Under the moon
手を引いて欲しかったのも、ジョウイの本心。
だが、手を引かれては困るのもジョウイの本心だった。
ルカ・ブライトを討つ前にアレンに手を引かれては、ルカの強行を止める手だてが無くなってしまう。アレンが、同盟軍が手を引けば、ルカに敵対する者はいなくなり、ルカが再び街を襲い出すのは目に見えていた。
そうなれば、自分がアレンやナナミを裏切ってまでハイランド側についたことが、何の意味もなかったことになってしまう。
『同盟軍のリーダー』という存在は、ジョウイの計画の中で、なくてはならないものだった。
そして。そしてそのことをアレンは知っていたのだ。
自分が手を引けば、ジョウイが困ることを知っていたから、彼はどんなにジョウイがすすめても、どんなにナナミが訴えても、手を引くことをしなかったのだ。
争いを好まない少年だった。
どんな理由があっても、暴力で解決することを嫌って、争わずに解決する方法をさがす。
そんな、少年だった。
強い力と誰にも負けないような武道の技術を持っていても、それを人に向けて振るうことを嫌がっていた彼が。
自らの手でルカを殺めたとき、どんな気持ちだったのか。
想像するのは容易いことだった。
仲のよい、幼なじみだった。
双方にとって、幼なじみ以上の存在だった。
幼少、少年期、そして青年期。
どこまでも一緒に歩んでいくのだと思っていた。
運命の歯車は、何処で狂ったのだろう。レックナートの手で、紋章を与えられた時だったのか。それとも、少年兵のテントが襲われたあの時だったのか。
2人の道は、完全に分かれた。
片方は裏切りの汚名を着てハイランドの皇帝に。
もう片方は、英雄と呼ばれて同盟軍のリーダーに。
カミューが伝え聞いた話では、彼らが何を考え、どうしてそう決断したのかまではわからない。
カミュー達が同盟軍に名を連ねた時にはもう、アレンは笑わなくなっていた。ナナミや周りに心配させまいと、表面に笑顔を張り付けてはいたけれど。ミューズで見た少年らしい笑顔ではなく、年不相応に大人びたすべてを諦めたような笑顔になっていた。
仲間達は気がついていない。誰もが、自分の役割を果たすのに精一杯で、アレンのささいな変化に気がつけるほど、心に余裕はなかったから。
カミューとて、ミューズが落ちたときからそばにいたら気がつけなかっただろう。
長い時間を共にした仲間ではなく、後から入った第三者が気がつくというこの不自然さ。
争いは他人を思いやる心を鈍らせて、少年を無理矢理に大人へと変えてしまった。
「……私が云えた義理ではないかも知れませんが、あなたが選んだ選択肢は正しかったのでしょうか……」
アレンの心とジョウイの心を犠牲にしてまで選んだ、選択は正しいものだったのだろうか。
他に、選択はなかったのか。
カミューの言葉に、ジョウイははじかれたように頭を上げた。
「ではっ!では、あなたがもし、僕と同じ立場だったら?あなたとマイクロトフさんが、僕とアレンと同じ立場に立たされたとしたら、あなたならどうしたと!?」
あの状況で、他にどんな選択肢があったというのだ。
ハイランドにも、都市同盟にも、ルカを止められる人間はいなかった。大人達は皆、「ルカ・ブライトを止めなければ」そう口でいうだけで、実際にだれも動きはしなかった。
一つ、また一つと小さな村が破壊されてゆき、ピリカのような子供が後から後から増えてゆく。大人達は口々に勝手な理想を述べるだけで、今助けを求める声には耳を貸そうとしない。
大人というのは、子供を守ってくれる者達を指すのではなかったか。いくら王族の命令だとしても、泣き叫ぶ子供を平気で殺める者達を大人と呼ぶならば、そんな者の助けなどいらない。
助けなんか無くても、自分の手で『平和な世界』とやらを築いてみせる。
……たとえ、たとえそのせいでも、大切な誰かの手を離さなければならなかっとしても。
「誰も助けてくれなかった。自分の両親が目の前で殺されるのをピリカがどんな気持ちで見ていたと思いますか?寝食を共にした少年兵達が、汚い大人の策略で死んだということを知ったときの僕らの気持ちが、貴方にはわかりますか!?」
今まで誰にも吐き出すことのできなかった想いが、せきを切ったようにジョウイの口からこぼれでた。
その瞳に激しい怒りをたたえて、ジョウイは強く拳を握りしめる。
「……選択は二つしかなかったんです。あのまま都市同盟と命運を共にするか。それとも、かけがえのない大切なものを犠牲にしてでも、自分の手で未来を創るか」
あのまま都市同盟と命運を共にしていれば、アレンと離れずにすんだ。だが、今頃生きてはいなかったかも知れない。
アナベル一人の力では、ルカを押さえることは不可能だった。
