しもじ
下地
Shimoji
ふなまち
Funamachi
こざかい
Kozakai

 豊川を越えた所にある駅、まわりからは一段と高いところにある。 この近辺には川を渡る橋が無い、一寸川向こうまでと言うときには便利な駅だろう。
 駅への入り口を探すのに一苦労する、初めての人は降りたらどう行ったらいいのか見当がつかないだろう。
 この駅も無人駅。

 
 

shimoji 船町駅の方から鉄橋を渡って列車がやってくる、と言いたいところだが実は逆(複線の場合列車は通常左側を走る)。
鉄橋の下で列車の通過をボンヤリ見ていると不思議なことに気付く。飯田線の列車が渡った鉄橋を私鉄(名鉄)の列車が走っている。そう、豊橋から下地の少し先までの線路を両社が仲良く共用しているのです。でも、併走している東海道線はどうかな・・・と列車を待っていると、少し下流を東海道新幹線の列車が鉄橋を渡って行く。退屈をしない。 この鉄橋を渡る(写真手前側)と駅だ。
鉄橋の下が豊川、4キロ程で三河湾。ここから上流は川が曲がりくねっている、この川昔はよく氾濫をしたという。

shimoji 河口から十キロ余り上流に放水路を作り分流堰で流れを調整している。
何処かの堰と違いここの堰はその役目を十二分に果たしている。
写真は、管理棟とその入り口にある看板。豊川の治水事業は江戸時代に始められたと書いてある。昔の人は偉かった。
看板の右下の説明には、「霞堤のしくみ」として「大水が出たとき、洪水の一部を導き、流れを弱めると共に、たまった水を生活用水、工業用水、農業用水として利用している」とある。

shimoji 管理棟の横に「羽衣の松」がある。

郷土の伝説羽衣の松
その昔、一人の天女がこの前を流れる豊川で水浴びをしていた時、通りがかった若者が岸辺の松にかけられた羽衣を見つけ持ち帰ってしまった。
天女は羽衣を返してもらいたい一心から若者のお嫁さんとなり、やがて子供も生まれ幸せな毎日を送っていましたが、ある日、若者が留守の間に羽衣を見つけだし、天に帰ってしまいました。
その時天女は、葉を食べると病気がなおるという片葉の茶の実と人形を、かわいい子供への形見として残していったと語り継がれています。
なおこの松は、岸辺の松の三代目と伝えられ、形見の人形といわれるものが現在でも地元に残されています。

shimoji 豊川のイメージキャラクター

 ムカシトンボのムートンくん


  です.....よろしく。

shimoji 川上から分流堰を見る。
写真左奥が本流、右が堰を通り放水路へと流れる。
緑の草木のあるところが霞堤にあたり、霞堤は川上に向かって数カ所ある。
航空写真でなく申し訳ない、背中に羽が欲しかった。

shimoji 分流堰の水門。

水量調整はここで行う。

水門を通った水は真っ直ぐ三河湾に流れる、放水路だ。

shimoji 下地駅を出て1キロ程で鉄橋を渡る、そこが豊川放水路。そして右へ大きく曲がる、並走していた東海道線ともお別れする。

発車ヨーシ! 

 次は 小坂井、こざかい です。