丁須の頭   裏妙義縦走路から望む丁須岩

上毛三山の一つに数えられる妙義山は中木川の谷を境に石門で有名な南側の表妙義山塊と山塊最高峰の谷急山(やきゅうやま)のある北側の裏妙義山塊とに分けられる。いずれも稜線に奇峰岩峰を連ねるが、単独の奇岩としてまず指を屈するのは裏妙義の丁須の頭(ちょうすのかしら)というピークから突き出している「丁須岩」だろう。表妙義にも大砲岩とかがあるが、丁須岩のほうが危うさを漂わせて印象深い。以前よりぜひ間近で見てみたいと思っていたものだが、なかなか行けないでいた。だが、いざ行くとなると、勢いがついてか好天の4月に一週間続けて二度も行ったのだった。


友人達とともに盛りの桜に囲まれた信越本線横川駅に集合したのが第一回目である。駅から車道を少々歩いて目の前の川を渡り、丸太で土留めした沢沿いの遊歩道を進んで尾根に取り付く登山道にかかるというところで、いきなり小さな滝の脇を鎖で登らさせられる。「なるほどさすが妙義だ、始まりから違う」とばかり先行き不安を覚えたが、行程のところどころに鎖場があるものの最初の2時間は単なる雑木林の低山という趣で、だんだん拍子抜けしてくる。だが稜線途中の御岳という眺めのよいピークからあとは岩稜の細かいアップダウンが続くようになり、両側に木々が生えているものの尾根も細くなってきて、「妙義の稜線を歩いている」という気持ちになるのだった。
御岳を越えて稜線に登り返す
御岳を越え、ルンゼの源頭を巻き、稜線に登り返す
御岳から1時間ほどで丁須の頭だが、ピーク直下の鎖に頼って登り着くのは丁須岩の肩にあたるところで、さらに岩の真下まで登ることができる。そこは定員4名くらいの四方絶壁の棚で、もちろん眺めはよいが、ザックを下ろすことはおろか座り込んだまま背後を見ることさえできない。目の前にある丁須岩には岩の上に登るための鎖が下がっているが、その半分くらいが宙に揺れているので腕力登りをしなくてはならない。登りはともかく下りは難儀しそうなので登らずにおき、肩の部分まで戻って表妙義やその奧の西上州を眺めつつお茶をいれる。
そこもまた絶壁のへりなので眺めはよい。裏妙義縦走路側に目をやれば、山稜に沿って赤岩と烏帽子岩の二大岩峰が重なるようにそびえ立っている。その果てに谷急山が間延びした「山」の形を見せているが、山塊最高峰とはいえ影が薄い。それもそのはず、周囲には個性豊かな相貌の山々がひしめきあっているのだ。なんといっても目の前の表妙義が圧巻である。稜線がオシログラフのように激しく上下し、低山であることを感じさせない。その中の一峰である星穴岳(ほしあなだけ)は形がまるで王冠のようだ。表妙義の右肩には鹿岳(かなだけ)の特徴ある岩峰が顔を覗かせている。さらに右手に目をやれば、荒船山(あらふねやま)がひときわ大きく見える。
静かに眺めに浸っては最近の山行のことなどつれづれに語り合ううちに、4月下旬の昼下がりにしては寒い風が吹き始め、あたりには自分たち以外にはもはや誰もいなくなっているのだった。熱いお茶で温まった体があまり冷えないうちに荷物をまとめ、来た道をやや戻るようにして下山路である籠沢(こもりざわ)のルートの開始点に出る。これは中木川沿いに建つ国民宿舎への最短路である。そこに今晩は泊まる予定だ。
最短路だけあってか傾斜がきつい。下り始めは足場のあまりよくない鎖場付き急降下だ。ここを過ぎて緩やかな流れの小さい沢が現れてほっとしていると、この沢が急速度で巨大化し、しまいには両側が滝になっている真ん中の大岩を鎖で下りたりとかする羽目になる。前日まで雨だったので沢の水量が多い。
いつしか谷間は両側から迫る岩壁のせいで狭まってきている。ふと見上げて見れば、左手の岩峰から意味不明のロープが下がっている。こんなところをクライミングした人がいるということだろうか。JRのコンテナ貨物くらいの大岩がごろごろしている中を、ごうごうという水音に囲まれながら岩づたいに渡渉したりロープで岩を下ったりする。岩が多すぎてときおりルートがわからなくもなる。黄色いペンキマークがところどころに付いているのだが、ものによってはかなり時間が経っているのか剥げかかっていて、よく見ないとそれとはわからない。
籠沢の核心部を下る
籠沢の核心部を下る
植林帯に出て土の上を歩くようになると、おとなしくなった流れを何度か渡ったすえに国民宿舎に着く。実際に歩いた時間は短いのだが、山頂を出発してからだいぶ長いこと経った気がする。自分らにとっては、それほど内容の濃い下山路だったということだろう。


その翌日、当初は裏妙義を縦走する予定だったのだが、団体行動するには風がかなり強かったので中止とし、峠となっている三方境を越える楽なルートを歩いただけで帰宅した。だが裏妙義の稜線を歩かなかったのはやはり癪だったので、その一週間後に単独で裏妙義を再訪した。そのとき縦走の起点にしたのが丁須の頭で、登路は先に下山路に選んだ籠沢を選んだ。あの緊張感溢れる眺めを再び、と期待してやってきたものの、水量の減ってしまっていた沢は一週間前ほどの迫力もなく、登りなので積み重なる岩の合間のルートをさほど見失うこともなく、あっけなく丁須の頭に着いてしまったのだった。
2000/4/22,4/30

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