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アルプスの山の娘
林芙美子 著

注 この「アルプスの山の娘」は昭和の文豪の一人といえる林芙美子により1950年11月(昭和25年)に発行されました。
 絵本向けに簡略化されていますが、内容は充実しており、ハイジのダイジェスト版として読むことができます。
 林芙美子は翌年の1951年6月に48歳の若さで亡くなり、現在では作品の著作権保護期間が終了しております。
 多くの人に読んでいただけることを目的とし、著者への感謝と敬意をもって掲載させていただきたいです。



 アルプスの山の娘


 

 1 赤いえりまき


 ことし五つになったハイジは、とてもかわいい娘(むすめ)でした。

 六月のある晴(は)れた朝(あさ)の、スイスのマイエンフェルトの村(むら)から、ほそい道(みち)が、あおあおとした牧場(まきば)をぬけて、はるかな、とおい山のいただきまで、うねうねとつづいていました。その道を、ハイジは、赤(あか)いえりまきをして、おばさんの、デーテにつれられて、ゆっくりのぼっていきました。

 デーテおばさんが、ハイジの、ありったけの着物(きもの)を、きせてくれたうえに、赤い毛糸(けいと)のえりまきまで、首(くび)にまきつけてくれましたので、ハイジは、あつくてたまりませんでした。しかも、山ぐつをはかせられているので、五つのハイジには、足(あし)もおもくて、歩(ある)くのがやっとの思(おも)いです。

 途中(とちゅう)、村のおかみさんと、道づれになりました。おかみさんは、ハイジが、デーテおばさんの、なくなった姉(ねえ)さんの、娘(むすめ)だということをよく知っていました。おかみさんは、

「あら、ハイジちゃん、どこへいくのよ?」と、たずねました。

「アルムおじいさんのところよ。ハイジを、おじいさんにあずかってもらうんですわ」

「まあ、アルムおじいさんにだって! アルムおじいさんが、ハイジちゃんを、引きとってくれるかしら……」

「ええ、でも、アルムおじいさんは、ハイジには、たったひとりのおじいさんですからね」

「それは、かわいそうよ。山の上で、アルムおじいさんが、どんなくらしをしているか、だれも知っちゃいないんですからね。人ともつきあわないし、だいいち、教会(きょうかい)にもこないじゃないの。たまに山からおりてくると、みんなこわがって、にげだしてしまうひとじゃありませんか」

「でも、あのひとは、ハイジの血をわけたおじいさんですもの。お姉さんが死んでから、きょうまで、私(わたくし)がそだててきたんだけど、私にもいい奉公口(ほうこうぐち)が見つかりましたからね。ハイジを育てるために、いい奉公口を取りにがしたくないんです。おじいさんが、ハイジを見るのは、あたりまえなんですものね」

 アルムおじいさんは、昔は、ふもとの村でも、ゆびおりの地主(じぬし)でしたが、お酒と賭(か)けごとがすきで、ありったけのものをなくしてしまいました。そして、ながいこと、村をはなれて、一時(いちじ)は兵隊(へいたい)になったりしていました。

 十五、六年(じゅうごろくねん)もたって、わかい息子(むすこ)をつれて、村へひょっこり戻ってきましたが、村では、だれも、いい顔をして、アルムをむかえるものもありませんでした。

 アルムは、息子のトビアスを大工(だいく)に弟子(でし)入りさせました。やがて、年季(ねんき)があけて、一人前(いちにんまえ)の大工になったトビアスは、デーテの姉の、アデライデと結婚して、まもなく、ハイジが生まれたのです。

 でも、ハイジが生まれて、二年ぐらいして、おとうさんのトビアスは、ある日、仕事場(しごとば)で、運悪(うんわる)く、大きな梁(はり)の下敷(したじ)きになってなくなりました。おかあさんのアデライデも、トビアスのむごたらしいなくなりかたを見て、気をうしない、半年(はんとし)もたたないうちに、おとうさんのトビアスのあとをおって、なくなりました。

