Secret

 翌日。
 昨夜のことをむしかえされては事だとでも思っているのかどうか知らないが、朝からずっと避けられているようである。もう夕刻もせまろうかという時間なのに、一度もマイクロトフの顔を見ていなかった。
 向こうから話してくるまで詮索しない、と自分の中で結論を出したのにこれでは腹も立つ。何を云っていいのかわからなかったが、とにかく何か云ってやろうと思い、カミューはマイクロトフ部屋に向かっていた。
「カミュー様!団長がどちらにおられるかご存じないですか?」
 マイクロトフの部屋の側で呼び止められて、カミューは足を止めた。
 声のするほうを見れば、青騎士が自分の方へ駆けてくる。
 …………そんなの私が教えて欲しいくらいだ。
 その言葉を飲み込んで、カミューはにこりと青騎士に笑いかけた。
「今日はまだ彼の顔を見ていないが?」
「そうですか……早朝練習の後どこかへ行かれてしまわれたきりなんです。急ぎの用があるのですが……」
 青騎士は弱り切ったような顔で云う。
「朝から…いないのか」
「はい。どこへ行くかもおっしゃらずにいなくなってしまわれたのです」
 マイクロトフにしてはめずらしいことだ。しかし、朝からいないとなると別に避けられていたわけではないようである。
「見かけたら伝えておこう」
「はい。お願いいたします」
 青騎士はカミューに向かって一礼すると、来た道を引き返していった。
 よほど急ぎの用事なのだろうか。自分ではかわりにならないか聞いてやるべきだったかと、カミューが青騎士の背中を見ながら考えたとき、カタッとかすかな物音が何処からか聞こえた。
「……………?」
 耳をすませる。ふたたび、今度はマイクロトフの自室のほうから音がした。
 見れば部屋の扉が少し開いている。風か、それとも部屋の主がいるのか。カミューは深く考えずにマイクロトフの部屋の中へ踏み込んだ。
 踏み込んで、カミューは目を見開いた。
 青い顔をして、ベッドによりかかるように床に座り込んでいるマクロトフを、愕然と見た。
「マイクロトフ!」
「……騒ぐな、大した傷じゃない」
 ベッドの縁に身体を預けたまま、マイクロトフは血の気が失せた唇を噛んだ。
「他の騎士に聞こえると面倒だ。そこを閉めろ、カミュー」
 他の騎士達にきがつかれて、下手に勘ぐられては面倒だ。一応団長としてもメンツもある。
「しかしっ」
 云いさして、カミューは顔を歪めた。云いたいことも聞きたいことも山ほどあるが、手当が先だ。
 マイクロトフの側に座り込んで、彼のシャツを脱がせた。左腕に大きな傷があるが、それ以外は目立った外傷はない。しかもその傷自体も、大きくはあるが深くはないようだ。
 安堵から、カミューは大きく息を吐いた。
「これだけか?」
 念のため確認してきたカミューに、マイクロトフは少し笑って答える。
「だから大した傷じゃないと云っただろうが。……血が止まらないうちに動き回ったからか、貧血気味なだけだ」
 なんでもないことのように云ってのけるマイクロトフをキッと見据えて、カミューは立ち上がって机の引き出しを開ける。勝手しったる他人の部屋、救急箱がどこにあるかくらい聞かなくてもわかる。
「なんでこんな怪我をした」
 再び座り込んでマイクロトフの左腕を取り上げる。怒りにまかせて消毒液を傷口にぶちまけると、マイクロトフが低く呻いた。
「自業自得だ、我慢しろ」
 冷たく言い放って、カミューは消毒を続ける。血は止まっているし、長さはあるが縫うほど深い傷ではない。むろん後できちんと医者に見せた方がいいだろうが。
 カミューは包帯を少しきつめに巻くと、巻き終わったところで仕上げとばかりに軽く包帯の上を叩いた。この辺りになるとだいぶ冷静で、マイクロトフが痛がるのを承知のうえで傷を叩いている。
 その痛みに、マイクロトフは息を詰めた。
 それを横目に、カミューは新しいシャツを棚から取り出してマイクロトフに投げつけた。
 どうやら「また」怒らせたらしい。
 マイクロトフはシャツを受け止めて、天井を仰いだ。どうしてこうタイミングが悪いのか。きちんと包帯を巻いて、長袖のシャツを着て、渡しに行くはずだったのに。
 よかれと思ってやっていることが裏目に出るのはなぜなのか。
 受け取ったものの袖を通すのはまだ無理のようで、マイクロトフは肩に羽織っただけでもう一度ベッドにもたれかかった。
