Secret
ここ一週間くらい、マイクロトフの様子がおかしい。
なにがおかしいって、とにかくおかしい。本当におかしい。絶対におかしい。誰がなんといおうとおかしいものはおかしい。
まず、いつ見ても眠たそうにしている。規則正しい生活は以前とかわらないのに、なぜあんなにも眠たそうなのか。
次にあちこちに擦り傷や切り傷がある。もともとそそっかしいほうではあったが、この短期間で何をしたらあんなに傷だらけになれるというのか。
そして。なぜか理由はわからないが、避けられているような気がする。目が合うと露骨に視線をはずすし、プライベートでもあまり言葉を交わそうとしない。おそらく何か隠し事をしているのだろう。自分が誘導尋問に弱いことを最近ようやく理解したらしく、隠し事をしているときはあまり近寄ってこないのだ。
いったい自分に隠れてなにをやっているのやら。
カミューは壁にもたれかかる格好で、ベッドに腰を下ろした。
やってしまわなければならない書類があるのに、マイクロトフのことが気になってなんとなく机に向かう気になれないのだ。
とうに夜半を回っているというのに、部屋の明かりはともっていない。
開け放たれた窓から、生ぬるい風が吹き込んで、カミューの前髪をかすかにゆらした。
マイクロトフだって一人の人間なのだから、すべてを自分にさらす必要はないし、はなしたくない事だってあるだろう。それは、わかる。だが、頭で理解するのと、心で理解するのは微妙に違うのである。
束縛したいわけじゃない。彼のすべてを暴きたいわけじゃない。でも、隠し事をされるのは嫌だ。
自分の中の矛盾した考えに、カミューは重く息を吐いた。
長いつきあいだ。隠し事をされたのはこれが初めてじゃないが、こんなにろこつなのは初めてでなんだか落ち着かない。
カミューはベッドから降りると、ベッドサイドの棚の上から水差しを取った。水差しの横に逆さに置いてあったグラスに水をそそぐ。
乾いた唇を水で潤してグラスを戻そうとしたとき、控えめに扉がノックされた。
「どうぞ」
カミューは手を止めて、扉に目をやった。
遠慮がちに開かれた扉のすきまから顔をのぞかせたのは、マイクロトフ。
「…………すまない。寝ていたのか?」
申し訳なさそうに云って、扉を閉めて出ていこうとする。
首を横に振ることで彼の言葉を否定して、カミューはグラスを元の位置に置く。そしてランプに灯をともした。
部屋が一瞬のうちにぼんやりとオレンジ色に染まる。急な光に、カミューはまぶしそうに目を細めた。
「何のようだ?」
云って、マイクロトフの方に向き直る。
カミューの一連の動作に見入っていたマイクロトフは、声をかけられてあわてて用件を切り出した。
「来週のスケジュールのことなんだが……」
「ああ。それならもうできている。少し待ってくれ、今だすから」
カミューは机の上に山と積まれた紙の中から、目当ての紙を探すべく紙の束を抱えた。紙の束を一枚一枚チェックして、違うものを机の上に戻してゆく。
騎士団といえども、団長にもなれば書類にサインをしたり、書類を作ったりしなくてはならないのである。
カミューは頭脳労働が苦手なマイクロトフに変わって、彼の分もよけいにデスクワークをしているのでいつも机の上には何かしら書類があった。
もちろん「青騎士団の団長」がサインをしなければならないものはマイクロトフがやっていたが、カミューが代理でやっても問題ないものはカミューがやるようにしていた。
団長になりたての頃はマイクロトフが自分でやっていたのだが、彼がやるとそれはもう途方もない時間がかかるのである。さっと内容を確認してサインをすればよいものを、頭から調べなおして自分に理解できない書類は理解できるまでサインをしない。カミューがやれば三十分で終わる書類を彼が一日かけてやったとき、カミューがきれたのである。
もちろん責任感が強いマイクロトフに自分がやるといったところで承知するわけがないので、マイクロトフの手に渡る前にカミューが自分の方に回してもらっているのだが。
その事実に、マイクロトフは未だに気がついていないらしい。
紙の束の中から、目当ての紙とおぼしきものを見つけてカミューは日付を確認した。どうやらこれで間違いはないようだ。