 ハイジはいちどきに両親(りょうしん)をなくして、不幸(ふこう)な子どもになりましたが、村の人たちは、これというのも、おじいさんのアルムがすこしも神さまをおがまないばちがあたったのだと、うわさをしました。アルムおじいさんは、とてもおこりっぼくなってしまって、とうとうひとりで、山のなかに登(のぼ)っていったきり、二度(にど)と村へは戻(もど)ってきませんでした。



 2 山の小屋


 やっと、デーテおばさんと、ハイジは、アルムおじいさんの山の小屋に、たどりつくことができました。

 デーテおばさんが、ハイジをつれてきたお話をすると、アルムおじいさんは、とてもおこってしまいました。

「でも、私は奉公(ほうこう)にでるんですから、これからハイジを、みることはできません。おじいさんにかえしにきたんですわ。ハイジをそだてるために、私もずいぶん苦労(くろう)をしましたから、こんどこそは、おじいさんが引きとってください」

 そういって、デーテは、さっさと、ハイジをおいて、山をおりました。アルムおじいさんは、デーテのうしろからどなりました。

「いっちまえッ、二度と、顔をみせてくれるなよッ」

 デーテは、耳をふさいで、いそいであるきました。ハイジは、くたびれてはいましたが、めずらしそうにあたりを見ていました。

 小屋(こや)は、つきでた岩の上に立っているので、ふもとの村や谷のなかも、はるかに、ひと目でみわたされました。小屋のうしろには、大きいもみの木が三本、山の風にごう、ごう、ごうとなっていました。

 ハイジが、よちよちと、小屋のまわりをまわって、入り口のところへ戻ってみますと、おじいさんは、入り口のいすに腰をかけたまま、たばこをふかしていました。ハイジは、両の手を背中でくみあわせて、おじいさんの前にたって、めずらしそうに、こわい顔をしている、おじいさんのようすを見つめていました。

「なにか、ほしいものでも、あるのかい?」おじいさんが、むっつりとたずねました。

「おじいさんの、お家のなかが、私は、みたいのよ」ハイジが、にっこりして、いいました。

「よし、見せてやろう…」おじいさんのうしろから、ハイジは、とことこはいっていきました。

 小屋のなかは、あんがい、きれいで、広くて、きちんとかたずいています。

「ねえ、おじいさん。私は、どこへ寝(ね)たらいいの?」

「どこでも、かってなところへ、寝るがいいよ」ハイジは、おじいさんのうしろに、ほそいはしごのあるのを見て、そこへ、そっとのぼってみました。すると、いいにおいのする枯草(かれくさ)が、つんであって、たった一つあいている、まるい窓(まど)からは、下界(げかい)のうつくしい谷谷(たにだに)が見えました。ハイジは、そこへいって、ふかふかした草にうもれました。そして、窓ぶちにつかまり、じいっと谷のほうを見ていると、とてもいい気もちです。ハイジは、早く、夜がくるといいと思ったくらいです。

 やがて、おじいさんは、食事(しょくじ)の支度(したく)をしてくれました、大きなパンと、こんがりやけたチーズと、やぎのお乳のごちそうは、とてもおいしくて、ほっペたがおちそうでした。

 夕方になりました。ハイジが、小屋の外にたっていると、やぎ飼(かい)のぺーテルが、やぎの群(むれ)をつれて、山の上からおりてきました。ぺーテルは、夏のあいだ、毎日(まいにち)村の家家から、やぎをあずかって、山の上のほうへ、草をたべさせにつれていくのです。このペーテルのやぎのなかには、おじいさんのやぎも、二ひきあずけてありました。白いのが白鳥(はくちょう)、とび色のが小ぐまという名まえがついていました。

 白鳥と小ぐまをおくと、ぺーテルは、ほかのやぎをつれて、ふもとの村へおりていきました。

 日がまだくれてしまわないうちに、おじいさんもハイジも寝床にはいりました。毎朝、日の出といっしょにおきることにしているのですが、山の上の日の出は、夏の内はひどく早かったのです。夜中になると風はとても強くふいて、三本のもみの木は、ざあざあと、ものすごくなっていました。