 カミューは、と目で探すと机の椅子にどっかと座って、自分を見下ろしていた。
「さて。その怪我の理由を聞かせてもらおうかな?」
 まるで年端もいかない子供にたいするように、優しい声でカミューが云った。怒っていらっしゃる証拠である。
 …………重度の怪我人のふりでもしていればよかったか。マイクロトフは彼らしくなく、そんなことを考えた。まぁ、彼の気持ちもわからないでもないが。
 マイクロトフは何も云わずに、自分の足下に投げ出してあった上着を手に取るとそのポケットから小さな木箱を取り出した。
 何の変哲もない、古ぼけた小さな木箱。それは、マイクロトフの手のひらよりもふたまわりくらい小さい物だった。
 それをカミューに放ろうとして、箱の中身を気にしてやめる。片手で身体を支えて、ベッドの脇から離れると、怪訝そうに自分の行動を見ているカミューに差し出した。
「…………マイクロトフ?私は怪我をした理由を聞いているんだが……」
 マイクロトフの行動が理解できずに、カミューは困惑した眼差しを彼に向ける。
「いいから、これを受け取ってくれ。話はそれからだ」
 いつにない強い口調で云われて、カミューはなんだかよくわからないままに彼の手から箱を受け取った。
 木箱をのせたカミューの手のひらを包むように、上から自分の手を重ねて、マイクロトフは口の端で笑った。
「受け取ったな?返品は受けつけんからな」
「何をわけのわからないことを……」
 云いながら、カミューはマイクロトフの手をはずした。
 そして不審げに木箱を開いた。
 中身を見て、カミューは目を瞬かせた。マイクロトフを見る。そして、もう一度木箱の中身に視線を戻す。その動作を何度か繰り返して、カミューは箱の中に入っていた『懐中時計』を取り出した。
 ぱちんと小気味いい音をたててふたを開けてみれば、作者名が刻印されている。どこからどうみても、この間交易所で見たあの時計である。
「マイクロトフ……この時計……」
 無言でそれをしげしげと眺めてから、カミューはマイクロトフに目を向ける。
 マイクロトフはがしがしと後頭部を掻いた。
「少しばかり資金がたりなくて…だな。…………まさかあんな大物が出てくるとは思わなかったんだ。あれはこの辺りには生息していないはずなんだが……なぁ?」
 なぁ?といわれても困る。
「マイクロトフ……一体何を…」
 カミューはマイクロトフが何を云っているのかわからなくて、困惑した視線を投げかける。
「怪我をした理由を云っている」
 その答えに、一拍おいて云った。
「ちょっと待て……今、整理するから」
 つまり。
「…………この時計を買う資金が足りなかった。だからその辺で魔物を倒して小銭を稼いでいた。そしたら、この辺りに生息するはずのない大物が出てきて、怪我をした。…………と、云うことか?」
 まさかな。そう思いながらも、頭の中で整理した結果を口にしてみた。
「簡単に云うと、そういうことだ」
 カミューの「まさか」という思いもむなしく、あっさりと肯定されてしまう。
 何か隠しているとは思っていたが、まさかこういうことだったとは。いつ見ても眠たそうだったのは夜中に小銭稼ぎに行っていたからで、あちこちに切り傷だの擦り傷だのをこさえていたのもこれのせい。
 どうりで自分に隠したはずだ。
 単純明快、短絡的思考回路のようにみえて、ときどき思いもよらないことをやってのけるのが、この男である。
「お前……何を考えているんだ…」
「何を考えているんだと云われても……嬉しくなかったか?」
「嬉しいとか嬉しくないとか、そういう問題ではないだろう」
 カミューは手のひらの上の箱を見つめて、思いっきり渋い顔をした。
「こんな高価な物『やる』と云われて『ありがとう』で済む物ではないだろう‥‥しかも怪我までしてきて…」
 思っていた通りの言葉を云われて、マイクロトフは笑いを漏らす。
「だから笑い事じゃないと……」
 視線を上にあげて、カミューはげんなりと云った。自分の足下に座り込んで笑っているマイクロトフを軽く睨み付ける。
 そして、木箱に蓋をしてマイクロトフに差し出した。
「とにかくこれは」
 受け取れない。と続く言葉をみなまで云わせまいと、マイクロトフが遮った。
「返品は受け付けない。そう云ったはずだ:
