Under the moon

 外は思っていたよりも寒くなかった。
 この分だと、上着はいらなかったかも知れない。
 先日までは厳戒態勢で場外の至る所にいた兵士達の姿は、今はほとんど見えなかった。
 要所要所にぽつんと一人か二人いるだけで、、後はまったくと云っていいほど人の気配がない。いくらルカ・ブライトを倒したと云っても、ハイランド側がそれで戦争をする意志を無くしたとは限らないのだ。
 これはあまりに無防備ではないだろうか。場内が浮き足立っているのは仕方ないにしても、これでは危険すぎる。
「シュウ殿に云っておかねば駄目だな」
 辺りを見回して、マイクロトフが呟いた。
 どうやら同じ事を考えていたようだ。
「云っても無駄な気がしないでもないが」
 おそらくシュウの方からは、いつも通りの警備をするようにとの通達がでているはずだ。シュウの性格上、ルカ・ブライトを討ったからといって早々に警備を甘くするようなことは絶対にしない。と云うことは、問題なのは実際に警備をする兵士達の心づもりだということだ。
 だとすれば、シュウに云うよりも兵士達に直接云った方が早い。
 ……明日にでもそれとなくいっておくか。
 そんなことを考えて、カミューは前方に視線を投じた。
 そして、ふと足を止めた。
 投じた視線の先に、人影を見たような気がして。
 気のせいだろうか。
 先ほどまで出ていた月は雲間に隠れて光を漏らしてはいないし、辺りには樹木が乱立しており見通しはよくない。
 マイクロトフの持つランプの僅かな明かりは、せいぜい一歩か二歩先を照らし出すのがやっとだ。
「どうした?」
 立ち止まったまま動かないカミューをのぞき込むようにして、マイクロトフが声をかけた。
 きっと風で木の枝が揺れたのと、見間違えたのだろう。
 カミューは軽く頭を振って、マイクロトフを見た。
「何でもない。気のせいだったようだ」
「何かいたのか?」
 云って、マイクロトフは先ほどまでカミューが見ていた方向に目を向けた。
「いたような気がしただけだ」
 苦笑混じりに云って、カミューが再び歩き出したその時。
 ざざっ。ざっ。
 風もないのに、前方で樹木がざわめいた。
 反射的に、マイクロトフが手に持っていたランプを前方に向かって差し出す。
 ぼんやりとした光の中に浮かんだのは、かすかにまだ揺れている木のは。そして、樹木の間を走り抜ける小柄な人影。
 見間違いではない。
 あれは、間違いなく人間だ。
「……っ!マイクロトフっ!」
 カミューに名を呼ばれるよりも一瞬はやく、マイクロトフが走り出した。
 カミューも腰に差したユーライアに手をかけて、大地を蹴る。
 この先にあるのは船着き場と、なみなみと水をたたえて広がる湖。
 侵入者の目的が湖であるはずがない。
 さっきの警備兵のようすだと、船着き場に兵士がきちんとたっているかは怪しいところだ。
 場内に通じる入り口に、一人か二人が関の山だろう。それも、おそらくは内側に立っている。 いつもならばアマダがこの時間でも船着き場にいるのだが、そのアマダも今日はタイ・ホーあたりと酒場で一杯やっている可能性が高い。
 つまり、このまま侵入者を船着き場に行かせれば容易に場内に侵入させてしまうと云うことだ。もっとも侵入者の目的が「場内への侵入」ではなくて「船を盗む」だったら、この心配は杞憂に終わるのだが。
 なにも云わないのに、まるで示し合わせたようにカミューとマイクロトフは左右に分かれて走った。
 足下の草が、彼らの走る速度にあわせて乾いた音を立てる。
 距離は、確実に詰まっていった。
 侵入者の走る速度も一般人とは考えられぬほど速いが、それよりも彼らの方が速い。
 コンパスの違いもあるのだろうが、マイクロトフなどランプの灯を消さないように走っているとは思えないほど速かった。
 近づくにつれて、人影がはっきりしてくる。
 目立たないようにか寒色系の大きな布を全身にまとっているが、その肢体はとても細い。
 ついに、マイクロトフが侵入者を追い越した。
 マイクロトフはランプをできるだけ草の少ないところに置くと、侵入者の前方に回り込んだ。
 地面に置かれた振動で、ランプの焔がゆれ城壁にうつる影もまたぐにゃりとゆがむ。
 前方にマイクロトフ、後方にカミュー。そして、側面には城壁。挟まれた侵入者は軽く舌打ちして、前方にむかってつっこんだ。
 身にまとう布を押さえるてを離し、マイクロトフに向かって武器を振るう。
 長い棒のようなものが風を切った。
 かなりのスピードでくりだされたそれを難なくダンスニーは受け止める。
 闇の中に見事な銀髪が翻った。
 それを見て、カミューが走るのをやめた。
 手にしていたユーライアを鞘に戻して、地面に投げ捨てられた布を拾い上げる。
 武器と武器がぶつかる金属音。侵入者の素顔に、マイクロトフは攻撃を躊躇った。
 自分から攻撃を仕掛けずに、ただ相手の攻撃を受けてはかわしている。
 カミューは侵入者の顔がすっかり見える位置まで近づくと、静かな声で云った。
「マイクロトフ、剣を引け」
 場にそぐわない、ひどく静かな声音。
 だが、引けといわれてもすぐには引けない。
 自分から攻撃をしかける気はないが、相手はどうかわからない。マイクロトフが剣を引いた途端、致命傷を与えるべく攻撃してこないという保証はないのだ。
「剣を引け」
 カミューは繰り返す。
「しかしっ!」
 相手とせめぎ合った体制のままで、マイクロトフは困惑した声を上げた。
「いいから。剣を引け、マイクロトフ」
 再度云われて、マイクロトフは相手の後ろに立つカミューを見た。
 カミューは、小さくうなずく。
 マイクロトフは力一杯相手の武器を押し返してから、大きく後退した。
「…………」
 侵入者はそれ以上攻撃を仕掛けてこなかった。
 無言で、カミューの方を振り返る。
 カミューは地面に置かれたランプを持ち上げて、侵入者の方に向けた。
 淡い光の中に浮かび上がったのは、見事な銀髪を持つ痩身の青年。
 一番最初にミューズで出会ったときと同じ格好をしていた。
「こんな時間に、何のご用ですか?」
 云いながら、カミューはにこりと微笑む。
「ジョウイ・ブライト殿」
 

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