「あいつ、こわがっていやしないかな」アルムおじいさんが、ハイジの寝床を見にいきますと、ハイジはたのしい夢(ゆめ)でも見ているのか、山歩きをしたつかれで、ぐっすりねむっていました。月の光りがさしていて、幸福そうなハイジの明るい顔は、おじいさんには、こうごうしく見えました。



 3 やぎ飼い


 あくる朝です。

 ぺーテルの、とてもすんだ口笛(くちぶえ)で、ハイジは目をさましました。

 窓(まど)からさす、太陽(たいよう)の光りのなかに、枯草(かれくさ)も、壁(かべ)も、金色(きんいろ)にかがやいてみえました。

「ハイジ!」

「はあい……」

「おまえも、やぎといっしょに、山へあそびにいくかい?」おじいさんは、ばかに上きげんでハイジにたずねました。ハイジは、うれしくて、おじいさんの胸に飛びついていきました。

 ハイジが顔を洗っているあいだに、おじいさんは、ぺーテルとハイジの分を、ふたりまえ、お弁当をつくって、ぺーテルにもたせて、いってきかせました。

「おわんをいれておいたからな、弁当を食べる時には、ハイジに、乳をしぼってやっておくれよ。やぎの乳から、じかに飲ましちゃいけない。岩からおちないように、よく気をつけてやるんだぞ」ハイジは、大よろこびで、ぺーテルのうしろからついていきました。

 道には、高山(こうざん)の花が、いっぱい咲(さ)いているので、ハイジは、どの花もほしくて仕方(しかた)がありません。やぎはやぎで、かってに歩きまわるので、両方(りょうほう)の番(ばん)をしなければならないぺーテルは大骨折(おおほねお)りでした。

 道をのぼるにつれて、ひろい藪(やぶ)になり、ところどころ大きいもみの木がうっそうとしげっています。ぺーテルは、毎日、ここでやぎを、自由(じゆう)にあそばせるのです。谷は、朝日にあらわれて、とおくのほうまで、うねうねとつづいていました。目のまえには、青い空にかさなるような、ひろびろとした雪(ゆき)の野原(のはら)がひろがり、むこうには、高い峰峰(みねみね)が、そばだっています。

 とてもしずかな景色(けしき)です。

 ふっと、けたたましいさけび声がしたので、なんだろうと、ふりかえると、まだみたこともない、大きい鳥が、空をゆるく舞(ま)いながら鳴(な)いていました。

 ペーテルが口笛をふくと、やぎたちは、みんなぺーテルとハイジのそばによってきました。たくさんのやぎにはどれもに特長(とくちょう)があって、なんだかどれもこれも人間(にんげん)のようでした。ハイジは一ぴきずつのやぎに、人間にするような、あいさつをしてやりました。ペーテルはお弁当(べんとう)をだして、大きいほうをハイジに、小さいほうを自分のまえにならべて、もってきたおわんをだして、やぎの白鳥からおいしいお乳をたっぷりしぼって、ハイジをよびました。ハイジは、パンを二つにわけて、それに大きいチーズをつけて、ペーテルにあたえました。

「これをたべてちょうだい、私にはとてもたべきれないわ」

 ぺーテルはびっくりしました。だって、いままで、だれひとりこんなやさしいことをいってくれた人はないからです。ぺーテルはやぎかいになって、はじめてといっていいくらい、腹(はら)いっぱいお弁当をたべることができました。ぺーテルは、かわいいハイジに、自分のつれているやぎの名を一ぴきずつおしえてやりました。角の大きいのはトルコ人。このトルコ人は、いつだって仲間(なかま)につっかかっていくので、トルコ人がくると、ほかのやぎはにげだします。ところが、チビというやぎは、小がらなくせに、とてもゆうかんで、トルコ人にまけてはいません。なんども、むかっていって、トルコ人をおどろかせています。

 まっ白いユキというやぎは、このあいだ、おかあさんやぎをうられてしまったので、なんとなくさびしそうです。どのやぎもよくみていると、それぞれかわっていて、ハイジにはすぐ、やぎたちの名まえをおぼえることができました。

