせたようだ。対岸に眺める屏風岩は中段まで木々の葉が茂り、いくら仰ぎ見回してみても、注連縄がかかるという観音像のありかがわからない。沢の名の由来になったという像を拝んでおきたかったが、木の葉に邪魔されたか、ついに姿を見ることは叶わなかった。
林道を越えて最初の橋
林道を越えて最初の橋
さて先へと行くと、右岸に渡った踏み跡は深そうな急流のなかに消えていく。いったいどういうことだ。何度か行きつ戻りつを繰り返すうち、流れの中に目が留まる。なんということか、橋が流されてうち捨てられている。恐るべし観音沢。しかたない、流れの落ち着いた場所を選んで裸足で渡渉する。四歩かかった。四歩目は痛いくらいに足が冷えた。
いまだ凶暴な観音沢
いまだ凶暴な観音沢
屏風岩の下端
屏風岩の下端
次の橋は高いところにかかっていた。入り口は進入禁止のように木がクロスされていた。橋桁がひしゃげているからだろうか。下流側に付けられたロープを固定しようとしたためだろうか。ともあれ橋があるだけありがたい・・・だがこれを立ったまま歩いて渡ろうとしたのは完全な判断ミスだった。先ほどの渡渉で気が大きくなっていたのだろう。山中にあって初めて素足で水のなかに入ったことで、不相応に高揚していたのだった。
歪んだ橋
本日の観音沢はここで終了
最初の数歩は順調だった。まだ橋桁が水平だったからだろう。傾きだしたのを渡りだして、せいぜい二歩くらいか、視野がいきなり流れ、足が地についている感覚が喪失し、身体が宙に浮いたような、驚きとも困惑ともつかない感覚が沸き上がるのとほぼ同時に、右の胸部に衝撃を受けた。横滑りして胸を橋桁にたたきつけたのである。いまでは思い出せないが、上流側に両腕が出たので必死に橋桁にしがみついたようだ。下流側では両脚が宙を舞っている。しまった、とは思ったが、恐怖は感じず、その体勢のまま一息ついた。どちらかは忘れたが、片足を振り上げる。力というか決意が足りなさすぎて、当然ながら何にもひっかからない。さらに一息つく。今度は渾身の力で脚を振り上げ、橋桁に乗せる。そのままよじ上がり、上半身を立て、上流側に脚を一本下げて、座り込んだ。
いまのダメージで橋が崩れないとも限らなかったわけだが、そんなことはまるで念頭に浮かばず、しばらく動けないでいた。水面を眺める気もしなかった。そのうちようやく落ち着き、見下ろしてみる。わかっているが水勢は強い。大きな岩が見える。そうか幸運だったのかも。愚かさついでに記念写真まで撮るが、脚しか写らない。それから橋桁をまたいで座り込んだまま、腰を滑らせながら、渡り口に戻った。


地に足をつけて立つ。右胸が少々痛いが幸いに激痛というわけではなく、骨は大丈夫のようだ。ザックのサイドネットに入れていたものを含め、所持品はすべて無事だった。さてどうしようか。目の前には標識が立っていて、左は八島湿原、右は強清水、とある。八島湿原へと続く観音沢遡行はあきらめた。では強清水へかというと、観音沢を案内しているガイドにすらルートの記載がないので入る気がしない。まずは先ほどの林道まで戻ろう。
渡渉地点は渡渉せず、岩崩れの上をおそるおそる通ったが、岩が安定していない。何事もなく通過できたがとどのつまり結果論で、これも判断ミスとなりかねなかった。あらためて恐るべし観音沢である(というより自分が愚かなままなだけか)。かつてのガイドでは三段階評価で二段目だが、現時点ではガイドではなく参考記録扱いにしなければならないだろう。次来るときは渓流シューズとロープとヘルメットと防水バッグを持ってこよう(それもできれば水量の少なそうな季節に)。
さて林道に戻ってきた。本日のところは諦めて、タクシーを降りた大平に戻ろうか。しかし人里に戻るには林道歩きを延々としなければならない。同じ林道をたどるにしても八島湿原に出るほうが人間社会に戻る一番の近道のようだ。こうして結局のところ霧ヶ峰に上がることにした。未舗装林道が尽きて舗装された県道に出たところで、樅の木の森を示す看板を見る。このあたりは御柱を伐り出す森であり、将来にわたって木々を育てているらしい。ときおり車の通る車道を、山中にあってはいままでの記憶にないほど淡々と歩き、賑やかな八島口に出た。
御射山付近にて。
御射山付近にて。ここは観音沢の上流にあたる。
観光客の群れに混じって八島湿原の南縁を辿り、御射山に出て、観音沢上流を眺めた。激流というわけではないが幅はあってすでに勢いもある。傍らには標識が立っていて観音沢コースを案内しているが、ついうっかり入ってしまった場合、安全に下り続けられるのかどうか少々怪しいものだと思えて仕方なかった。
御射山からは幅広の道を沢渡へと向かった。古くから建つヒュッテを見送り、草原の道を抜けると賑やかな車山乗越で、車山は割愛して中央分水嶺コースを途中まで歩き、大門峠手前で車の往来の多い車道に出た。悪いことは重なるもので、バスの時刻に間に合わせようと急いで歩いていると、路側帯のわずかな舗装の段差に足を取られ、左足首をかなりひどく捻挫してしまった。外側に捻ったあげく前にも捻ったような、ずいぶんと複雑な躓き方をしたようで、ときおり痛む右胸に加え、足まで引きずりながら帰宅するハメになった。


後日のレントゲン写真撮影結果ではどこも折れていなかったが、胸どころか背中まで痛む(肋骨は背骨から一周している)。軟骨にでも障害が残っているのだろうか、一ヶ月半経ってもまだ痛む。右側を下にして寝ると圧迫されてとくに痛む。橋がしなってくれたおかげで衝撃をある程度吸収してくれたようだが、ほぼ身長分の落下距離があり、自分自身の体重に加えてザックの重さまで荷重を一気にかけられたのだから、タダではすまなかったらしい。足のほうは関節に加えて甲が腫れ、かかとの内側が内出血していた。腫れは三週間経ってようやくひいた。しかし胸同様に本稿記述時点でまだ完治していない。足の外側や甲は、伸ばそうとすると引きつれるような傷みが走る。
あのとき落ちていたらどうなっていたかは、だいぶ後になってから考え出した。最悪の場合は最悪の場合になっていただろう。冷静さをなくした状態(今回は初渡渉)で判断を要する状態(今回は渡るか否か、渡るにしてもどうやって渡るか)に遭遇すると、間違う確率が増大するようだ。捻挫はともかく、山歩きの経験年数と事故発生率とはあまり関係がない、ということを身をもって証明した山行だった(もしかしたら逆かもしれない、悪慣れしてくるという意味で)。
なお、観音沢の橋が危ない状態であることは帰宅後すぐに霧ヶ峰自然保護センターにメールで連絡したが(宛先不適当であれば適切な部署に回送願いたい、との但し書き付きで)、受信時に当方の迷惑メール振り分けにひっかかったのか、返事は手元にない。
2012/07/16

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