後込みするトゥーリバー、自分の領地のことしか考えていない騎士団、平和主義のグリンヒル。そして、我関せずを決め込むティント。
今にも内部分裂しそうな都市同盟の中で、何をすればよかったと、何ができたというのか。 心から望んで手に入れた『力』は、都市同盟では使えなかった。
あれほどジョウイの望んだ『すべてを守れる力』。
それは不特定多数のものを守れる代わりに、一番守りたかったものを壊すものだった。
「力がなければ、この紋章がなければ、僕は前者を選んだと思う。でも僕には力があった。この大陸から、戦争をなくすことができる力が」
力を持っていて使わないのは、卑怯だ。
ずっとそう思ってきたのだ。
「考えた。考えて、考えて。頭がおかしくなるんじゃないかと思うくらい、考えた。つないだ手を離して、その手でたくさんの人を救うか、つないだ手をそのままに現実に背を向けるか」
誰も傷つかないはずだった。
後者を選べば、傷つくのは自分一人のはずだったのに。
あんなにも、アレンを傷つけている。
はらりと、緑色の木の葉が2人の視界を流れた。
風に吹かれてなよやかに舞い、ひるがえって大地に落ちる。
それを目で追って、カミューはふわりと微笑んだ。
「先程、貴方は私に聞きましたね?……もしも私とマイクロトフが貴方とアレン殿の立場だったら、と。貴方が考えに考えて出して答えを、私は三十秒で出せますよ?」
雲間からようやく顔を覗かせた月が、カミューの面を青白く照らし出す。
その微笑が、深くなった。
「……仮に、私が貴方の立場だったとしたら、私はマイクロトフの手を引いてその場を去るでしょう」
その言葉に、ジョウイはカミューを凝視した。
カミューは自分を食い入るように見つめて動かないジョウイをよそに、言葉を続ける。
「私の決断によって百万の命が失われるとしても、私には関係ありません。他人の命なぞ、知ったことではない」
……マイクロトフが守れるのならば、他人の命なんて私にはどうでもいいんです。
そういって、カミューはジョウイに笑いかけた。
「理想と、鮮血と」
カミューがゆっくりと呟いた。
「……百人の人間がいれば、百通りの理想が生じます。ですが、どれだけ正当性のある『理想』があったとしても『現実』になる『理想』はたった一つしかないんです。わかりますか?ジョウイ殿?」
ジョウイは唇を堅く引き結ぶ。
「声を高らかに正当性を主張しているだけでは、『理想』は『現実』にはならない。それは貴方もよくしっているはずです。……誰かの『理想』が『現実』になるためには、必ず誰かが傷つきます。誰も傷つかずにすむ方法なんて本当はないんです」
平和な時代ならば、あるいは可能だったかも知れない。でも平和とはほど遠いこの時代の中で、誰も傷つかずにすむ方法なんて絶対にありはしない。
「誰も傷つかずにすむ方法がないのならば、私は自分の一番大切な人が傷つかずにすむ方法を選びます。……それを選んだことによって誰に避難されてもかまいません。いくら他人の血が流れても、私は後悔なんてしない」
そこまで云って、カミューは律儀に自分たちに背を向けて佇んでいるマイクロトフの背中を見た。
他の誰を守れなくてもいい。
自分よりも大切な人が守れるのならば。
沈黙があった。
ジョウイはカミューを見つめたまま、やがてぽつんと言葉を落とした。
「後悔は……していないんです」
正しかったかと問われれば、答えに詰まる
だが後悔しているのかと問われれば、後悔はしていないとはっきりと答えられる。
ジョウイは小さく吐息を吐いた。
「たくさんの人を守りたかった。アレンもナナミもピリカも………誰も、誰も傷つけたくなかった」
自分は欲張りだったのだろうか。
「………………マイクロトフが」
呟いて、思案するようにカミューは髪を掻き上げた。
「マイクロトフが貴方の立場だったとしたら、きっと貴方と同じ選択をしたと思います」
「……えっ?」
「あれは正義感のかたまりですから」
自分が思うほど相手には思われていないとか、そういう問題じゃなくて。
「たくさんの人を救うか、私の手を取るか。そういう選択を迫られたら、彼はきっと貴方と同じように考えて考えて頭がおかしくなるくらい考えて、きっと貴方と同じ選択をすると思います」
カミューは淡く笑うような表情を見せた。そのことに、本人が気がついているのか、どうか。
「できるものならば、私と同じ選択をしてもらいたい。そう思います。でも、それを強要することはできません。彼には彼の『理想』があって、それを実現させたいと彼が望んでいるのならば、私に口出しする権利はありませんから」
どこか自嘲気味な色を含んだその云い方に、ジョウイはカミューの目を見た。