 夕がたになりました。

 太陽は山のうしろにしずみかけました。山の牧場の草も木も、四囲(しい)にみえる山山までが、きゅうに金色(きんいろ)に包(つつ)まれてきましたので、ハイジは驚(おどろ)いてさけびました。

「ぺーテル、ぺーテル! まあ、火事(かじ)になったんじゃないこと? お山がみんなもえてるわ。岩が火のようね。雪の原(はら)っばに火がながれてるわ、山じゅうが火事よッ」

「山の上は、いつだって、こうなんだよ」ぺーテルは落ちつきはらって、明日(あした)もまた夕がたになれば、山は赤くもえるのだと話してくれました。ハイジの顔も、ペーテルの顔もまっかです。気持(きもち)のいいすずしい風が、かえり道にふきながれていました。

 山小屋へやっとかえりつくと、おじいさんは、もみの木のしたにこしをかけて、ふたりのかえるのをまっていました。ハイジは、おじいさんの首ったまにとびついていきました。そのハイジのあとから、白いやぎととび色のやぎが、のろのろとれつをはなれてついていきます。二ひきのやぎは、ちゃんと主人(しゅじん)をわすれないでおぼえているのです。

「ハイジ、おやすみ、またあした、いっしょにね」そういってペーテルはふもとのほうへ、やぎたちをつれておりていきました。

「ねえ、おじいさん、お山はとてもきれいでしたよ。岩のお山が火のようにまっかだったり、道がバラ色になったりしたの。それから青や黄いろのお花が、たくさんさいていたのよ。私はおじいさんに、お花をいっぱい、おみやげにもってきましたわ」ハイジはそういつて、まえかけのなかから、おじいさんのひざに花をこぼしました。だけど、花は、みんなしぼんでいて、色もにおいもなくなっていたので、ハイジはがっかりしてしまいました。するとおじいさんは「花は太陽のなかにさいているのがすきなんだ。まえかけのなかにとじこめられるのはいやなんだよ」といいました。

「じゃあ、もう、お花をつんだりしないわ。あのね、おじいさん、お山の鳥は、どうして、あんなによくないているんでしょうね?」

「そうだね、鳥はね、よけいなおしゃべりをしたり、人の悪口をいったりするのは、よしなさいよと、ふもとの人たちにいってるんだよ。私たちみたいに、高いところに住んでいると、人間より、とてもゆかいですよ、といってるんだろうね」

「それじゃあ、あの山の牧場(まきば)や、お山が、きゅうに火事(かじ)みたいにまっかになるのは、どうしてでしょうね?」

「それは、お日さまが、さよならをしているんだよ。またあしたきてあげますよと、やくそくしているんだよ……」



 4 小さい仲間


 ハイジはこうして、毎日、毎日、ぺーテルややぎたちと、山の牧場にのぼっていきました、きらきらかがやく太陽にてらされるので、ハイジはひにやけて、すっかり丈夫(じょうぶ)な子どもになりました。

 たのしい夏(なつ)はおわりました。いつのまにか、秋(あき)がやってきました。風のつよい日がくると、おじいさんはもうします。

「ハイジ、きょうは、小屋にいるんだよ。ハイジは小さいから、風にふきとばされて、谷へおっこちてしまうよ」

 こんな日には、ぺーテルは、とてもさびしくてつまりませんでした。ハイジがいかないと、おいしいお弁当ももらえません。それにもっとこまるのは、ハイジになれたやぎたちが、とてもさびしがって、きげんがわるくなることです。

 でも、ハイジは、小屋にいるときは、自分で、またおもしろいことをみつけてあそびました。

 おじいさんが、大工仕事(だいくしごと)をするのもおもしろいし、大なべをかきまわして、チーズをつくる手つだいをするのもたのしみでした。

 しぜんにさむい冬(ふゆ)が山へおとずれてきました。ぺーテルが、かじかんだ手をはあはあといきでふきながら小屋へくるようになったとおもったら、いつのまにか、大雪がふりつづくようになり、ぺーテルもやぎも山へこられなくなりました。やっと、雪のやんだある日のことです。ぺーテルがハイジにお別れをいいにやってきました。冬のあいだ学校(がっこう)へいくのだそうです。ハイジは学校をしらなかったので、ぺーテルに学校のことをたずねましたが、ぺーテルは、学校があまりすきではなかったので、おもうような返事(へんじ)もできませんでした。

