|
POG期間内は未勝利戦勝ちのみと非常に地味な戦跡しか残していないこの馬が、その後、大きな感動を与えてくれるとは。
近親にサッカーボーイがいるものの、姉のホイッスルはジェイドロバリーをつけたが中央では未出走。大きな期待は抱けないのも無理はなかった。
しかし、POG期間後になるとメキメキと力をつけ、夏に2勝を加え、京都新聞杯(GU)ではマチカネフクキタルの4着。優先出走権は得られなかったものの、勇躍、菊花賞(GT)に出走。さすがにここは荷が重く8着に敗れている。
このあたりまではまだ、耳目を立てる存在ではなかったが、菊花賞後、中・長距離戦を使われ3戦連続2着。続いてのダイヤモンドS(GV)でも2着と次第にその存在感を増してきた。この後は重賞を使われつづけ、98年の天皇賞−
春(GT)
はメジロブライトの2着、続く宝塚記念(GT)でもサイレンススズカの2着、さらに天皇賞−秋(GT)でもオフサイドトラップの2着と重賞未勝利ながら素晴らしいバイプレイヤーぶりを発揮した。その後も古馬のGT街道の王道、ジャパンC、有馬記念と使われた。ここでの有馬記念3着はその後のストーリーの序章であった。
年明け緒戦の京都記念(GU)は人気を集めながら7着と敗れ、日経賞(GU)では指定席となりつつある3着。天皇賞−春(GT)はスペシャルウィークの5着となったが、その後が圧巻。金鯱賞(GU)、鳴尾記念(GU)、宝塚記念(GT)の春の総決算ロードをすべて3着して「ブロンズコレクター」の称号を得たのもこの頃のことであろう。
この後もGTでもGUでも善戦するものの勝ちきれないレースが続き重賞初制覇が2000年の目黒記念(GU)。鞍上に久々となる武豊を迎え差し切り勝ちを収めた。しかし、この後も勝ちきれないレースを続け、2001年のドバイ・ワールドカップ(国際GT)当日に行われるドバイ・シーマクラシック(国際GU)に登録した。その前哨戦となる日経新春杯(GU)では重賞2勝目をゲットしたが、ドバイ・シーマクラシックには強豪が勢ぞろいしており、ここも、善戦止まりが予想されていた。しかし、ヨーロッパ最強馬と言われていた
ファンタスティックライトをゴール前で差し切り国際GU勝ちを収め、その名は一躍、世界中に知られるものとなった。
帰国後は「あの」ファンタスティックライトを破った馬、として活躍を期待されたが、先頭でゴール板を過ぎたのが、秋の京都大賞典(GU)。しかし、このレースは落馬したナリタトップロードの進路を妨害したとして失格。ついに、運も尽きたと思われた。そのとおり、天皇賞−秋(GT)を7着、ジャパンカップ(国際GT)を4着とまたもや善戦して、有馬記念に向かわず引退レースを香港ヴァーズ(国際GT)に照準を向けた。
通算50戦目。数え切れないほどのGTレースに挑戦してきたが、ことごとく阻まれ続けたステイゴールドのとっても最後の挑戦。レースはいつものように後方待機。直線に入ると先行するエクラールにはとても届かない位置から豪脚爆発。ゴール前できっちり差し切り悲願のGTを国際GTで引退の花道を飾った。
ステイゴールドは勝ちきれない悲運の名馬と語られるより、名バイプレイヤー、そして、引退レースの豪脚で記憶に残る名馬となるのは間違いない。
|