雪に覆われた殿平山頂殿平

中央本線初狩駅北方に高まる殿平(でんだいら)の山名はガイドマップにあって親しんでいたものの、「あれは山ではない、丘だ」とすら言われる山容は茫洋としていて、あまり登ろうという気が起こらないでいた。そのうちブルーガイドハイカー『中央沿線の山々』が出て、北にある鞍吾山とあわせて周遊すればなかなか歩き応えのある山行になることがわかり、本ガイドを片手にでかけていった。しかし幸か不幸か来てみると降雪直後でトレースもなく、殿平山頂は踏んだものの鞍吾山へのコースは難しいものに変貌していて時間不足となってしまい、鞍吾山までは行き着かずに往路を戻ったのだった。


高尾駅を出た中央本線の車窓に映るのは昨晩の雪で白い木々。いつもの低山の風情ではなく表情は厳しい。相模湖駅を過ぎて秋川山稜を見上げると稜線部は静止したガスが覆う。殿平は秋川山稜より少し高いので、おそらく今日の山は眺めがないだろう。しかし予報では天気は回復傾向にあるはずだ。崩れることはあるまい。それだけが安心材料である。
初狩駅には10時46分に着いた。朝まで降雪があったのと、到着が遅かったせいもあってか、下り列車を降りたのは地元のかたと思しき人々が5,6人。駅前をまっすぐ進み国道20号に出て左に曲がり、二つ目の信号を右に行く。ここは滝子山からの下りで何度か歩いたところだが逆に辿るのは初めてだ。右手前方に殿平に続く尾根の末端が平坦に見えているが殿平そのものは見えない。
コースは藤沢子(ふじさわねの)神社の裏を上がって山道に入るようだが神社がどこにあるのかよくわからず、路上で地図を広げて確認していると近くの家から人が出てこられたので尋ねてみる。すぐそこ、すぐそこ。見上げると、右手前方にそれらしいものがあった。
神社境内は雪に覆われ、足跡一つなかった。どうやら今日は誰も山登りに来ていないらしい。森閑とした中に立つ幹まわりが巨大な杉の古木が存在感十分だ。これを見上げつつ雪山支度をする。ヤッケを雨具のジャケットに替え、スパッツを着け、手袋に帽子を着用する。カメラを首から下げ、ストックを伸ばす。さて行こうか。


植林のなか、雪に覆われてまったくトレースのない山道を辿る。道を過たないように地面に目をこらしつつジグザグに上がっていき、尾根に出る。空模様は晴れる気遣いがない。雪に覆われていても平坦な道形はわからないでもないが、いつも以上の注意力が必要なので気疲れもする。アンテナ施設が出てくると高川山方面が開けた場所に出るが、かの好展望の山も頂上部はガスの中だった。
雪景色の高川山
雪景色の高川山
歩みを止めず進むと長い頂稜に出た。ここは殿平の一つ手前のピークにあたるらしい。今までは山道に被さるヤブもなく快適だったが、ここからはときおり枝が伸びている中を行くようになる。少し下ってやや登り返すと目の前のコブを左に巻くように続く。そこには殿平を示す小さな木ぎれの標識があり、よくみると上方を指し、コブへと登れと言っている。なるほど、雪がかぶさって山頂への踏み跡がわからなくなっているが、ここを上がっていけばよいわけだ。
*2012/11/18追記 今ではこの分岐には立派な標識が立っており、無雪期であればコブに上がる場所の階段も目にはいるので、間違えることはない。
急な取り付きを登ると道形が現れた。殿平山頂はすぐだった。一面の雪のなかに三角点が雪に埋もれもせず頭を出していた。まわりは雑木に覆われて展望はなく、大菩薩方面が樹林越しに透かし見える程度だった。小広く開けたところで、何よりも静かなので、休憩したくもあったが鞍吾山まで行くつもりの身としては時間の経過が気になる。けっきょく腰を下ろしもせずにそのまま進んだ。
下りは登りより道筋に不安をかき立てる。明瞭なように見えても気を抜かず、尾根筋を外さないように行く。痩せた尾根が目立つようになった。両側は雪の付いた急斜面だ。木々があるとはいえ落ちたらどうなるかと思えるのであまり谷側に足を置かないようにする。視界から植林が減って雑木林ばかりになっているのは嬉しいが、雪の重みで枝が山道上に垂れているのをストックで叩いて上げながら行くので時間がかかる。雪に隠されている木の根に脚をかけて横滑りしそうにもなる。岩場が出てくると、雪がなければ大したこともないだろうが、足場の確保に緊張もする。