 ぺーテルはかえるとき、「うちの、おばあさんや、おかあさんが、ハイジにあいたがっているから、いちど、ぜひあそびにきてくれるようにとたのまれたんだよ」といいました。

 ハイジはいちどもよその家へいったことがありませんので、ぺーテルにいわれたことがうれしくて、そのことばかり考えていました。そして、さっそく、おじいさんに、「ぺーテルのおうちで、私をまっているでしょうね」といいました。おじいさんは、まだ、雪がふかいから、山をおりるのはいけないというのです。

 四五日たつと、ひろい雪の野原(のはら)は、氷(こおり)のようにかたくなり、歩くと、こつこつ音(おと)がするようになり、天気(てんき)ははれわたってきました。

「ねえ、おじいさん、きょうはいってもいいでしょう? ぺーテルの家(うち)の人たちを、あんまりまたせてはいけないと思うんですもの」

 ハイジがねだりますと、おじいさんはしかたなく、やぎ小屋の奥からそりをだしてきて、おじいさんがのりこんで、ひざの上にハイジをだいて、すっかりもうふでハイジを寒くないようにつつんでくれました。

 白い山の斜面(しゃめん)をすべっていると、ハイジは鳥になったような気がして、とてもうれしかったのです。

 ぺーテルの小屋までは、ひとすべりです。おじいさんは、ハイジをそりからおろして、「夕がたにはむかえにくるからね」といって、かえっていきました。

 ハイジがぺーテルの小屋の入り口にたっているのをみて、ぺーテルのおかあさんはびっくりしてしまいました。

 ぺーテルのおばあさんは目が見えなかったので、ペーテルのおかあさんがハイジのきたことをはなしてやりました。

「ハイジはおかあさんのアデライデそっくりですよ、おばあさん。目のくろいところや、かみのちぢれているのは、ハイジのおじいさんにそっくりだわ」

 ハイジは部屋を見まわしていました。この寒さなのに、あま戸(ど)は一枚(まい)、とれかけていたし、ガラスもこわれてしまって、ひどい家のなかです。ハイジのおじいさんだったら、わけなく修繕(しゅうぜん)してくれるにちがいありません。それからハイジは、毎日、おじいさんと、ぺーテルの家ヘいくようになりましたが、おじいさんは、ハイジにたのまれて、板ぎれだのくぎだのをもっていって、こわれかけたぺーテルの家をしゅうぜんしてやりました。なぜかおじいさんは、けっして、ぺーテルの家の人たちに口もききません。風がふくと、きいきい鳴(な)ったペーテルの家は、ハイジのおじいさんのおかげで、もう風がふいても、鳴らなくなりました。



 5 たのしい学校


 ハイジが、八つになった春(はる)のことです。冬のあいだは、やぎかいをやすんで、ふもとの学校にかよっていたペーテルが、ある日、山の小屋のハイジのところへきて、校長先生(こうちょうせんせい)から、ハイジを学校にあげるようにいわれたと、ことづけをもってきました。

 おじいさんは、ハイジを学校にはださないよと、返事(へんじ)をしました、すると、つぎの日には、わざわざ村の牧師(ぼくし)さんが、ハイジの小屋に登(のぼ)ってきて、ぜひとも、ハイジを学校にあげるようにとすすめにいらっしゃいました。

「いや、ごしんせつはありがたいのですが、寒いうちを、学校にやると、ハイジはきっと病気(びょうき)になるのでね。それに、わしはもう、里(さと)へおりていって、住(す)む気(き)もないから、こりゃあ、はっきりおことわりしますよ」と、おじいさんは、ハイジの学校行きをことわってしまいました。