「これでいいはずだ。来週はさして面倒な予定は入っていない……あぁ、ゴルドー様が客人と遠乗りに出かけられるご予定だから、それの護衛があるな…」
「誰か一人でいいだろう?」
マイクロトフがいう。
マイクロトフか、カミューか、白騎士団の副団長か。客人の身分からいって、白騎士団の副団長がつくべきなのだが。
「どうせ私だろう。話し合うまでもない」
のである。
ゴルドーは前からカミューびいきのところがあったが、最近とみにカミューがお気に入りらしく、何かにつけてつれて歩きたがるのだ。それに関して何かと陰口をたたく騎士の風上にもおけない輩もいるが、カミューにしてみれば誰かにのしをつけて差し上げたいほど嫌な役回りなのである。
諦めきった口調のカミューになんと云えばいいのかわからずに、マイクロトフは困ったような表情で手を差し出した。
その手に予定表を渡しかけて、ふとカミューは手を止めた。
「カミュー?」
マイクロトフが怪訝そうにカミューを見る。
「…………どこか行くのか?」
明かりの下でよく見れば、マイクロトフは部屋着ではなかった。かといって、正装しているわけではないが、どう見てもこれから部屋に帰って寝るだけですという格好ではない。おまけに、腰にはダンスニーまで下げている。カミューの部屋に来週の予定を聞きにくるだけで、剣を持ち歩く必要はまったくないはずだ。
「あ?……あぁ、いや……その、散歩にな…行こうかと」
不自然にどもって、マイクロトフはカミューに向かっていった。
「散歩って……こんな時間に……?」
とうの昔に日は落ちて、外は真っ暗である。夜中というにはまだ少し早いが、城下の人々はもうそろそろ明かりを落とす時間。どう考えても散歩にはむかない時刻だ。
「ね、寝苦しくてな。少し汗を流そうかと…」
「この時間から汗を流したら、余計に寝苦しくなるだけだと思うが」
いたって冷静につっこまれて、マイクロトフは返答に詰まる。
「邪魔して悪かった」
そしてこれ以上会話をしていては追いつめられると思ったのか、回れ右をして扉に手をかけた。
「誰も邪魔だなとどは一言も云っていないだろう」
「い、いや……。と、とにかくこんな時間にすまなかったな」
そそくさと出ていこうとするマイクロトフの肩に手をかけて、カミューはいささか強引に自分の方を向かせた。
振り返ったマイクロトフの顔に「これ以上つっこまないでくれ」とでかでかと書いてあるように見受けられたが、カミューは気にせずにマイクロトフに向かって口を開く。
「お前、私に………」
…………私に何か隠していないか?
思わずそう云いそうになって、カミューは言葉を切った。
口をついて出そうになった言葉に、唇を噛む。
「……カミュー?」
何か言いかけたまま、凍り付いてしまった美貌。マイクロトフは心配げに彼の名を呼んだ。
「何でも…ない。……引き留めて、すまなかった。…気をつけて行くんだぞ」
マイクロトフの肩を掴んでいた手を離すと、カミューはその肩を軽く押した。
少しの間そんなカミューを無言で見て、マイクロトフは踵を返した。
パタン、と乾いた音をたてて扉がしまる。
閉まった扉に背を預けて、カミューは自分の口元を手で押さえた。
自分は今、何を云おうとしたのか。相手の隠し事が許せないなど、女々しいことこの上ない。
ああもそそくさと部屋を出ていくということは、よほど云いたくないことなのだろう。それを無理に聞き出してどうしようというのか。
確かに、気にならないと云ったら嘘になる、だが。相手が云いたくないのならそのうち話してくれるのを黙って待つべきではないだろうか。
自分がこんなに心が狭い人間だとは思っていなかった。
カミューは本日何度目かのため息をついて、窓を見やった。
話せるようなことならば、いつか自分に話してくれるだろう。話してくれるかもしれないし、くれないかもしれない。でも、それならそれでいい。冷静になって考えれば、自分だってマイクロトフに話していないことの一つや二つある。すべてがあけすけな人間なんて、かえって恐ろしい。
そう、カミューは自分に言い聞かせる。
窓の向こう側にぼんやりと月が浮かんでいた。それを瞳に映して、カミューは考えた。
…………危ないことをしていなければいいが。