前方に屏風のように立つ稜線が見えてきた。地図で確認すると鞍吾山のようだ。しかし遠い。目の前にあるピークが前衛峰にあたるのかと思って登ってみると、ただのコブだったというのを二度ばかり繰り返す。前衛峰を越えてから、鞍吾山の急な登りになるのだが、この状態では登りにかなり苦労しそうだ。しかも下りはこれまたかなりの急傾斜だという。鞍吾山まで行ったとしても往路を戻るのが賢明かもしれない。しかしそれには2時間近くかかる。
着雪した森の木々
着雪した森の木々
殿平から鞍吾山までは1時間20分ほどとガイドにあったが、その時間を費やしても鞍吾山本峰の登りにはかかれていなかった。先ほど少々日が差して、現在地確認だけはできるのだろうかと思っていたが、いつのまにかガスが降りてきて、鞍吾山本体が隠されてしまった。これでは下り口を間違えたら困ったことになる。ガイドの記事とは違って殿平から先もかなりのテープ類があってかなり心強かったが、それでもエスケープルートは進めば進むほどなくなっていく。ここらが潮時だろう、と、撤退を決意する。
急坂を下るのはたいへんだが、ルート取りは自分のトレースを追えばよいので気が楽だ。風が全くないので足跡が消える心配がないのが本日の良かった点である。殿平に戻ってみると、三角点の上に帽子のように乗っていた雪は半分ほど融けていた。気温は上がっているらしい。ここでシートを広げて食事とした。空腹でもあったので、おにぎりが旨かった。湯を沸かして紅茶を入れたが、あまりに寒いのでバーナーを弱火で空だきにしたものをかかえてときおり手をかざして暖めた。急な上り下りでは雪の付いた木の幹や雪の合間から露出した岩をクライミングよろしく掴んだりしていたので、フリース手袋が濡れてかなり冷たい。これを火にかざすと、手袋から湯気が出た。


ふたたび藤沢子神社に戻り、冬山装備を解除してヤッケ姿になる。境内の雪もかなり融けてきたようだ。集落のなかから眺める周囲の木々も、枝についた雪はかなり消えていた。初狩駅近くの交差点に来ると、腰の曲がったお婆さんと挨拶を交わした。山に行ってきたのかね、ええ雪だらけで誰もいませんでした、というと、このあたりは夏がいいよ、夏に来なさいといわれる。ええ、また来ます。
藤沢の大スギの奥に藤沢子神社本殿
藤沢の大スギの奥に藤沢子神社本殿
このスギの木は大月市下で「笹子峠の矢立のスギ」に次ぐ規模だとのこと(1998年時点)。
初狩駅前の小さな食堂で列車待ちに食事を頼む。できあがりを待っているあいだに地元の初老の男性が来てホッピーを飲み始める。お客さん、今日は山かい、と呼びかけれて、いろいろ話を聞く機会に恵まれた。このかたは周辺の山の山道を改修されており、倒木をチェーンソーで伐って通行しやすくされているという。チェーンソーについては歯が付け替え可能で、小さいのは25センチのものもあるという。倒木対策としては、まずは山を見回り、山道を塞いで伐った方がよいのを見定めてから、それにあう機械を籠に背負って上がるのだそうだ。しかし"木花"と呼ばれる木々への着雪があるときは、体力は消耗するし、危ないので、山仕事をしている身としても山には絶対に入らないようにしているのだそうだ。山で仕事をするかたの言葉として、興味深く聞かせてもらった。
2005/3/6

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