 すると、ある日、またおもいがけない入がたずねてきました。三年まえにハイジを、山小屋へつれてきた、デーテおばさんです。

 デーテおばさんは、あれから一日だって、ハイジをわすれたことがなく、なんとかして、山からつれもどして、学校へあげてやりたいとおもっていました。ハイジのために、とてもいい話(はなし)があったからです。それは、おばさんが奉公(ほうこう)をしている家の親類(しんるい)に、ひとりっ子のおじょうさんがあって、そのおじょうさんのお話(はなし)相手(あいて)に、気だてのいい女の子をさがしていましたから。デーテおばさんは、さっそく、ハイジのことをはなしてみました。すると、むこうでも、すぐハイジをつれてくるようにとの返事(へんじ)でした。

「ね、だから、ハイジのために、とても幸福(こうふく)なおはなしなんですよ。こんな運(うん)のいいことはめったにあるものじゃありません。きょうこれから、私はハイジをつれていきますわ」

 おじいさんにはひとこともいわせないで、デーテおばさんは、ハイジにフランクフルトゆきのしたくをさせました、ハイジは、きょうじゅうには、山へもどれるようなつもりで、デーテおばさんについていくことにしました。



 6 さびしいおじょうさん


 フランクフルトの町(まち)にある、立派(りっぱ)なおやしきの中にすんでいるクララというおじょうさんは、いつも、車輪(しゃりん)つきの寝台(しんだい)に寝(ね)たきりでいました。クララは病気(びょうき)なのです。

 クララは、おかあさまをとっくになくして、おとうさまのヘル・ゼーゼマンとくらしていました。でも、おとうさまは、お仕事(しごと)で、いつも旅行(りょこう)がちでしたので、家政婦(かせいふ)のロッテンマイアをあいてにくらしていました。

 クララは親類(しんるい)の女中(じょちゅう)のデーテのつれてくるという、ハイジという女の子を、毎日毎日(まいにちまいにち)たのしみにまっていました。

 そうしたある日、デーテは、ハイジとふたりでりっばなおやしきの門(もん)へつきました。おりよく、門からでてきた馬車(ばしゃ)のぎょしゃに、ロッテンマイアさまにおめにかかりたいと、デーテおばさんがもうしますと、

「わしはとりつぎじゃないよ。ベルをならして、セバスチャンをよびなさい」と、ぎょしゃはいって、むこうへいきます。ベルをおすと、セバスチャンがでてきましたが、デーテの用件(ようけん)をきくと、

「それは私のかかりじゃないよ。もうひとつのベルをおして、女中のチネットをよびなさい」と、そのままひっこんでしまいました。

 デーテが、またベルをならすと、白いずきんをかぶったチネットが、人をばかにしたような顔をだして、「なにかようなの?」と、ぷりぷりしてききました。デーテおばさんが、家政婦(かせいふ)さんにおめにかかりたいというと、ひっこんで、すぐまた入り口へあらわれました。

「おはいりなさい。まっておいでだわ」

 ふたりが女中のあとから、りっぱな階段(かいだん)をのぼっていくと、やっと、おじょうさんのおへやへとおることができました。家政婦(かせいふ)のロッテンマイアは、ハイジをひとめみるなり、不服(ふふく)そうな顔(かお)をしました。ハイジが、あまり田舎(いなか)くさいむすめで、しかも、十二におなりになるクララおじょうさんのおあいてにしては、すこし小さすぎるとおもいました。