 差し出された手をカミューの方に押し返す。
「どうしても、お前におくりたかった。……長いつきあいだが、お前の口から何かが欲しいという言葉を聞いたのは初めてだった。だから、どうしてもお前に贈りたかったんだ」
 それまでの少し笑った顔とは違うひどく真剣な表情で、マイクロトフが云った。
 そういわれて考えてみれば、初めてだったかも知れない。だいたいにして何かを「欲しい」と思うこと自体あまりないのだ。物にあまり執着しない性格なのである。
「誕生日だのなんだのとお前は何かにつけて俺に物をくれるだろう。たまに、返したかった。それだけだ」
 お前はいつも、何が欲しいかきいても何も要らないとしかいわないから。
 そう、呟くようにマイクロトフは続けた。
 あの時まるで探していた宝物を見つけたような顔をして、時計を見ていたカミュー。それを見て、どうしてもそれをカミューの手に渡してやりたくなった。
 幸いにして貯金に少し足せば購入できる金額だったので、店主に頼み込んで取り置きしておいてもらったのだ。
 カミューは、嬉しかった。正直、本当に嬉しかった。物をもらったことではなく、マイクロトフの気持ちが、とても嬉しかった。
 その方法には多少文句があるが、今回は何も云わずに受け取ることにしてカミューは木箱を握りしめてマイクロトフを正面から見た。
「…………ありがとう、マイクロトフ」
 何とか受け取ってもらえて、マイクロトフは満面の笑みを返す。それから立ち上がってカミューの頭を右手でわしゃわしゃとかきまわした。それが彼の照れ隠しだということをわかっているから、カミューは何も云わない。
 しばらくの間、二人とも黙ってそうしていたがこれだけは云っておかねば、と思いついてカミューは口を開いた。
「お前の気持ちは嬉しいが、こういうのは今回限りにしてくれ。…………怪我をしてまで贈り物をしてもらっても嬉しくない」
 マイクロトフはふん、と軽く鼻をならして右手で頬を掻いた。
「いや…退却しようかとも思ったんだが。…………俺が何か隠していることに昨日気がつかれたみたいだったから、手っ取り早くけりをつけようかと」
 強い魔物だと、それだけ持っている金額も多いわけで。
 実は昨日どころかずいぶん前に気がつかれていたのだが、どうやら気がつかれていないと思っていたらしい。何ともおめでたいことだ。
 カミューは苦笑して椅子から立ち上がった。
 どちらからともなく唇が重ねられる。最初は、触れるだけ。2、3度角度を変えて触れるだけの口づけを繰り返して、次第に深く唇を合わせてゆく。あがってゆく息にあわせて、カミューは誘うようにマイクロトフの首に腕を回した。
 どのくらい、そうしてキスをしていただろう。
 ふとキスが途切れた合間に、カミューのシャツにマイクロトフが手をかけた。片手で器用にカミューの襟をくつろげようとしたその時。その手がぴしゃりと叩かれて、カミューがマイクロトフから離れた。
 マイクロトフは唖然としてカミューを見る。
 そんなマイクロトフに向かって悠然と微笑んで、カミューが云った。
「続きは怪我が治ってからにしましょうか?」
 一応、言葉尻は疑問系だが、ほとんど断言に近い。
 どうやら怪我をしたことについてそうとう怒っていたようである。怪我をしてまでプレゼントをして、おあずけではかなり割に合わないような気がするのはマイクロトフの気のせいではないはずだ。
 しかも、煽るだけ煽っておいておあずけ。
 なんだかやるせない気持ちでカミューを見たが、カミューは前言撤回をする気はなさそうである。
 自分が腕を回したせいで肩からずりおちたマイクロトフのシャツを丁寧になおして、カミューはすたすたと扉の方に歩いていった。
 もちろん、その手に大事そうに木箱を持って。
 カミューは扉を開けるとマイクロトフの方を振り返って、それはそれは綺麗な微笑みをうかべた。
「マイクロトフ、本当にありがとう」
 閉まる扉をマイクロトフは真っ赤に染めた顔で見つめた。
 今の一言と笑顔で、すべてが報われたような気がする。
 …………まんまとそう思ってしまうから、マイクロトフはいつまでもカミューに振り回されるのである。 



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