 しかも、ハイジは、八つにもなっているのに、本をよむことも、字をかくこともしりません。家政婦はとても不服(ふふく)でした。

 デーテは、こまってしまいましたが、クララは、ハイジが気(き)にいったようです。



 7 おともだち


 だれもいなくなったお部屋(へや)です。

 クララがいいました。

「ここへいらっしゃい」とてもクララの声(こえ)はやさしくすんでいました。

「あなたは、フランクフルトヘきたかったのね?」と、大きな目をして、クララがハイジにたずねました。

「いいえ。私は、あした、アルプスの山へかえるのです」

「まあ、おかしな子ね…」クララはそれをきいて笑(わら)いながらいいました。

「あなたはここにいて、私と一しょに勉強するためにきたんじゃありませんか? なにもおそわったことがないのなら、かえっておもしろいじゃないの。私はとても退屈(たいくつ)なのよ。先生(せんせい)は毎日(まいにち)十時(じ)にいらして、十二時(じ)まで勉強(べんきょう)するのよ。先生はときどきご本を、近眼(きんがん)の人みたいに顔(かお)にくっつけるの。そのときは、きっと、あくびをしているのね。ロッテンマイアもそうなの。大きいハンカチをだして読(よ)んでる本に悲(かな)しくなって、ないてるふりをするけど、これもやっばりあくびなのよ。私もあくびしたくて、じいっとがまんしてるんだわ。でも、私があくびするとね、ロッテンマイアは、大いそぎで私に肝油(かんゆ)をのませるのよ。私が、どこかわるいとおもってるのね。私、肝油(かんゆ)って大きらい!」

 ハイジは、自分も一しょに、よみかきをおそわるのだとおもって、青くなってしまいました。おまけに、ロッテンマイアから、朝(あさ)から晩(ばん)までの、めんどうなお作法(さほう)をいいきかされるときいて、がっかりしてしまいました。

 つぎの朝(あさ)、目がさめると、ハイジは、窓(まど)のところにとんでゆきました。空と山がみたかったからです。こんなおもい窓(まど)かけの中にいると、鳥かごの中にいるようでした。

 山はみえなくて、よその家の壁(かべ)や窓(まど)ばかりです。

 朝のごはんもどうやらぶじにすんで、十時ごろ、先生がいらっしゃいました。ハイジは生まれてはじめて勉強というものは、どんなものかをしる日です。

 ハイジは先生がはいっていらっしゃると、なにをおもったのか、がちゃんと音(おと)をさせて、へやをでてゆきました。クララはあわてて召使いをよびました。ロッテンマイアがかけつけてみると、まあ、どうでしょう。床(ゆか)には、本や、お帳面(ちょうめん)や、インキつぼがとびちって、床(ゆう)にインキがこぼれていました。

「まあ、あの子のしわざでございますね」

「そうよ」クララがおかしそうにいいました。

「でも、ハイジに罪(つみ)はないわ。ハイジはおもてをきれいな馬車(ばしゃ)がとおったので、それをみようとして、とびあがったはずみに、ご本がおちたんですもの」

「いいえ、きっと、あの子は、にげてゆくつもりだったんでございましょうよ」ロッテンマイアが、おもてのほうに見にゆきますと、ハイジは門(もん)のまえにたって、おもしろそうに往来(おうらい)をながめていました。

「ハイジ! なにをしているんです。そんなところで」

「私ね、もみの木がごおってなるような音(おと)がしたから、大いそぎででてみたんですけど、なにも見えないわ」ハイジはがっかりした顔(かお)でいいました。馬車(ばしゃ)の音(おと)が、風にふかれるもみの木の音のようにきこえたのでしょう。

 おへやにもどったハイジは、じぶんのしくじりをみてびっくりしました。ちっともしらないでやったことだったのですが、ハイジは、勉強(べんきょう)の時間(じかん)には、じいっと、おとなしくしていなければならないと、注意(ちゅうい)されました。

 クララは、午後(ごご)になると、お昼寝(ひるね)をすることになっていたので、その時間(じかん)には、ハイジには、なにもようじがありません。ハイジはたいくつだったので、下男(げなん)のセバスチャンにたのんで、ろうかの大きい窓をあけてもらいました。ふしぎなことには、このまどからみえるのも、やっぱり家ばかりでした。ハイジは、どこへいったらうつくしい山がみえるのだろうとおもいました。がっかりしているハイジをみて、下男のセバスチャンがいいました。

「教会(きょうかい)の塔(とう)にでも登(のぼ)らなければ、山はみえないね。ずっとむこうに、黄金(こがね)のまりのような屋根(やね)がみえるだろう? あすこならみえるかもしれないね」

 それをきくと、ハイジは、おもてへかけだしてゆき、その黄金(こがね)のまりの屋根(やね)のほうへあるきましたが、あんなにちかくみえた塔(とう)が、とてもとおいのです。

 ちようど、とちゅうでであった、手風琴(てふうきん)ひきの子どもに道(みち)をききました。すると、その子どもは、おだちんをくれるならおしえてもいいよといいました。

「私、おかねなんてもっていないわ。でも、クララおじょうさんがもっているからもらってあげるわ」と、ハイジがいいますと、手風琴(てふうきん)ひきの子どもはハイジを高(たか)い塔(とう)のある教会(きょうかい)のまえにつれていってくれました。

 ハイジは、教会(きょうかい)の番人(ばんにん)のおじいさんにたのんで、やっと塔(とう)にのぼらせてもらいましたが、ここでもみえるのは、家の屋根(やね)と、えんとつばかりでした。あんなに、みたいみたいとおもっていた、みどりのお山も木も、どこにもみあたりません。

 ハイジはがっかりして、塔(とう)からおりてくると、番人小屋(ばんにんごや)のまえに、大きいかごがおいてあるのをみました。親(おや)ねこが、そのそばで、ニャアニャアとないています。

 ハイジがなんだろうとおもっていると、番人(ばんにん)のおじいさんは、「こわくはないからのぞいてごらん。小ねこがいるよ」といいました。ハイジがのぞいてみると、小ねこはかごのなかで、うなったり、ふざけたり、ころんだりして、とてもかわいいので、ハイジはみとれていました。ハイジはクララにみせたくてたまりません。

 番人のおじいさんが、そんなにほしければ、あとからとどけてあげるよといってくれました。でもハイジは、おじいさんが、とどけてくれるまでまちきれない気(き)がして、二ひきだけ、ポケットに入れてゆくことにしました。一ぴきは、じぶんのに、もう一ぴきはクララのために。

 番人(ばんにん)のおじいさんは、ヘル・ゼーゼマンのおやしきをよくしっていました。ハイジはまたさっきの手風琴(てふうきん)ひきの子どもにおくってもらってかえりました。

 やしきにもどると、ロッテンマイアがかんかんにおこっていました。

「ハイジ! だまってでかけたりして、どこへいっていたんですか?」

 ニャアニャア ニャアニャア……。小ねこがおへんじをしましたので、ロッテンマイアはとてもおこりました。

「おまえは、私をからかっているの?」

 ニャアニャア……。

 ロッテンマイアは、ハイジのポケットにねこがくびをだしたので、ほんとにひどくおこってしまって、セバスチャンをよぶと、すぐ小ねこをすててくださいと命(めい)じました。でも、あんがい気のいいセバスチャンは、そっと、ハイジに、いいよ、みつからないように飼(か)っておいてあげるよといいました。

 すると、玄関(げんかん)のベルがはげしく鳴(な)りました。セバスチャンがでてみると、きたない男(おとこ)の子が、「クララはいませんか、ぼくは四銭(よんせん)かしてあるから、もらいたいんだよ」というのです。

 セバスチャンはびっくりしましたが、ああこれはハイジのまちがいだなとわかりましたので、手風琴(てふうきん)ひきの子どもに、なかへはいってひいてごらんといいました。

 セバスチャンはクララが、たいへん音楽のすきなのをしっていたからです。

 とつぜん手風琴(てふうきん)がなりだしたので、ロッテンマイアが、おどろいてとんできますと、このしまつです。おやめなさいと声をかけると、ロッテンマイアのあしもとに、気味(きみ)の悪(わる)いものがはってきました。みると、ちっちゃいカメの子です。クララはロッテンマイアのあわてようがおかしくて、大わらいにわらいました。

 すると、どうでしょう。こんどは大きなかごがとどいてきました。

 ハイジがかごをあけようとすると、ロッテンマイアがお勉強がすんでからになさいと、もうしました。でも、かごのほうがまてなかったのか、ひとりでにふたがあいて、小ねこが、一ぴき、二ひき、三びき、四ひき、五ひきと、つぎつぎにころがりでて、へやの中いっばい、ニャアニャアとはしりまわっています。


8 白いパン に続く